自分を大切にする魔法
妊娠8ヶ月
明日から妊娠後期に突入する。
胎動を感じて、最近やっと「妊婦」であることを実感してきた。
地獄のつわり時代を乗り越え、今は愛しさと眠気と気怠さを持ち合わせたマタニティライフを送っている。
この今の状況を1年ほど前の私が知ったら、びっくりするだろう。
妊娠どころか、結婚もしていなかったし、彼氏も6年間おらず、毎日頭をかきむしって仕事をバリバリしていたからだ。
その頃に時計の針を戻してみよう。
20代後半以降、私にとっては仕事がとても重要だった。
「女でも稼ぐ能力は大切!バリバリ働いて昇進してやる!」
男性にも勝る仕事をこなし、鼻息荒いバリキャリ女子だったのだ。
だから、「こどもが欲しい」なんて微塵も思っていなかったし、むしろ育てる自信も本気でなかった。
だけど・・・
恋愛はしたかった。
彼氏は欲しかった。
そこには
「愛されたい」
「好きな人に大切にされたい」
という想いが込められていたと思う。
先述のように6年間彼氏がいなかった。
いいなと思う人はいたけれど、告白ののち玉砕。
すっかり自信を無くしていた。
その頃はとにかく「結婚したい」の一点張りだったし、できない自分はダメなんだと言う劣等感で自分をギュウギュウに縛っていた。
そんな時に職場の40代の女性の先輩に言われた忘れもしない言葉がある。
「みよちゃんは30過ぎているから理想の人と結婚は難しいよ」
腹が立ったし、悔しかったけれど、その場にいた20代の女子の苦笑も相まって、恥ずかしくて、言い返す言葉もなく愛想笑いするしかなかった。
「結婚ってなんだろう・・・」
その頃私にとって結婚とは、女にとって重要な輝かしいステータスだった。
結婚することでレベルが上がるような気がしていたし、無条件で幸せであれるような気がしていた。
とりあえず結婚しなきゃと焦ってばっかりだったし、彼氏もいない自分という存在への自己肯定感はどん底だった。
「彼氏のいない私」のことがいつも恥ずかしくて大嫌いだった。
けれど、気づいた。
自分が自分を大切にしていないのに、誰が大切に扱ってくれるんだろう?
私の幸せは誰かが決めるものなのだろうか?
いや、そんなことはない。
彼氏がいなくたって結婚できなくたって私は必ず幸せになる。
誰がなんと言おうと自分の機嫌は自分で取るし、自分の幸せは自分で掴む!
そう決めてからは、直感に従って動いた。
楽だった実家暮らしから飛び出し一人暮らしをして、心ときめくお気に入りの家具を買った。
仕事終わりで疲れていても、本屋に行きたいと思えば電車を乗り継いで目的地に行った。やりたいと思ったことはすぐに行動に移した。
その上で、やっぱり
「彼氏が欲しい」
と、心から思った。
同じ願望だけれど、以前のような焦りや不安からの選択ではなく、本心から出てきた願いだった。
それから10日もしないうちに、今の彼と出会った。
出会って翌週にお付き合いし、2週間後にプロポーズされ、挨拶を済ませて3ヶ月後に入籍に至った。
まさかまさかの大どんでん返し。
焦っていた時は意地でもできなかった結婚が、
本当に自分を大切にし、自分の願いに耳を傾けただけで簡単に手に入ったのだ。
けれど、大切なのは「結婚した」という事実ではない。
「愛される」ということ。
「大切にされる」ということ。
この状態がどれだけ私を満たしてくれただろうか。
彼に大切に扱われるたびに心がじゅわ〜っとあたたかくなる。
ギュッと抱きしめられるだけで、お姫様になった気分になれるし、身も心も満たされる。
1年経った今でも変わらずに、いや、それ以上にますます愛されている。
そんな相手に出会えたことが、最も重要で奇跡であり、ありがたいことなのだ。
妊娠して特に感じた。
女性は特に感覚が研ぎ澄まされていると。
妊娠発覚後すぐに訪れるつわりも、「自分の体を最優先させて!」という自分の体からのサインだし、「心地よい」も「不快」も肌で感じ取ることができる。強烈な眠気も体の気怠さも、今までと違うリズムでもどかしいけれど、「今は休んで」というサインだと思う。
妊娠している、していないに限らず、女性の体は敏感で正直だ。
私の中の3歳の正直で素直な女の子が、「これがしたい!」「あれが食べたい!」「あの人嫌い!」とサインを出しているのを外側の私は受け取り、肯定することでするすると願いが叶っていくのだ。
社会に紛れていると、目には見えない競争や忖度で疲弊して、幸せの基準も「自分基準」ではなく「世間基準」にすり替わってしまいがちだけれど、そんな時こそ深呼吸して内なる自分と対話してみよう。
3歳の女の子はきっと今も無邪気に私にサインを送っているはずなのだ。
ありがとうございます♡ 喜んで受け取ります♡