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不合理な領域
YouTubeでブラックバス釣りのプロの動画を見ていた。
知らない人は、ブラックバス釣りにプロがいるのかと思うかもしれないが、それがいるのだ。
ブラックバス釣り大会(トーナメントという)で賞金が出て、それが収入となっているためプロと称される(通称バスプロ)。
ただし、収入の実態はよくわからない。
というのも、そういう人たちはだいたい、釣り具メーカーのテスターやビルダーをやっていたり、最近だとYouTube動画配信をしていたりして、他に収入があるからだ。
なお、テスターとは新しく開発した釣り具を実際に使ってみて、性能を検証する仕事、ビルダーは釣り具を開発、設計する仕事である。
冒頭のバスプロは、自分の作ったルアーなどを使って、釣りをする動画も自ら配信している。
信じられないほどの、テクニックと釣果である。
とても、マネが出来るとは思えなかった。
僕は大学生のころ、バス釣りにはまって、だいたい30才ぐらいになるまで、趣味としていた。
しかし、ある時、パタリとやめてしまった。
当時、和歌山のダム湖によく行っていたのだが、夜中に出かけて、3,4時間かけて、早朝に到着。
それから、夕方まで釣りをして、また3,4時間かけて帰る。
それだけやって、釣れるのは1匹か2匹。
ボウズもある。
なぜ、夜中に出かけるかというと、日の出直後ぐらい(朝マズメ)が、魚が釣れるとされる時間だからである。
次に釣れるとされるのは夕方の日没前ぐらい(夕マズメ)だ。
ある日、いつものように夜中走って、いつものダム湖についた。
レンタルボートを借りて出船し、ルアーを投げたが、朝マズメには反応なし。
その日は、その時点で、なんだか疲れてしまって、車で仮眠することに。
起きたら昼前だった。
そこで、もう一度釣りをするという気になれず、そのまま帰ってしまった。
それっきり、バス釣りはやっていない。
ブラックバスは、なかなか釣れない魚である。
なぜ釣れないかというと、魚の絶対数に対して釣り人が多い、そしてキャッチ・アンド・リリースのせいだ。
ブラックバスは食べられないことはないのだが、あえて食べる人は少ない。
釣ることだけを楽しむための魚なのだ。
釣られた魚は、すぐに水に戻される。
すると、その魚は、次回以降、警戒してルアーに食いつかなくなる。
釣れなくなると、釣り人は新たなルアーを開発する。
見たことのないルアーには、一度釣られた魚もまた食いついてしまう。
それで、たくさんの種類のルアーが出来、最終的にはどのルアーでも釣れなくなるのである。
ルアーの種類が多くなると、釣り竿やリールの種類も多くなる。
そして、陸からはなかなか釣れないので、ボートに乗って釣りをするようになる。
最終的には何百万もするボートを買って、そこに10本も釣り竿とリールを積み、ルアーが数百個も入ったタックルボックスも積んで、湖に繰り出すことになるのだ。
ちなみに、釣り竿とリールで、数万から数十万するし、ルアーも1個1000円以上する。
バス釣りにのめり込むほど、使うお金は青天井である。
しかし、冷静に考えてみると、これは極めて不合理な行為である。
バスは実はもともと、そんなに釣りにくい魚ではない。
ルアーを見たことがないバス(バージンバスという)は、とても簡単に釣れるという。
それが、何度も釣られることによって、なかなか釣れなくなり、人はあの手この手を使い、また、誰も行ったことのない未開の地を探しまわるのだ。
でも、食べもしないものを、そこまで追いかけることには、合理性がない。
例えば、釣り場を10年保存すれば、バスが入れ替わって、簡単に釣れるようになるのである。
もともと釣りは、魚という食物を得るために考えられたことだが、それ自体にゲーム性がある。
そのゲーム性だけを抽出したのが、バス釣りであり、ゲームフィッシングと称される。
釣る行為自体が楽しい。
しかし、冷静に考えると、釣れなくなったものを、あえて、お金や時間をかけてまですることはない。
興味のない人にとっては、全く理解不能なことであろう。
バス釣りにのめり込む人は、ある段階から、不合理な領域に入ってしまっているのだ。
人は、少し難易度が高かったり、人と競ったりする要素があることに、のめり込んで、周りが見えなくなるものである。
コンピューターゲーム、最近はEスポーツと言ったりもするようだが、それこそ、その最たるものである。
コンピューターは人が作ったものであり、高得点を取ったとしても、別に何があるわけでもない。
しかし、なぜか自分自身の記録を塗り替えようとしたり、友だちやほかの人と点数を競って勝とうとする。
自分も、他の人もやればやるほど習熟するので、極めようとすればキリがない。
ゲームセンターのコインゲームで、たくさんお金を使う人は昔からいたが、最近は課金ゲームというのがあって、使うお金も桁違いである。
これも不合理な領域に、足を踏み入れた人たちである。
コンピューターゲームと比べると、Eスポーツではない、本当のスポーツは健全であるような気がする。
しかし、本当にそうだろうか。
サッカーにせよ、野球にせよ、バスケットボールにせよ、テニスにせよ、最初は遊びのようなものだったに違いない。
それが、厳格なルールが出来て、ルールの中で様々なテクニックを考案する人が出てきて、身体的能力のずば抜けた、天才的な人も現れ、世界一を競うようになったり、観戦者が大勢現れ、莫大な金を生むビジネスになったりしている。
スポーツが健康にいいのはわかるが、そこまでのめり込むのは、冷静に考えてみると不合理である。
小さいボールを木の棒ではじき返すのがうまかったり、網のついたリングに投げ入れるのがうまくても、本来、いいことは何もないはずなのだ。
そのうえ、それを見て、一喜一憂するのも不合理である。
冷静に考えてみれば、誰が勝とうとも、どうでもいいことではないか?
なお、英語ではEスポーツも、従来のスポーツも、同様にゲームという。
古来からのゲーム、将棋や囲碁、マージャンなども同じである。
合理的なようで、いまいち腑に落ちないのはゴルフだ。
ゴルフにはハンディキャップというものがある。
実力が高いものと、低いものが一緒にプレイするために、同じぐらいのスコアになるように調整するものだ。
しかし、調整しても、結局、競争はするのである。
やったことがないからわからないが、それでどっちが勝っても、勝ったほうがは嬉しくないような気がする。
コースを作って、そこで小さいボールを打って、穴にいれるゲームは、一見面白そうではある。
しかし、何十億もかけてコースを作り、高級なクラブを10本以上も使い分けて、スコア競うというのは、やはり不合理な領域であろう。
不思議なことに、不合理な領域ほど、お金が動く。
何事も初心者の段階では、お金は大して使わないし、産業として、お金が動くこともあまりない。
しかし、トップを決める競技会には、莫大な賞金が付いたり、懸賞金が付いたりする。
道具を使うゲームは道具の値段が青天井になる。
道具のわずかな性能差が、勝敗を決めたりすることがあるからだ。
プロゴルファー猿のように、自ら木を削ってクラブを作るプロはいない(いつもながらネタが古い)。
ちなみに、プロゴルファー猿はクラブを一本しか持っていない。
実に安上がりである。
世の中には、さまざまな職業があるが、不合理な領域に関わる職業の市場規模は、決して小さくないと思われる。
前述のバス釣り、その他、スキー、ゴルフなどはお金を使う趣味だ。
世界的人気のスポーツは、ショービジネスとして、観客、スポンサーなどにより、莫大なお金が動く。
ゲームを作る会社やプログラマーは、今、かせげる仕事の一つである。
生きるために必要でなく不合理なのに、人はのめり込み、たくさんのお金が動いて、メーカーなど、それに関わる仕事を生業とする人もたくさんいる。
これは、よく考えてみると、不思議なことである。