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三宅ノート6

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2016年6月の記事一覧

人工知能のために。

人工知能のために、今、この街にはチャンスがある。東京にはキャラクターが溢れ、本来命のないものに命をみなす感性に日本人は長けている。東京には虚実を乗り越える危うい現実感覚があり、日本にはバーチャルアイドルを社会現象に育てる心意気がある。さまざまな技術はこれら宙に浮かんだ感性と融合し、新しい重さを持つ。人工知能技術のニュースはまるで強化学習のように反復され、ここだけがまるで一足先の未来に行くような浮遊

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行動しつつ感覚を開く。

行動をしながら感覚を閉じることは、
奴隷的な仕事である。

感覚を開きつつ行動する、
行動しながら感覚を開く、

二つは同時であり、それによって、この世界から、
本当に価値のある行動を見い出す。

つまり、それだけが、

感覚を開きつつ行動することだけが、
おまえの世界を獲得する唯一の方法だ。

自分を、超える。

動物が同じ場所をぐるぐる回っても、
そこから抜け出せるわけではない。

どんなに早く走ろうと、
どこかに行けるわけではない。

どこかに行くためには
方法と方向を変えなければならない。

だから、どんなに頭の回転を速めても、
超えられないものは超えられない。

本質的にその領域へと辿り着いていないなら、
頭の回転の問題ではなく、

むしろ、おまえは自分を閉じ込めている
限界の場

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環を超える。

我々が上達するのも、
我々を閉じ込めるのも、

感覚と行動の組み合わせの環である。

それを超えて上達するには、
感覚と行動を同時に変えて、
新しい組み合わせを探さねばならない。

だからこそ、上達は難しい。

逆上がりができるようになるのも、
難しい数学が解けるようになるのも、
国際的に活躍の場を伸ばすのも、

その二つの感覚と行動の組み合わせを
見出すことから始まる。

メタファーと先駆者。

先駆者が世界ではじめてたどり着いた霧に満ちた場所で、

まず行うことは、

メタファーの網を投げ入れることである。

つまり、それまでのパターンがみつからないか、

手さぐりでさぐりあてる。

これは、すべてが明らかになってからは、

滑稽に見えることだが、

これを馬鹿にするものは、

常に他人の背中のあとからしか歩いたことがない。

感覚と行動をつないで一つの環となす。

人生には二つの罠がある。

一つはすべてを知っていると、思うこと。つまり、知っていることが完全に正しく他にはないと思うこと。これは自分を安心させると同時に、狭い世界に閉じ込める。

もう一つは、今自分ができていることがすべてだと思うこと。行っていることが正しく、それ以上はないと思うこと。これは自分を安心させると同時に、狭い世界に閉じ込める。

感覚と行動の環を形成することは、生き物の性質である。

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人工知能を突破する方法。

人工知能という森は、
ぼんやりとした透明な壁があって、

その壁を超えられずに、堂々巡りをするというのが普通で、
それを超えようとするのだけれど、

そこを数理的な原理によって超えるのか(ニューラルネットとか深層とか)、
理論によって超えようとするのか(エキスパートとか、プランニングとか)、
情報処理によって超えようとするのか(ビックデータとか、マイニングとか)、

それぞれの突破に仕

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あかちゃんのせかい。

あかちゃんは、まず世界からぼんやりと対象のまとまりを把握する。

それをじっと眺める。

そして、自分の行動が、それにどんな影響を及ぼすか、を探る。

自分の行動と対象の変化の環を完成することで、
行動を覚える。

世界を見い出す、とは、そういうことである。

与えられたものを。

求めておいて、得たものを尽くしていないとすれば、それは怠惰である。

それがどんなに厳しくても、与えられたものを尽くさないとしたら、

与えられたものは罰となっておまえに襲い掛かる。だから、自分を尽くせ。

求めよ、そして与えられたものを十分に尽くせ。

旅とは。

世界中を駆け巡っても、
自分と向き合えない人間は、
一歩も動いていないのだ。

旅する時間は、
自分と向き合うための空間を作る。

その空間の向こうには、常に自分自身がいる。
過去となり、妄執となる自分を、
向き合い変えることが、

お前の旅を旅とする。

ゲームを貫く流れをつかまえる。

過去から今へ
複数のゲームを貫いて流れる流れを
つかまえるのだ。

それを明文化し、探求するのだ。
それが先達たちの作った歴史の成果の一つであり、

ゲームという最も難しいメディアを探求するには、
その歴史が、ゲームにおいてこそ、
必要であったのだ。

CGとAI

CGは単純な計算を膨大に繰り返して大きなアウトプットを作る。だから絵ができる。

AIは複雑な計算を行って、一つのシンプルなアウトプットを出す。それが判断である。

その情報処理の形が、違うのだ。