とおりゃんせ(小説)
一
公園は屈託なく笑っていた。透き通った青い空に芝生の緑がまぶしく反射し、寄り添うように流れる大河から絶え間なく風が通り抜けてゆく。老人も子供も、男も女も、市民も異国人も、資本家も労働者も、健常者も障害者も、皆別け隔てなく吸収し、人びとの憩いの場となっている。
タケルとシンは噴水の前でジャグリングの練習をしていた。シンは百八十五センチのスラリとした長身で容姿端麗、少女漫画に出てくるヒロインの王子のような顔立ちをしており、それでいてジャグリングの腕前も一級、ボールが宙を流れるように舞う鮮やかなジャグリングの手さばきは行き交う人びとの目を引く。タケルはそんなシンを横目に練習するが腕は初心者レベル、動きがぎこちなく子供の“お手玉遊び”のレベルで足踏みしていた。
「♪あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、船場さ――」
実際タケルはお手玉をする子供のようにわらべ歌を口ずさみながら練習していた。三つのボールを体の正面で操る基本的な技術を何度繰り返しても、歌の途中で決まってボールを落としてしまう。
「ああ、ダメだ」
地面に落ちたボールを拾いながらシンのジャグリングに目をやった。シンは四つのボールを器用に操り、背中に手を回したり、キャッチする手の形を変えたり、多様な技術を駆使しながらボールを宙に舞わせている。
「シンさん、スゴイですね」
タケルは感心したようにシンに声をかけた。
「タケル君も練習を続ければ、同じようにできるようになりますよ」
シンはジャグリングの手を止めずに言った。タケルよりも五つほど年長にも関わらず丁寧な言葉を使う。
「そんなに上手になれますかねえ」
「要は慣れとコツですから。コツさえ掴めば簡単なことなんだけど、コツを掴むためには練習して慣れないと」
「じゃあ、ナンパと同じですね」
タケルがそう言うと、シンはフッと鼻で小さく笑った。
「やっぱり練習が必要だ、続けよう。♪あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ――」
タケルはまたわらべ歌を口ずさみながらジャグリングを始めた。
タケルはシンのことを勝手に“師匠”と思っていた。この公園で知り合い、何となく言葉を交わすようになり親しくなった。シンのどこに興味を引かれたのか、スマートな外見や芸達者なことも一つの要素だが、彼の独特の生き方、――昼は大道芸人、夜はホスト、趣味はナンパ、世間の常識から逸脱しながらもそんな中で器用にバランスをとっている不思議さに引かれた。普通そんなヤクザな生き方をしていると、暴力性、気まぐれ、倦怠感、虚無感、退廃的な空気感――、そういった日常生活の澱のようなものが躰から滲み出てくるものだが、シンは陽気であり、謙虚であり、たびたびご飯を奢ってくれ、誰に対しても友好的、何よりも人生が楽しそうだった。
タケルはそんなシンに憧れ、シンのようになりたかったが、いかんせん百六十センチにも満たない小柄な体格で、顔立ちもギョロリと目が大きく、ちょっとトボけたユルキャラのようで、愛嬌はあっても性的魅力がきわめて乏しかった。外見だけでも派手になろうと髪を金色に染め、耳にピアスをし、ネックレスや腕輪などの装飾品を身につけてみたが、反抗期の中学生の域から出られなかった。
「ね、タケル君、あそこのベンチに座っている女の子、学生ですかね?」
シンはジャグリングの手を止めタケルに耳打ちするように言った。
「彼女、長い時間ずっと本読んでいますね」
タケルもジャグリングの手を止めた。
「いい感じじゃないですか」
「そうですかねえ・・・・。ちょっと元気がなさそうというか、寂しそうというか・・・・」
「だから狙うんじゃないですか」
シンは目を細めた。その目つきは、狩りの対象を入念に見定めているときの目つきである。
「ぼくはもっと元気で溌溂とした娘がいいんですけどねえ。清純派のアイドルっぽい娘がいればなあ」
「そんな中学生みたいなこと言ってないで、確実にナンパを成功させたかったら、ああいう心に穴が開いたような娘を狙わないと」
「確かに・・・・」
タケルも女性をじっと入念に見つめた。
「タケル君、彼女に声かけてみます? きっと上手くいくと思いますよ」
「どうしようかなあ・・・・」
タケルは頭を高速回転させ、彼女に声をかけて話をするイメージを思い描いた。
「軽蔑される予感がしますねえ。嫌な予感が・・・・」
「どうしてですか」
「何となく話が合わないような気がします。出だしからつまづきそうな・・・・」
「ハハハハ、そもそも男と女なんて話なんか合いませんよ。合わないんじゃなくて、合わせるんです。まずは服装であれ、髪型であれ、カバンであれ、相手の何かを褒めることから入ればいいんじゃないですか」
「褒られて嫌がる人はいませんからね」
「あとは自分と相手の“偶然の一致点”を見つけ出し、そのことで話を盛り上げていけばいいだけですよ」
「偶然の一致ですか・・・・。なるほど、そういうのがあると運命的に思えますね」
「そう、そういう演出をするんです。無理に話を続けようとしてストレスを感じるんだったら、相手に話をさせるように仕向けて、自分は聞き役に徹しようとすれば楽になるんじゃないですか」
「なるほど・・・・」
タケルはシンから教えを受けてもすぐに行動に移さず、目をつむってイメージを固めていった。
「あっ、そうだ――」シンはそんな不器用なタケルの表情を眺めフッと思い出した。「タケル君がこの前ナンパしたあの娘の名前・・・・、何ちゃんだっけ? あのカバみたいな娘」
「カバ? ああ、千尋のことですか・・・・」
タケルは言葉を濁すように言った。
「そうそう、その娘。もしかして、彼女と付き合ってるんですか?」
シンが笑いながら訊ねた。
「うん、まあ、何というか・・・・、まあ、お金もくれますし・・・・」
「ハハハハ、タケル君すごいなあ、あの娘と付き合っているとは。それは立派だ」
「でも、いろいろ大変なんです。彼女には問題があって・・・・」
「容姿の問題だけじゃなく?」
「それはもう慣れましたが、性格がムツかしくて・・・・。何だか感情がないみたいなんです。いつも無感情でスマホばかり見て、会話が成立しないというか・・・・」
「それでも付き合っているんでしょ?」
「うん、まあ、一人でレストランに入ると気が引けるから、誰か付き添いが欲しいようなんです。彼女、あの体格だからすごく食べるんですよ」
「ヘエー」
「“食”もそうですが“あっち”も大好きになったみたいで、なかなかスゴくて・・・・。でも、まあ一万円くれるからいいんですが」
「一万かあ、仕事と考えると微妙な額ではありますね」
「うまくいけば二万くれることもありますけど」
そのとき、ベンチに座っていた女性が立ち上がった。
「ああ、行っちゃう。どうしますタケル君?」
「ああ、どうしよう・・・・」
優柔不断なタケルは咄嗟に行動に移せなかった。
「タケル君が行かないんだったら、オレが行きますよ。じゃあ――」
シンは彼女の方へ小走りで向かった。
「ああ、行っちゃった」
タケルは遠くからシンの様子を眺めていた。二人は数分間談笑した後、仲睦まじげに公園を出て行った。どうやらナンパに成功したようである。シンのナンパは技術云々というより美麗な容姿で九十パーセントは決まっているようにも思える。自分もあんな風になりたいものだ。
「次に賭けるか――」
タケルはしばらく一人でジャグリングの練習をつづけながら周りの様子を窺った。タケルがジャグリングをするのはシンの真似をしたいという動機から始まったものだが、もう一つ重要な意味があった。それは、彼が厄介な精神的病を持っており、とにかく躰を動かして何かに集中していないと持病がヒタヒタと迫ってくるのだった。体を動かしながら何かに集中し、さらに異性を求めるというスタイルが精神を安定状態に保つ一番のいい方法だった。
長い時間ジャグリングを練習していたが、日が暮れて公園に人が少なくなってきた。
「収穫ゼロか・・・」
噴水の縁に腰をかけ、――公園内をジョギングする人、ベンチで寄り添うカップル、ヨガをする西洋人、エサを求めて歩きまわる鳩の群れ、風に揺れる木樹の枝葉などをボンヤリと眺めた。夕暮れどきの風景は、一日の幕が下りゆく静かな淋しさが漂っている。
――ああ、どうしようかなあ。帰ろうかなあ。お金欲しいから千尋に連絡しようかなあ。でも、メンドーだしなあ・・・・。
そんなことを考えていたら、不安な感情が少しずつ頭をもたげてきた。
「イヤな感じになってきた・・・・」
次第に目の前の風景が暴力的なものに見え出し、本格的に気持ちが悪くなってきた。
「ダメだ、ダメだ、意識を他へずらさないと」
タケルはソワソワしながら立ち上がり、何か集中できる対象はないかと周りをキョロキョロと眺めた。薄汚れた小太りの老婆がゴミを漁って一輪車に載せているのが目に入った。
――ホームレスだろうか。
タケルは老婆をじっと観察した。老婆は長い白髪交じりの髪を後ろで結び、黒い生地の刺繍の入った上着、長くて黒いスカート、腰にはベルト代わりに荒縄で縛っている。重そうな体を引きずるように、四匹の犬と一緒にゴミ箱からゴミ箱へ歩いていた。
――あんな姿になっても、我々は生きてゆかねばならないんだ・・・・。明日は我が身、いつ自分もあんなふうになるかわからない。
老婆はそのまま公園に隣接する雑木林の方へ消えていった。
――そういえば、あっちは雑木林があるんだったな。
タケルは毎日のように公園に通いながら、雑木林に入ったことも近づいたこともなかった。
――ちょっと行ってみるか。
雑木林の手前までくると公園との境は鉄条網で仕切られ、出入りができないようになっていた。しかし一部網が拡がっている箇所があり、そこから入れるようになっていた。
――婆さんはここから雑木林に入ったのだろうか。おや、この雑木林は太くていい樹が多いぞ。夏場にはクワガタが捕れるかも。これは大発見だ。
知らず知らずのうちに意識が内側から外界の対象に移ったためか、タケルの乱れた精神は安定を取り戻していた。
二
都市計画審議委員会において、市庁舎と美術館の建設が正式に決まった。現在この時期に市庁舎を移転させ建設する必要があるのか、首をかしげるような計画だったが、それも地元の名士である『高山組』の力によるところが大きい。社長の高山と市長は同級生、市議会員の中にも建設関係者が多数在籍しており、高山組としては計画さえ持ち込めば必ず通す自信があった。
高山は社長室に、会社の若手幹部、現場監督を集め、入札前に競合社との談合の準備について話し合った。
「わかってるな――」
高山が一言言葉を発するたびに、部下たちは高山の目を覗き見るように見つめ、緊張した面持ちで肯いた。ワンマン体質の会社なので誰も高山に対し否定的な意見を言わない。
「事業計画書は明日中には俺のところにもってこいよ」
「明日中にですか?」
「当たり前だろ。入札はいつだ? 急いで仕上げないと間に合わないだろ!」
高山は大声で罵倒した。
「はい、すぐに準備します」
「こんなこともすぐにできないポンコツはすぐにクビにするからな」
部下たちは首をすくめて小さくなった。「クビ」と「お前の代わりはいくらでもいるんだ」というのは、高山が頻繁に部下に使う常套句である。二時間もの間、部下たちに言葉を挟まさず怒鳴るようにしゃべり続け、ようやくミーティングが終了した。
高山は社長室に一人になると、新しい事業計画についてのアイディアを固めていくためパソコンにインプットされたデーターと向かい合った。高山は基本仕事が大好きである。現在の“君主”でいられる会社の立ち位置も大いに気に入っている。高山にとって仕事とは“賭博性のあるゲーム”のようなもので、疲れも忘れて没頭できた。ゲームに勝つためにはゲームのルールを熟知していなければならないし、情報をできるだけ集めて分析しなければならない。人脈を広げコネを増やし、資金が集まれば集まるほどゲームは有利になる。深みに入れば入るほど面白さが増し、儲かれば儲かるほどもっと大きな利益が欲しくなった。
この日も高山は仕事を終えると、愛人の彩香の部屋に転がり込んだ。彩香はクラブで一番人気のホステスだったが、高山の金の力になびきプライベートの愛人になった。高山が貢いだものは車や宝石類だけでなく、現在彼女が住んでいるコンドミニアムもそうである。高山は、男にとって愛人とは成功者へのご褒美の一つと考えていた。
「大きな仕事がやっと決まりましたでチュー」
高山はソファーで彩香の躰にもたりかかりながら甲高い裏声を使って言った。彩香と話すときは大抵赤ちゃん言葉を使う。
「よかったわねエ」
彩香は子供をあやす母親のように言った。
「もっと褒めてエ、アヤターン」
「エライわ、ターちゃん、エライ子、エライ子」
大柄な体軀で頭髪も白いものが目立つようになった高山が、小娘のような彩香に頭を撫でてもらい、子犬がじゃれつくように喜んだ。
「今度はどんなビジネチュしようかなあ。もっとオモチロくて、いっぱいお金が儲かることがしたいでチュー」
高山は彩香の豊満な胸に顔をうずめた。
「あ、そうだ――」彩香は高山の頭を両手で押して距離をとった。「そういえば、ターちゃん、仕事が一段落したらどこか旅行に連れて行ってくれるって言ってたじゃない。あれ、いつ連れてってくれるの?」
彩香は高山から財を搾り取れるだけ搾り取りたいと常日頃考えているが、相手は狡猾な大人であるという警戒心も持っており、慎重な付き合いを心がけていた。
「じゃあ、あったかい島にでも行ってバカンチュしまチュか」
「いいわあ。そうだ、プーケットに行きたいわ」
彩香はプーケットがどの国にあるのかも知らなかったが、ホステスの間でよく話題になっていたのでその名称は憧れでもあった。
「でもさあ、ぼくちゃんは仕事が忙しいから、二泊ぐらいしかできそうにないでチュね」
「ええ、五泊ぐらいしないと意味ないじゃん。そんなのバカンスじゃないわ」
彩香は高山の躰を両手で突き放し、攻撃的な視線を向けた。
「アヤターン、アヤターン、そんな怖い目しないで。まだ決まったわけじゃないんだからさ」
「じゃあ、どうするの?」
「今ははっきり返事ができないけど、もうチョイ考えようよ。アヤターン、アヤターン」
高山は執拗に彩香の躰に抱きつこうとした。
「わかった、わかったから放して。あたし、シャワー浴びてくる」
彩香がリビングから出ていき、ポツンと一人になった。一人になると高山の脳裏に妻の貴子の顔が浮かんだ。そういえば、二週間も家に帰っていないし、彼女の方からも何も連絡がこない。いつも自分の方からばかり連絡するから今度は相手から連絡させようと、ずっと連絡を待っていたが何もこなかった。
――やっぱり俺の方から連絡しないとダメか。
テーブルの上に置いたスマホを手に取りラインでメッセージを送った。
『どう? お変わりはないですか? こちらは今日も出張先のホテルに泊まります』
ずっと画面を見ていたが、なかなか“既読”にならなかった。じれったくなりテーブルにスマホを置いてボンヤリしていると娘の千尋の顔も浮かんだ。
「アイツにも――」
スマホを取ったとき妻からメッセージが返信されてきた。画面を見ると、『はい』とだけ書かれていた。
「これだけか・・・・」
千尋には『お小遣いは足りていますか』とメッセージを送ると、すぐに『大丈夫』とだけ送られてきた。どうやら彼女は現在スマホを使っているようなのでつづけてメッセージを送った。
『パパは仕事で毎日慌しく、なかなか家に帰れません。これも家族のためと思って頑張っています。千尋も頑張って勉強して、来年こそは大学に入ってください』
するとすぐに『うん』とだけ返信が帰ってきた。
「これだけか・・・・」
高山は小さく呟き、フウと息を吐いてソファにぐったりもたれかかった。
三
日中でも空は薄暗く、重々しい雲で覆われていた。この日もタケルは公園のいつもの場所、噴水の前にきたがシンの姿はなかった。シンとは電話でもラインでもまったく連絡を取り合わず、この場所にきて直接会うだけである。
「シンさんこないのか・・・・」
雨が降ってきそうな天気を嫌ったためか、周りを見渡しても今日は人が少なかった。人がこなければナンパもできない。タケルは一人でジャグリングの練習を始めたが、集中力がつづかず手を止めた。
「今日は千尋に会うか・・・・」
千尋に積極的に会いたいという気持ちはまったく起きなかったが、会わないと生活できないという切実な懐事情があり連絡をとった。
『会おうよ。公園にいる』
メッセージを送ると、彼女から『すぐ行く』と返信があった。
噴水の縁に腰を下ろしていると、ポタポタと雨が降り出してきた。空模様から察してそれほど大降りにはならないだろうと思ったが、一応屋根のある東屋へ移動しようと立ち上がった。ソワソワと帰宅準備をする人、傘をさして急ぎ足に歩く人、雨に濡れて色を変えゆく地表――、眼球に写る風景がどう精神に影響したのか、心臓に圧迫感を感じだした。
「ああ・・・・」
精神的病が発動し始めた。このままじっとしているとネガティブな感情が激しくなる。
「動こう・・・・」
タケルは迫りくる不快な感情から逃れるため早足で歩いた。激しく躰を動かして魂を落ち着かさなければならない。東屋へ向かったつもりだがどういうわけか雑木林の前にきた。
――そうだ、夏場に入る前にクワガタ虫捕獲のための下見をしておこう。
タケルは鉄条網をくぐり抜け雑木林へ入った。雑木林は公園と同じように川に沿うように広がり、面積は公園の四倍以上ある。奥へ入って行くと車の音や人の声がすっと消え失せ、野鳥の鳴き声が静けさをより際立たせるように響いていた。清浄な空気と森に蠢く生命たちのざわめきを感じ、タケルの不安定な精神はすっと安定を取り戻した。
――嵐が去ったようだ。オレの心はこういったナチュラルと相性がいいのかもしれない。
大きく手を広げ深く呼吸をすると、心が洗い流されたような爽やかな気持ちになった。
「ああ、気持ちがいい。さあ、調査を始めよう。クヌギがあればいいんだけど。でも、この広さだからすべての木を調べようと思ったら一日ではできそうにない。何週間か時間がかかりそうだ」
暇な毎日を送っているタケルにとってこの雑木林は愉快な遊び場に思えた。わらべ歌を口ずさみながら雑木林をうろついた。
「♪どんぐりころころドンブリコ、お池にはまってさあ大変、どうじょうが出てきてこんにちは、坊っちゃん一緒に遊びましょ――」
タケルは現代の歌謡曲で歌詞を見ずに歌える曲は一つもなかったが、わらべ歌だけは歌うことができた。女子を誘う場としてカラオケは欠かせないことを悟り、いろんなジャンルの音楽を聞いたり、歌詞を覚えたりしてみたが、結局のところどの曲も馴染むことができず、口から出てくるメロディーといえば幼いころ聞いたわらべ歌ばかりだった。
「あった!」
しばらく歩きまわると、早くも一本の大きなクヌギの木を発見した。一瞥しただけでクワガタの憩いの場になりそうなことを直感した。
「こんな立派な木があったんだ」
タケルはクヌギの木の幹をさすりながら呟いた。一本あるということは必ず他にもあるはずだ。
「あれ、なんだあれは?」
人の手垢のついていない原生林の森の中を歩いていると思っていたが、前方に青いブルーシートがあるのを目にした。ここは都会の一角であるので人工物があって当然だが、濃い自然を眺めた目でブルーシートを見るとすこぶる場違いなものに見えた。そちらへ向かって歩を進めていくと、気の荒そうな野犬が十匹以上寝そべっているのが見えた。
――引き返そうか。
嫌な予感がし足を止めた。しかし、一匹の敏感な犬がこちらの気配に気づき、キッと視線を向けてきた。
――マズイ。
その瞬間、犬は獰猛に吠えながら一直線に走ってきた。
「咬まれる!」
タケルは近くにあった木によじのぼった。自分でも驚きだが、考えられないほど素早く木にのぼれた。下を見下ろすと犬が数匹集まり、こちらに向かってワンワン吠え立てている。タケルは蝉のように木に張り付きながら、「早くどっかへ行け」と念じた。
「アイ、アイ!」
そのとき犬を叱りつけるようなしゃがれた声がした。その声を聞いた凶暴そうな犬たちは急に大人しくなり、しょんぼりしたよう様子で退散していった。
「助かった・・・・」
タケルは木から下りてブルーシートの方をじっと見つめた。そこにはリヤカーにダンボールや空き缶を積み下ろししている黒服の老婆の姿があった。
――この前公園で見かけた婆さんだ。あのブルーシートのテントは彼女の住まいなのか。でも、こんなところに一人で住んでいるんだろうか? あの犬たちは全部婆さんの飼い犬なんだろうか?
凶暴そうな犬たちは性格が変わってしまったように、老婆のそばでノンビリと平和な様子で寝そべっていた。タケルは老婆から十メートルも離れていないところに近づいたが、老婆はタケルの方を見向きもしなかった。しかしその雰囲気からして、敵対心から意識的に無視しているという感じでもなさそうである。老婆をよく観察すると目が不自由ならしく、閉じているのか開いているのかよくわからない細い目つきをしていた。膝か腰かも悪いらしく、バランスの悪い傾いた歩き方をしていた。
タケルは老婆に興味を持ち、一言だけでも挨拶しようかと近づいていった。
「――あっ」
ポケットのスマホが震えたので足を止めた。画面を見ると千尋からの『どこ?』というメッセージだった。
――なんだ、もうきたのか。
タケルは『すぐ行く』と返信し、老婆に挨拶するのを諦めた。踵を返してもと来た道を歩き出ししばらくすると、老婆のことがふと気になって後方を振り返った。犬に囲まれながら生活する彼女の小さな姿が縄文時代のご先祖様のようであり、人間に化身した森の精霊のようにも見えた。老婆の姿をしばらく眺めていたかったが、千尋のことが気になり歩き出した。
雑木林を出て公園に入ると一瞬で時空を超え、現代世界に瞬間移動したような気持ちになった。雑木林では空が樹木の枝葉で覆い隠されていて気づかなかったが雨足は強くなっており、公園には誰も人がいなくなっていた。噴水の前に黒っぽい傘を差した太った女が一人、ポツンと影のように立っていた。タケルが近づいていくと千尋は気配に気づき、スマホから顔を上げた。
「どこにいたの? 濡れるわよ」
傘のないタケルにそう言い、またスマホに目を移した。タケルは、原生林のような雑木林にいたこと、犬に襲われそうになったこと、不思議な老婆がいたことなど、いろいろ話して聞かせたいことがあったが、千尋の虚ろな表情を見ると話そうという気持ちが一瞬で失せた。彼女は自分のことをほとんど何も話そうとしないし、タケルのことに関しても何も訊ねてこない。感情が表に出ず、顔にのっぺりとお面が張り付いているかのようである。彼女が興味のあることはゲームとアニメだけで他のことにはまったく関心を向けず、タケルが好きなクワガタなんて一本のうぶ毛すらも反応を示さなかった。
「お寿司食べに行くわよ」
千尋は表情を変えずにスマホを見ながら言った。
「ラーメンがいいなあ」
タケルはなんでもよかったが、相手の反応が見たくて言ってみた。
「お寿司がいいわ。一人じゃ入りづらいから。それにお寿司の方が高いんだよ」
千尋はタケルを見ようともせず歩き出し、タケルはトボトボと彼女の後ろをついて行った。
「今日も予備校休んだのか?」
タケルは、黙って歩いているのが気まずく感じれられ声をかけた。
「まあね」
話が拡がらない。
「寿司食べた後、どうする?」
「どうでもいいよ」
「なんか甘いものでも食べる?」
「そうね」
「それから?」
タケルは千尋の顔の前に自分の両手を持って行き、左手で筒を作り、右手の人差し指を筒に入れ、それを上下に動かしながら怪しげな笑みを向けた。千尋はタケルと一瞬目を合わせ、
「スケベ」
と言い、ヒヒヒヒと笑って初めて感情を出した。
四
市庁舎と美術館建設の公共事業は予定通り高山組が落札した。『落札』の報せを聞いた高山は、落札して当たり前の出来レースだとは承知していても、荷が下りたような気持ちになった。部下に対しては、同時に並行して進んでいる業務もあるし、新たなビジネスプランもある。それに競合他社との争いも熾烈なんだから、一段落着いたからといって立ち止まってなんかいちゃいけない、と緊張感を持たせておいた。
「さて、今後どうやってさらに会社を拡大していこうか――」
高山の野望は留まることなく、この日も忙しく過ごした。終業後は若手の幹部数人引き連れ、高い酒を飲み回りストレスを発散させた。
――たまには帰らないとなあ。
部下たちと別れた後、いつも通り彩香の部屋へ行きたかったが、今日は妻・貴子の顔がどうしても頭から離れず彩香の部屋を諦めた。週に一度は自宅へ帰らなければいけないとは思っていても、ついつい日が流れていってしまう。高山は妻には何も連絡を入れずにフラリと家に帰った。時刻は十一時を回っていた。
「ただいま帰りました」
玄関の重いドアを開けて挨拶したが誰からの返事も返ってこず、中はシンとしていて人の気配が感じられなかった。高層ビルの最上階にある新しいコンドミニアムは防音設備がしっかりしているので無音状態でもおかしくないのだが、あまりに静かすぎるというのも考えもので、いささか侘しい気持ちになる。この高層ビルも高山組の建築物で、街一番の高い建物である。家族三人には広すぎる間取りで、すべて黒を基調とした洒落たデザインとなっている。
「ただいま」
もう一度小声で言いながらリビングに入ると、娘の千尋がソファーに寝そべりながらスマホを眺めていた。テーブルの上にはスナック菓子とジュースが散乱している。
「あれ、ママは?」
高山はいつも交わされているような何気ない口ぶりで訊ねた。
「いない」
千尋はスマホから目を離さずに言った。
「いないってどういうことですか。どこかへ出かけたのかな?」
高山は娘と話すとき、教育上の理由で敬語を使っている。
「ううん、まだ帰ってきてない」
「帰ってきてないかあ・・・・。じゃあ、千尋は何を食べたんですか?」
「友達とお寿司食べた」
「そうかい、そりゃあ豪勢ですね。美味しかったですか」
「うん、まあね」
「千尋、大切なお友達にはご馳走してあげてもいいんですよ。人間関係は大切ですからね」
「うん、友達はお金なさそうだからいつも奢ってあげてるよ」
「おお、そうですか。千尋は寛大な精神を持っていますね。パパに似たところがある、ハハハハ」
千尋は父親との会話が面倒くさくなり、ソファーから重たそうに躰を起こし、何も言わずにリビングから出て行った。高山は千尋の背中に向かって、
「おやすみ」
と声をかけたが、千尋からは何も返ってこなかった。
リビングに一人になった高山は小腹が空いたのを感じキッチンへ行った。流し台やコンロはピカピカ光っていて普段使っているという様子はない。流し台の上の扉を開けてみたらカップラーメンがどっさり入っていたのでその一つを取り出した。
リビングでラーメンをすすりながらテレビのニュースを見ていると、貴子が何も言わずにリビングに入ってきた。貴子は高山が帰ってきているとは想定していなかったので一瞬驚いたが、感情を表に出すと怪しまれると思い、意識的に平静の表情を取り繕った。
貴子は高山より一回り以上若い妻で、四十二歳にしては見た目も若く見える。そんな妻がこんな夜遅くまで何をしていたのか、胡乱な店で飲み歩いていたかと思うと、高山としては腹立たしくもある。高山は「どこで飲んでいたんだ?」と問い詰めたい衝動に駆られたが、自分自身も二週間以上も帰っていない弱みがあるのでそれをぐっとこらえ、「ゴホン」と咳払いをして貴子から目を逸らした。
貴子は高山の腹のうちを読み取ったように、
「PTAの会合よ」
とだけ釈明し、ダイニングの椅子に腰を下ろした。椅子に座るといま口に出した言葉“PTA”は、千尋はいま予備校生なのでおかしいことに気づき、どう訂正しようか高山の顔をチラリと覗きこんだが、無表情でカップ麺をすすっていていたのでそのことに触れるのをやめた。
「貴方は毎日どこへ出張へ行ってたんですか」
貴子は自分のことをあれこれ訊ねられるのを避けるため相手のことを訊ねた。
「事業計画が大きくなって、いろんな人に会わないといけないんです」
高山は真面目くさったように言った。いつのころからか、どういうきっかけか、夫婦の会話も互いに敬語を使うようになり、家の中でも他人行儀である。
「事業計画ってどんなことをなさるおつもりですか」
貴子が感情のこもっていない調子で訊ねた。
「公園の横にある雑木林があるんですが、あそこに市庁舎を移転するんです。その工事をうちが受け持つことになってね。大きな仕事ですよ」
高山は言葉のうちに“男は仕事をしてなんぼ、それが男の甲斐性なんだ”ということを込めて言った。
「それはよかったじゃないですか」
貴子は椅子から立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出しながら冷淡に相槌を打った。
「さっきのことだがね、PTAってなんだ?」
「えっ――」
貴子はもう流されたことだと思っていたが、高山がぶり返してきたので少し驚いたが、もう頭がすっきりしていたのでいくらでも弁明できた。
「PTAってね、以前のPTAのママたちの寄り合いなんです。子供の教育について情報交換をつづけましょうって定期的に集まっているんです」
「そうか、そういうことですか」
――あっ、千尋のこと。
貴子は高山に言っておきたかったことを思い出した。
「この前予備校から電話があって、千尋の出席率が悪いんですって」
「学校に行ってないのか」
高山は娘のことになったら真剣な口調になった。
「思春期の難しい年頃だからあんまり言うと反抗するかと思って問い詰めはしないんですが、ちょっと素行が心配なんです。カード会社から送られてきた領収書を見たら、お金の使い方が荒くなっているし」
「さっき、ちょっと話したんですけど、友達にご馳走しているとか言ってましたね」
「どうやら最近彼氏ができたみたいで」
「えっ、彼氏、千尋がか?」
高山はまったく予期していなかったことを言われ、声がうわずった。
「あたしに直接報告してきたわけじゃないんですけど、最近、短いスカートを履いたり、ブーツを買ったり、ちょっと色気づいてきてるみたいなんですよ」
「それだけなら彼氏ができたとはいえないじゃないですか」
「女同士だからわかるんですよ」
「そうなのか・・・・」
高山の心境は複雑だった。千尋は幼少の頃から病弱で喘息持ち、そのためか運動も勉強も全然できなかった。容姿も妻に似れば美人になれたのだが、そこは自分に似てしまって四角い大きな顔をして目つきが悪い。体格も、運動をしないで食べてばかりいるから肥満体である。そんな娘であっても親としては可愛いし、現代医療にかかれば、金さえ出せば整形でもなんでもして、モデル風でもアイドル風でもなんでもなれる。だから娘の恋愛問題なんてまったく無関心だったが、いざ彼氏ができたと聞くと動揺した。彼氏ができるなんて遠い将来のことだと思っていた。チャラチャラした軽薄な男だったら、「すぐに別れなさい」とか言って厳しくしたいところだが、娘が自力で捕まえたその彼氏とやらと仲良くして欲しくもある。
「千尋が彼氏ねえ・・・・」
高山は、貴子が夜遅く帰ってきた腹立たしいことなどすっかり忘れ、千尋のことばかり気になった。
五
タケルは、老朽化したアパートの一室の古畳の上にゴロリと横になりながらコクワガタの背中を撫でていた。コクワガタの黒光りした表皮、曲線上のフォルム、丸く愛くるしい目、幼少時代に植え付けられたクワガタ虫にたいする情熱は二十代になってもまだ消えることはなかった。狭い室内には持ち物が少なく、冷蔵庫もテレビもないが、クワガタ虫を飼育する透明のケースは三つ並んで置かれている。去年初めてブリーディングに成功し、二世がもうすぐ成虫になりそうで、親の世代も冬越しに成功した。今年は是非ともオオクワガタを捕まえてブリーディングしたいと考えている。
「あっ、電話」
躰が弛緩しているときに突然スマホが鳴ったのでちょっと驚いた。画面を見たら母親からだった。
「もしもし、どうしたの?」
電話に出た。
「どういうわけでもないけど、元気でやってるか、ちょっと声が聞きたくなってね」
「まあ、ボチボチだね」
タケルは母親に心配をかけないようあいまいに答えた。
「仕事は決まったかい?」
「まだ探している最中、自分に合いそうなのがなかなかなくて・・・・」
タケルはどんな仕事に就いても二、三か月しかもたない。忍耐強くつづけようと思っても精神が暴動を起こし、自家中毒するように疲労困憊して辞めてしまう。この町に来たのも『介護の住み込みバイト』という職だったが、それも二か月で辞めてしまい、それ以後職に就くことなく何とかヒモで喰いつないでいる。明日の見えない毎日だが、ヒモとして生きていくことだけが唯一自分が生きていける道のように思え、自分ではそれなりに満足していたが、そんな無頼な生き方を母に理解してもらうよう聞かせることは困難だった。
「まだ、体調はよくならないのかい?」
「うん、自分一人でいる分には落ち着いているけど、外に出て世間と接触すると気持が悪くなる」
「お医者さんはどういうんだい?」
「ストレスを溜めないようにって、一応薬ももらってるんだけど、あんまり効かないね」
「無理しちゃ駄目だよ。お金送ろうかい?」
「要らないよ、どうにかなってるからさ」
タケルは母の申し出を断った。母はタケルが小学生の頃に離婚し、女手ひとつで育ててくれた。現在、母はパートの仕事をしているが、その収入だけでは彼女一人が生活していくのに精一杯のはずで、そんな母に甘えたくなかった。
「今にいい仕事に就いて、こっちからお金送るから心配しないで」
「そんな強がったこと言わないで、その前に体の方をきちんとよくしないと。とにかく健康にだけは気をつけておくれよ」
「うん、大丈夫、少しずつよくなってるからさ――」
電話を切った。何もできない自己の無力さにいたたまれない気持ちになった。
「仕事かあ・・・・」
ゴロンと横になり天井を眺めながら考えた。現代の労働形式――、何曜日から何曜日まで、何時から何時まで、そのような時間の檻をイメージしただけで息苦しくなり正常な意識ではいられなくなる。原始時代の狩猟採取生活のような“今”に埋没できるような仕事、腹が減ったら狩りに出かけ、腹がくちたら寝て過ごすような自然と一体になった生活、そんな生き方はできないものかとボンヤリと考えた。
――シンさんは自由に生きていてイイなあ。同じようにホストというのはできないだろうか。普段はナンパの話しかしないけど、仕事の話や精神疾患の悩みを真剣に打ち明けてみようか。
タケルはクワガタ虫をケースに入れ、部屋を出た。いつものように公園の噴水の前へ行くと、シンはヒッピー系外国人に囲まれ、愉しげにジャグリングをしていた。タケルはシンのそんな姿を見ると仕事の悩みなんてどうでもいいように思え、またナンパのことしか考えられなくなった。
「ウフフフ――」
タケルは笑みを浮かべながらシンに近づいた。
「あっ、タケル君、どうしたんですか、嬉しそうな顔して。いい娘でもひっかけたんですか?」
シンはジャグリングの手を止めて言った。
「そういうわけじゃありませんが、ウフフフ。シンさんの方こそ、外人に囲まれて、今日の獲物は決まりましたか」
「八割方はしぼりましたよ」
シンは目を細めて妖艶に笑った。
「成功しそうですか?」
「まあね、フフフ」
「狙った獲物は逃さない。いつもスゴイですね、シンさんは」
「ちょっとしたテクニックですよ」
「シンさんはナンパが面白いですか?」
「どうして?」
「百パーセント獲物を仕留めるようになると、逆にナンパが面白くなくなるような気がして」
「もちろん、面白いですよ。面白くなくっちゃつづきませんよ。私にとってナンパは“狩り”というより“ボランティア”みたいなものですから、成功したらしたで嬉しいし、失敗したってどうってことないし、ハハハハ」
「ボランティアってどういうことですか?」
「ボランティアっていうのは――、この不条理な社会システムの中で真面目に生活していたらどこかかしか頭がおかしくなるでしょ。分裂気味になったり、落ち込んだり、自暴自棄になったり。そんなふうに病んでしまった哀れな娘を自然の本来の姿、正常な状態に戻してあげる。それが私にとってのナンパなんですよ」
「邪心は一切ないんですか」
「ないことはないですけどね、ハハハハ。でも、性欲を満たすための“狩り”という野蛮な気持はないですよ。あくまで相手を癒やすための愛と平和の奉仕活動だと思ってますから、ハハハハ」
シンは陽気に笑いジャグリングを始めた。タケルはシンのジャグリングをしばらくニコニコしながら黙って見つめ、悩みを打ち明けようかどうしようか考えた。
「シンさんは仕事と趣味が両立していていいですね」
タケルは唐突に言った。
「仕事と趣味?」
シンはまた手を止めて、タケルをまじまじと見つめた。
「タケル君の方こそ、いいスポンサー見つけてうまく喰いつないでるじゃないですか。ぼくなんか恥知らずなホストなんかやってますが、やらないで生きてゆけるならその方がいいですよ」
「ホストは大金を稼げるんじゃないですか」
「稼ぐこともできますが、魂を売り渡さないといけませんからね」
「シンさんは魂を売り渡したんですか?」
「さあ、どうでしょう、自分では売り渡していないつもりでいますが、日々やってることは詐欺師みたいなものですからね。客も客でいかがわしいのが多いですが、そんな輩に高い酒を飲まして、大ぼら吹いて金をむしり取る。マトモな人間が足を踏み入れる世界じゃないですよ。こんな世界に長くいたら、気が狂うか、人格が破壊されるか、どっちかじゃないですか」
「シンさんは正常を保っていますよ」
「ぼくはお金だけが目的じゃないですから。それは人間観察の場であり、心理実験の場であると思ってますから」
「さっき言ってた“自然の姿に戻してやるボランティア”と“ホスト”は両立できないんですか」
「できないですね。ホストクラブは経営者が身銭をはたいて作った場ですから。そこは経営者の世界で、独自のルールや慣習、序列があって、自分の好きなようにはさせてくれません」
ホスト界の実情を聞いても尚、タケルは直接訊いてみたかった。
「ぼくにホストはできそうにないでしょうか?」
思い切って言った。
「近づかない方がいいでしょうね」
シンは強い目線を向けてあっさりと返した。
「実は、正直言うと、ぼくは全然お金がなくて・・・・。何かやらないと、とは思ってるんですが、精神的な問題も抱えていて普通のことが何もできそうになくて・・・・」
タケルの顔から笑みが消え失せ、それに代わって深い翳りが覆っていた。シンは、タケルが胸に秘めていた気持ちを吐露してきたことに気づき、慈悲深い眼差しを向けて言った。
「人生は自分が思うようにコントロールなんかできないですよ。私も含めて誰もが。タケル君にはタケル君の人生の流れがあるはずだし、私には私の流れがある。焦らず、不安がらず、ただ自分を信じて、それに乗っていけばいいんじゃないですか。なるようになるし、なるようにしかならないし。無理に自分の流れ以外のところに乗っかっても碌なことにしかならないですよ」
「そうですか・・・・」
そのとき、ヒッピー系の外国人女性が二人の会話に入り込んできた。シンと女性は英語で会話し、タケルはまったく理解できず一人取り残された。しばらく話していたと思ったらシンはその女性の肩に手を回し、二人揃って歩き出した。この状態だけ見ると二人は数年来の恋人同士に見えるが、ついさっき出会ったばかりであろう。公園を出ようとするとき、シンはくるりとタケルの方を振り返って小さく片手を上げ、ちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「いっちゃたかあ・・・・」
シンがいなくなると、タケルは噴水の縁に腰を掛けボンヤリとした。日曜日ということもあって公園には人が多く、国籍、性別、年齢を問わずいろんな人がいた。ここにいる人たちにもみんな家族がいて、友達がいて、なにかしらの仕事をしてお金を稼いでいる。タケルは何だが自分一人だけが世の中から取り残された孤独な存在に思えてきた。
「ああ、気持が悪い」
心が向かうべき対象を見失って宙ぶらりんになると、すぐに精神異常の兆候が現れ始める。
「雑木林に行こう」
前回、雑木林に入ったら心が安定したことを思い出し、足早に歩いた。鉄条網をくぐり抜け雑木林に入り数分も歩いていると、不安定だった精神はすっと落ち着きを取り戻した。
――ここにくるとどうしてよくなるんだろう?
タケルは老婆のいる方へ歩いて行った。なぜだか一度も言葉を交わしたことのない老婆に無性に会いたい気持ちだった。孤独な人は孤独な人に引きつけられるのだろうか。
「あった、ブルーシートだ」
老婆の住んでいるブルーシートまで迷わずたどりつけた。ブルーシート付近を見回すと木の生えていない一画があり、その真ん中にポツンと球形の岩があった。岩は腰の高さより少し高いぐらいの大きさで緑の苔に覆われている。老婆はその岩に向かって手を合わせていた。
タケルは十数匹の犬が寝そべっている間近をおっかなびっくり通り過ぎ、老婆の真後ろへ近づいた。ちょうど祈りを終えた老婆が振り返ったが、老婆は視力がそうとう悪いらしく、真後ろに立っていたタケルに気づかずに横にいる犬の方へ歩き出した。
「お婆さん――」タケルは躊躇することなく声をかけた。「この前は犬に襲われそうになったとき助けてくださり、ありがとうございました」
老婆は何も答えず、目を細めてタケルをじっと見つめた。しばらく間をおき、
「わかるからね」
と聞き取りにくい声で言い、微妙に表情を緩ました。
「わかるから? 何がわかりますか」
「人間よりか犬の方がお利口だから、フハハハ」
タケルは老婆の言っている意味がわからなかったが、老婆が心を許してくれたように笑ってくれたので安心した。
「お婆さんがお祈りしていたこの岩は何なんですか?」
「これかい?――」老婆は岩の方を振り返った。「感じないかい?」
「感じる? 何をですか」
「感じるだろ?」
「へっ? どういうことですか」
「触ってもいいんだよ」
「この岩に触るんですか」
「やさしく触るんだよ」
「はい――」
そっと手を触れるとひんやりとした岩から微細な電流のような振動を感じ、手を引っ込め両手をこすり合わせた。
「なんか怖いですね」
「フヒヒヒ、わかるかい。興味本位でご神体に触るだけじゃあ罰が当たるから、今度はきちんと手を合わせてお祈りしなさい。とくに坊やは憑かれやすいから」
「坊や? 疲れやすい? 確かにぼくは疲れやすいですが・・・・」
健康上の問題を指摘されたと合点した。
「憑かれるから、いつも苦しくなるんだよ」
タケルは老婆が“疲れる”ではなく“憑かれる”と言っていることに気がついた。
「苦しくなるのは何かがぼくに取り憑いているからですか」
「ああ、そうさ。敬意を持ってお祈りして祓ってもらいなさい」
「はい」
タケルは、何かが起きそうな予感がし興奮した。目を閉じて手を合わせしばらくお祈りしていると、背中が暖かくなるような感じがした。
「フウー」
タケルは祈りを終え、息を吐きながら閉じていた目をゆっくり開いた。視界が祈る前より格段と明るくなっていた。
「ああ、明るくなりました! それに頭がスッキリしています」
「そうかい」
「躰も軽くなった気がします。もしかして、憑き物がとれたんですかね?」
「大分、とれたようだね」
老婆はタケルの額をぼんやり眺めながら言った。
「ヘエー、こんなことがあるんですか――」タケルは感心したように呟き、岩をまじまじと見つめながら言った。「お婆さん、ご神体ってどういうことなんですか?」
「ご神体? ご神体とは、あの世への入り口のことさ」
「あの世への入り口・・・・」
「魂はこの世とあの世を行き来することを通して、啓示をもらい、力をもらい、成長していくものさ。神様もここを通ってこられ、我々を守ってくださってるんだよ」
「そうですか」
「でも、助けてくれるだけじゃない。ときには呪い、災難に遭わすこともある」
「恐ろしいですねえ」
タケルはまじまじと老婆を見入った。最初に受けた印象通り、この人は本当に精霊の化身じゃないかという気持ちがした。
「もしかしてこの雑木林、この一帯は特別な場所ですか」
「わかるかい、そうだよ。ここは特別、神性な土地さ。魂や精霊が眠り、人々の邪気を浄化してくれる場所。感じられる人は感じるはずさ。坊やも感じるかい?」
「雑木林に入ると、混乱した心が不思議と安定します」
「やっぱり坊やはここに呼ばれたんだよ。自分でここに来たんじゃなくて。ここで魂を浄化しなさいって――」
老婆はここまで話すと目をつむり急に黙りこんだ。タケルは老婆の様子が変わったことに気づきしばらく静かにしていると、次の瞬間、老婆はカッと目を見開き、急に怒気のこもった声で言った。
「神聖な土地に危機が迫っている。恐ろしいことだよ」
タケルは驚いて老婆の目をまじまじと見つめた。
「危機って?」
「危機だよ、存亡の危機だよ、悪い奴が攻めてくる。あたし一人でもここをなんとか守らなくちゃ」
老婆はよろめきながら歩いてご神体の岩に近づき、再び祈り始めた。老婆の祈る後ろ姿には崇高さとただならぬ迫力があり、タケルはしばらく釘付けになってその姿を見つめていた。彼女が何を言いたかったのかもっと詳しく聞きたかったが、祈りが終わりそうになかったので、何も告げずにその場からそっと立ち去った。
六
高山と現場監督と役所の担当者の三人は、市庁舎移転予定地の雑木林へ現地調査に入った。雑木林の周囲は鉄条網で囲われていたので、市の担当者はペンチでその一部を切って彼らを通した。高山は市の担当者に訊ねた。
「どうして鉄条網が張られているんですか。別にこんなところへ入ったって何も問題がないように思えますが」
「ここで毎年自殺者が出るんですよ」
「自殺者ですか」
「林に入って首を吊る人が多くて、市としても何か防止策をと、一応鉄条網を張って入れなくしたんです」
「知らないところでいろんなことが起きているものですな、ハハハハ」
「関係があるかわかりませんが――」市の担当者は声を潜めるように言った。「郷土資料によるとこの一帯、昔というか古代ですね、祭祀を執り行う宗教的な場所だったらしいんです。公園を作った五十年前、雑木林の四分の一ほど伐採したんですが、そういう因縁のある土地だから、地元のお年寄りたちが開発に猛反対して騒動が起きたみたいなんです。私はもちろん生まれる前ですから、当時どういう状況だったかは直接はまったく知りませんが」
「そんなことがありましたか。私は今年五十五なんで、その時はもう生まれていますが、全然そんなこと知りませんでしたねえ。そんな迷信みたいなことを信じて反対なんかせず、開発してきれいになった方がいいと思いますが、ハハハハ」
高山は鼻で笑って言った。
「奥へ行きましょう」
林の中を進んでいくと鬱蒼とした木樹の重圧を感じ出した。
「探検にきたような気分だ。虎でも出そうですなあ」
高山は冗談を言った。
「もちろん虎は出ませんが、野犬が出るって住民から苦情が寄せられたことがあります。一応、熊よけのものですが、催涙スプレーを持ってきました」
市の担当者はカバンから催涙スプレーの缶を出して見せた。
「用意がいいですなあ。まあ、これだけ深い森だと、そりゃあ何か動物もいるでしょう。おやっ、太くて立派な樹だ。高く売れそうだ」
高山は樹の幹を撫でながら現場監督に言った。
「今後の予定だが、来週に着工し、一週間以内に更地にしてしまおうか」
「一週間ですか・・・・。ええ、なんとか・・・・」
「何を渋ってるんだ。できるだろ、十ヘクタールしかないんだから」
高山は部下と話すときは威圧的な口調になる。
「ええ――」
現場監督は高山の言葉に従うしかなかった。
三人はさらに奥へ入って行くと、遠くから犬の鳴き声を耳にした。
「やっぱり野犬がいますね。催涙スプレーを持ってきて正解だった」
市の担当者が言った。高山は落ちていた太い木の枝を拾い、
「犬公がきたら、これでブンなぐってやりますよ」
と強気に言って笑った。
――ワン、ワン、ワン
恐ろしい形相の犬の群れが三人に向かって近づいてきた。
「わ、わ、わ」
高山は実際の野犬を前にするとその迫力に後ずさりした。
「あっちへ行け」
市の担当者がスプレーを噴射すると、犬たちはそれを目に受け、悶えるように苦しがった。
「気をつけてください。横からもきてますよ」
「危ない! そっちからも」
スプレーをあっちこっちに噴射したが犬は次から次とやってきた。
「こりゃ、退治しきれません。今日は撤退しましょう」
市の担当者が叫ぶように言った。
「ああ、そうしましょう。怪我しちゃ損だ。保健所で野犬を一掃してもらってから出直しだ」
三人が後戻りしようとしたとき、黒い服の老婆が鬼のような形相で足を引きずりながら駆けてきてしゃがれた声で叫んだ。
「ここはアンタたちのくるところじゃない。入るな!」
三人は一瞬、山姥が現れたのかと思った。
「何だ? この婆さんは?」
「ここは神聖な土地だ、出て行け!」
老婆が叫ぶと、犬たちも同時に興奮し、鋭い牙を向け吠え立てた。
「とにかく逃げよう」
高山は一目散に駈け出した。現場監督は木の棒を振り回しながら走り、市の担当者は襲ってくる犬にスプレーをかけながら走った。
「痛っ――」
逃げ遅れた現場監督が脚を咬まれた。
「離れろ、向こうへ行け」
棒で叩くやら蹴飛ばすやら殴るやらして追い払ったが、雑木林から公道へ出るころには脚が血まみれになっていた。
「救急車だ、救急車」
血だらけの現場監督は病院に運ばれた。高山は最初に逃げたので無傷で済んだ。
七
シンがいつものように公園でジャグリングをしていると、タケルが軽やかな足取りでやってきた。いつもはどこか疲れたような表情をしているのに、今日は風呂あがりのようにさっぱりしている。
「♪ずいずいずっころばしゴマみそずい、茶壺に追われてトッピンしゃん、抜けたらどんどこしょ、俵のネズミが米喰ってちゅう、チュ、チュ、チュ――」
タケルはシンのジャグリングに合わせながら頓狂な声で歌い出した。
「プッ――」シンはタケルの歌に思わず吹き出して手を止めた。「タケル君、今日は調子がよさそうですね」
「フフフ、実は奇妙な体験をしたんです」
「奇妙な体験って?」
シンは興味深げにタケルの顔を覗きこんだ。
「信じてもらえるかなあ・・・・」
「何ですか?」
「深い深い森の奥、不可思議なお婆さんに会ったんです」
「何の話ですか? 夢? 漫画? 妄想?」
「そうじゃなくて、現実です、ノンフィクションです。森の中でお婆さんに“あの世”へ手を引かれ、憑き物を落としてもらいました。そうしたら目の前が明るくなって、こんな感じになりました」
タケルは笑いながらスキップをしてシンの周囲を回った。
「それはスゴイですね――」シンは感心したように言った。「で、そのお婆さんと会った森の中って、実際どこなんですか?」
「この近くですよ」
「この近くに?」
「シンさんも見たことがあるかなあ・・・・、あの雑木林にいるお婆さんです」
タケルが公園横の雑木林を指さした。
「ああ――」シンが思い出したように目を丸くした。「もしかして、黒い服着て犬連れてる変な婆さん?」
「そうそう」
タケルは笑った。
「あの婆さんに・・・・、よく接触しましたねえ」
「クワガタを捕るための調査をしようと思って雑木林に入ったんです。そしたら偶然出会いました」
「でもあの人・・・・、何だか薄気味悪いでしょ。よく話しかけましたね」
「ぼくはそういうのあまり気にならないんです。むしろ普通の人より、ああいう人の方が話しかけやすいぐらいです。話してかけてみたら、やっぱり普通の人と全然違った感触があって」
「さすがタケル君、勇気があるなあ。で、婆さんって、どんなことを話すんですか?」
「どんなことって・・・・、そうですねえ・・・・、雑木林は神性な場所だって言ってましたね」
「神聖な場所ねえ・・・・。確かにあそこは特殊な空気感がありますね。陰気臭いからあまり入りたくないですけど」
「お婆さん、毎日“ご神体”という岩にお祈りしているんです。その祈りの姿は崇高で迫力がありましたよ」
「ヘエー、興味深いなあ」
「シンさんも憑き物を落としてもらいますか。紹介しますよ」
「それは面白そうだ。是非連れて行ってください」
シンは好奇心旺盛で何にでも興味を持つ。タケルはシンを連れて雑木林へ向かった。鉄条網をくぐり抜けるとき、この前はなかった『高山組』のプレートが掛かっていたが、タケルはシンに話しかけるのに夢中でそれに気づかずに雑木林に入った。
「さあ、ここから原始時代にタイムスリップしますよ」
「この町に来て二年ぐらい経ちますが、ここに入るのは初めてですよ」
「世の中と隔絶された、ある意味新しい世界ですよ」
タケルはシンを先導し、雑木林の奥へ入っていった。
「シンさんは昨日何か収穫がありましたか?」
「先月頃からついた客なんですけどね、車を買ってやるって言う人がいるんです」
「車ですか、スゴイ人がいるんですね。シンさんはその人のヒモになりますか」
タケルが笑いながら言った。
「理解力のあるスポンサーは歓迎しますが、スポンサーであることをいいことに拘束してくる人は御免ですね」
「そんなお金持ち、何してる人ですか?」
「はっきり聞いたわけじゃないんですけど、どこかの会社の社長婦人みたいですね。金を浪費させることで精神のバランスをとっているみたい」
「ヘェー」
「でも、彼女と一緒にいると疲れるんですよ。プライドが高くて、自慢話が好きで、誰に対しても批判的で。なのに劣等感が強く、嫉妬深く、批判されることに怯えている。背反するものを同時に抱え込んでいて、どう触れていいか・・・・。客はみんな似たり寄ったりそんなものですが、厄介な客の一人ではありますね」
「お金をたくさん使ってるから威張ってるんですね。で、その人の旦那さんは、妻がホストクラブに通っていることを知っているんですか」
「そんなこと知ってるわけないでしょう、ハハハハ」
雑木林の奥へ進んでいくと、犬たちに囲まれながら日の当たるところに腰を下ろす老婆の姿が見えた。
「こんにちは、お婆さん」
タケルが声をかけた。
「この前の坊やかい?」
老婆は目を細めてタケルの方へ顔を向けた。
「この前はありがとうございました。ご神体にお祈りをしてからずっと頭がスッキリして調子がいいんです。これはお礼です」
タケルはコンビニで買ったおにぎりや菓子パンを差し出した。
「何も持ってこなくていいんだよ。持ってくるなら犬たちのエサを持ってきておくれ」
老婆は毎日何を食べているのか空腹に違いないと思うが、ガツガツした様子はまったく見せなかった。
「ここにいる人――」タケルはシンを紹介した。「この人はぼくの先輩です」
シンはタケルに先輩と紹介され苦笑した。
「あんたは坊さんかい?」
老婆はシンに会うなりそう訊ねた。シンは派手な外見をしているので、カタギの者でないことはすぐに推測されるが、初対面の人に“坊さん”と言われたのは初めてで意外な気がした。
「ぼくが坊さんに見えますか」
「坊さんの空気だね」
「ハハハハ――」タケルが笑って言った。「こんなチャラチャラした坊さんはいませんよ」
シンはタケルの言葉を聞き流し、しばらく考え込んだ様子で目線を下に向け、決心がついたように老婆に視線を移して神妙な表情で言った。
「ぼくは坊さんではありませんが宮司の息子です。神主の資格は一応持っていますが、いま神職に就いているわけではありません」
「シンさんは神主さんだったんですか」
タケルは初めてそれを聞き、シンの隠された内面を垣間見たような気がした。
「やっぱり宗教に関わっている人だね――」老婆は目を細めてシンをじっと見つめた。「苦しいところからよく戻ってこられたね」
「苦しいところ・・・・」
シンの表情が小さくこわばった。
「シンさん、何かあったんですか?」
タケルはシンを覗き込むように見つめ、小さく声をかけた。
「昔、ひどい鬱にかかって、三年ほど部屋から出られなくなったことがあります。家族からも理解してもらえず、あの時は本当に苦しかったですね。死ぬか生きるかの崖っぷちを歩いているような気持ちでした。――苦しいところって言われて、そのときの記憶が久しぶりに蘇ってきましたね」
「そんなことがあったんですか・・・・」
「過ぎ去ったことですから、もうどうでもいいんですがね」
シンはふっと微笑み、硬くなった表情を緩ませた。
「ぼくが過去に苦しんでいたことが、どこでわかりましたか?」
シンは何でもないような口ぶりで老婆に訊ねた。
「どこでわかったって、アンタの魂に書いてあるじゃないか、フハハハ」
「魂に・・・・、ですか」
シンは老婆の言葉に困惑した表情をした。
「シンさんは何かに憑かれているわけじゃないんですか」
タケルは老婆に訊ねた。
「この兄さんは生霊に憑かれているね」
老婆はさらりと言った。
「生霊ですか?」
「女の生霊だね。普段女の往来がはげしいのかい」
老婆に言われ、シンはタケルと目を合わせ小さく笑った。
「憑き物を祓いたいんだったらご神体に手を合わせなさい」
シンは老婆に言われ、岩の前に立膝をついて手を合わせた。
「何か祝詞とか経文を唱えなくてもいいんですか」
「いいんだよ、感じるだけで。ご神体を深く感じてただ祈るだけで」
「は、はい」
神主の学校で習慣づけられた作法に則って祈りを捧げると、この自然に囲まれた場が精神にどう影響を及ぼしたのか、今までとはまったく違った感触、周囲の生命との繋がりが深く感じられ、陶酔感にも似た気持になった。
「フウー」
祈りを終え、遠くの世界から戻ってくるようにゆっくり目を開けた。
「どうですか?」
シンはタケルに訊ねられ、目をパチパチまたたかせながら両肩を上げ下げした。
「躰が軽くなった気がします――」頭もクルクル回し、「首も柔らかくなりましたね。不思議だなあ」
「ご神体への感謝を忘れちゃいけないよ」
老婆に言われ、二人はもう一度改めて岩に手を合わせた。
「太古の、それこそ神話が生まれる前の、書き言葉もないころの宗教とはこんな感じだったんでしょうね」
シンは老婆を見つめながら感慨深げに言った。
「世の中も人の生き方も考え方も変わっていく。だけど人の魂は、昔も今も変わっちゃいないのさ」
老婆がやさしい声で言った。そのとき、
――キー、キー、キー
野鳥が何かに怯えるように激しく鳴き、会話が中断させられた。その鳴き声がパタリと止むと、深い静寂の空気が三人を包み込んだ。その静寂の中、タケルとシンは奇妙なざわめきを耳にした。それは何かの儀式の祈り声のような低い声だった。二人は顔を見合わせた。
「何か聞こえますか?」
「ええ、聞こえますね」
タケルとシンが老婆の顔をのぞき込むと、老婆は静かな面持ちで言った。
「あの世からの声だよ」
二人はゴクリと生唾を飲み込み、身を硬直させた。その声は一分ほどですっと消え、野鳥の愉しげなさえずり声が戻ってきた。
「――この土地は駄目になる」
老婆が急に厳しい表情になって言った。
「この前も危機が来るっておっしゃってましたね」
タケルが聞き返した。
「昨日、役所の男たちが来たんだよ。雑木林を開発するつもりだ」
「何か開発計画があるんですか?」
タケルとシンは互いに顔を見合わせたが、二人は世間のことに疎く何も知らなかった。
「この土地を壊したら、先祖の魂や精霊たちはどこで落ち着けるんだい」
老婆は人が変わってしまったように感情的になり声が大きくなった。
「そういえば――」シンが思い出したように言った。「公園から雑木林に入るとき、鉄条網に『高木組』ってプレートが掛かってましたね」
「そうでしたか?」タケルが言った。
「確かにありましたよ」
「恐ろしいことが始まろうとしている。あたしにはわかる。もう精霊たちが落ち着きを失っている。恐ろしいことだ、恐ろしいことだよ」
老婆はソワソワして立ち上がった。
「お婆さん、ぼくもそんな開発、反対しますよ。市役所に殴りこみに行ってもいい」
タケルが興奮して言った。
「そんなことしたって何も変わりませんよ。ただ捕まるだけですよ」
シンがタケルをたしなめた。
「じゃあ、どうすればいいですか」
「日本は法治国家なんだから、決められた手順にしたがって手続きをとらなければいけません」
「手続きをとれば、今からでも変更できるんですか?」
「一度決定したことをどう変えていくか、ぼくもよくわかりませんが、デモをしたり、著名活動をしたり、マスコミに訴えたり、いろいろ手はあると思いますよ」
「そんなのじれったい。そんなことしている間に開発されちゃいますよ」
「時間をかけて議論されて今にたどりついたことだろうから、変えるにしてもなかなか急には変わらないでしょう。――どうすればいいんだろう」
「急いで何か活動しないと。ねえ、お婆さん」
タケルが老婆に目をやると、
「あたしはね、ここを命をかけても守るよ。この土地も、犬もね」
殺気立ったような表情をしていた。犬たちも老婆の気を感じ取ったのか、いっせいに狂ったように吠え出した。
「最初はとにかく役所に行って事情を確かめてからですね」
シンは老婆をなだめるように言った。
「ああ――」老婆は天を仰いでしばらく瞑目すると、感情が落ち着いたのか、ふっと元の柔らかな表情になった。「最後にアンタたちに会えてよかったよ。霊性はつづいていく。どんな形になろうともね」
老婆は呟くような小さな声音でそう言うと、音もなく影のように歩き出し、ご神体の岩の前で手を合わせて動かなくなった。
八
「何だったんだろう、あの婆さんは」
シンは老婆の元から立ち去った後、無性に一人になりたくなった。普段は人に囲まれてワイワイしていたい方だが自室に戻ってじっくり考えたくなった。
――過去に患った鬱のこと、祈ることで新鮮な気持ちになれたこと、雑木林で聞いた声、雑木林の開発・・・・。
興味本位でタケルについて行ったら、老婆は現存するシャーマンみたいな奇特な人だった。宗派の資格だけ持って宗教家と名乗る虚飾的存在ではなく、荒々しい野生動物のような宗教家だった。「老婆は何者なのか」ということも気にかかるが、それよりも老婆を通して露出した自分自身の姿が気になった。
――オレ自身、人生何か間違った方向を歩いているわけではないだろうか。
自由人として生きているシンは、自由であるからこそ余計に自分を律して生きてゆかねばならないと思っていた。日本人は普通、会社規範や世間体、“人に迷惑をかけてはいけない”という倫理観に縛られているが、そこから解放されて“自由だ”というと、宗教的なタブーや戒律がないだけに、無頼になったり、破廉恥になったり、怠惰になったり、身を持ち崩してしまう人が多い。だからこそ“ナンパ師”であっても、いや“ナンパ師”であるからこそ、強固な倫理観と道徳観を持つ必要性があった。
シンが“ナンパ師”になった理由は、欲望を謳歌したいという抑圧された欲求の解放ではなく、鬱から回復した後の自分自身の大きな気づきによるものだった。鬱の真っ只中、布団からも出ることができなくなり、言葉も発することができず、だれからも理解されず、薬も効かず、ただ死にたいと思っていた。そんな地獄の日々の中、知人の紹介で感情を吐き出すというワークに嫌々参加し、思いもよらず自分自身の殻がパカリと壊れる体験をした。感情が爆発し、泣き叫んで、壁に頭をぶつけ、半狂乱になった後、すっと霧が晴れるように鬱が消えていったわけだが、そのあと得た気づき、“人生は楽しむためにある”という言葉、それが今の自分を支えている言葉でもある。
人生を楽しむためにはどうすればいいのか? そのためにはやはり自由であらねばならない。何かにしがみついていたら楽しさが淀んでいく。何者にも依存せず、どこにも所属しない生き方、それを模索した結果が“ナンパ師、ホスト、大道芸人”という生き方だった。そして、それらは一定のバランスを取っていたはずだった。
――オレは自由に生きてゆくだけだ。自由に流れてどこにもとどまらず、それは仕事も住まいも人間関係も異性関係も、どこにも執着しないで流れていく。でも、あの婆さんに会って何かを揺らされた気がする。何を揺らされたのだろうか。もしかして“虚しさ”なのか。何をするにしても、根っこが神聖なものに繋がっていないと、哀しいかな、人間は虚しくなる。“神道”という儀礼しか身につけない宗教を嗤い、そんなもの放り出してしまおうと思ったが、神なしで自由に振る舞い、かりに振る舞えたとしても、人間は“虚しさ”というやつを抱え込んでしまう。その部分を揺らされたのだろうか。
そんなことを一人で考えていると、スマホにメッセージが入ってきた。車を買ってくれうという上客、貴子からの“同伴出勤の誘い”のメッセージだった。今夜は酒を飲んで騒ぎたい気分ではまったくなく、それどころか誰にも会いたくない。しかし、客商売をしている以上、大切な客からの誘いを断るわけにもいかない。人間は胃袋を持っている以上、食べていかねばならない業を背負っている。
シンは重たい腰を上げて貴子を迎えに行き、出勤前に寿司屋で食事をすることになった。
「車まで買ってあげたっていうのに冷淡な態度ね」
貴子は寿司屋のカウンターでシンの横顔を間近でジロジロと眺めながら言った。シンは何も返答せず、ただ微笑を浮かべている。
「貰い慣れているのね。そのルックスだといくらでも女が寄ってくるだろうから」
貴子も四十を過ぎ、ワーワー騒ぐ口達者な男よりも、じっくり話を聞いてくれる男の方がそばにいて楽だった。それにシンは美貌を持ち、しつこくもしてこないし、あれこれ図々しい要求もしてこない。遊ぶ相手としては理想の男だった。しかし、今日のシンは何を言っても上の空といった感じで全然愉しませようとしてこなかった。
「どうしたの、シン君、今日は冷たいじゃない。もっとお仕事頑張らないと、いつまでたっても順位がトップにならないわよ」
「正直興味がないんですよ。そんなシステムに」
ホストが客に口にすべきでない言葉をさらりと吐いた。
「ホストがそんなこと言っちゃ駄目じゃない」
「自分としてはそこそこ生きてゆけたらいいと思ってますから」
「どうしたの、今日はぶっちゃけるじゃない。いまいくつだっけ? 二十九だっけ? ホストの中じゃ最年長でしょう。そんな余裕かましていいのかしら。ガツガツいかないと若い人に喰われるわよ」
「ホスト界のおじいちゃんは、おじいちゃんなりの戦略でのんびりいきますよ」
「そんな戦略じゃあ、お客はつかないわ。もしかして、ホスト辞めるつもり?」
貴子の問いに何も答えず笑っていた。
「辞めて何するの?」
「辞めるなんて一言も言ってませんよ。ホストはぼくの天職だと思ってますから。どうにかホストクラブにしがみついて皺くちゃになるまでやりつづけますよ」
「そんなこと思ってもないくせに、嘘つき。でも、シン君は何がホスト以外に何ができるの? 役者、モデル――、もう歳か」
「いざとなったら、何でもしますよ。駅の便所掃除でも、ツルハシ持った土方でも」
「そんな華奢な体で土方なんかできるわけないじゃない、ハハハハ」
貴子はケラケラと笑った。
「いま口から土方って出てきたけど――」シンが急に真面目な表情になって言った。「ちょっと聞きたいことがあるんですが、貴女は“社長婦人”って言ってましたね。建設業界にコネとかってあります?」
「建設業界? ええ、多少はあるわよ。で、何?」
「そうですか。じゃあ、高山組って知ってますか」
貴子はシンの問いかけに表情が硬くなった。
「高山組がどうしたの?」
「いやね、公園の横に雑木林があるんだけど、そこの鉄条網に『高山組』って札が掛かっていたから、何か大掛かりな工事でも始まるのかなあと思って」
「工事があると、何か困ることでもあるの?」
「いや、別になんでもないんです。あそこにたくさん樹木が生えているから、“自然環境保全”の上で個人的に開発して欲しくなかったから」
シンは、理由については誤魔化すように早口で言った。
「あなた環境問題なんかに興味があるんだ」
「ないわけじゃない、そんな程度です」
「あたしわね、自然環境を守ろうなんて胡散臭く思うわ。開発したおかげで我々は安全で快適な生活を手に入れたっていうのに。偽善臭くてバカバカしい」
貴子はイライラした調子で言った。
「開発は大切ですけど、物事には“適度”ってものがあるじゃないですか。それが行き過ぎたらどうかと思うんですよ」
「あの汚い雑木林が開発されたからって、どうなるって言うのよ」
「いや、何でもないんです。高山組のことが知りたかっただけですから。公園に行ったときちょっと気になったんで」
しばらく貴子は無言になり黙々と寿司を食べていた。
「どうしたんですか? 何か気分を害しました?」
シンは貴子の顔をのぞき込むように訊ねた。
「ホストなんかにね――、ホストなんかにって言ったら失礼かもしれないけど、あんまり自分の素性を明かしたくないんだけどね・・・・。あなたが言った“高山組”、そこね、あたしの旦那の会社よ」
「えっ、貴女は高山組の社長さんでしたか」
いつもは冷淡なシンだが、このときは目を見開いた。
「あたしの名前は高山貴子だからね」
貴子はカバンから免許を出してシンに見せた。
「別にあなたに詳しく自己紹介するつもりはなかったけど、ま、いいわ。あなたがペラペラ誰にでも話す男じゃないでしょうし」
「もちろん、誰にも話すつもりはありません」
「変な因縁ね、突然“高山組”なんて言い出すんだから」
「ぼくも驚きましたよ」
貴子は湯のみのお茶をすすって一呼吸入れてから言った。
「雑木林って、あそこね、旦那が言うには市庁舎が移転する場所みたいよ。全部きれいに更地にされた後ね」
「もう市で決まったんですか」
「決まったも何も、もうすぐ工事が始まるじゃないかしら」
「それって中止になりませんか」
「どうして?」
貴子はシンの質問に驚いた。
「だから自然環境保全のために」
「それだけのために? 真面目な顔してあなた何を言い出すの? 市で決まったことだから中止になるわけないじゃない」
シンは貴子の気持ちを逆なでしてはいけないと、宗教的なアプローチで怖がらせてみようと思った。
「正直に言いますね。環境保全って言いましたが、実はそうじゃなく、あの土地は神性な土地、犯してはいけない宗教的な霊地というか、だから・・・・」
「アナタ頭大丈夫? 環境の次はオカルト?」
貴子は怪訝な様子でシンの顔をのぞき込んだ。
「あそこを穢すと祟りがあるかもしれません。工事を中止にしないとマズイですよ」
「馬鹿馬鹿しい、何を言い出すの。もっとマトモな人だと思ってた――」貴子が呆れたように言った。「アナタねえ、もし工事が中止になったら、うちに仕事が入ってこないじゃない。仕事をさせてもらって、お金を得て、それでこうしてオマンマが食べられて、アナタに車を買ってあげられて――」
「もちろん、わかってます」
「いや、わかってない。旦那が――、旦那の人間性を心から信用しているとは言わないわ。だけど、旦那が一生懸命働いてくれてることは、あたしはいつも感謝してる。よくやってくれてると思ってるわ。だから旦那の言うことは忠実に聞いてるつもりよ。それを、何も知らない部外者のアナタが“やれ祟りだ”なんて馬鹿にしてる」
「言ってることはわかります。でも世の中には目に見える世界と見えない世界があるわけで・・・・。だから人は宗教を持ち、葬儀を行い、お墓に手を合わせ、お守りを身につけ――、何もなかったらそんなことする発想が出てこないじゃないですか」
「あなたね・・・・、仮にね、そうだとしてもね、街がきれいになって、便利になって、お金が回って、いいことばかりじゃないの。なんでうちが悪者扱いされなきゃいけないの? 何が悪いの?」
「ええ、そうですねえ・・・・」
シンは小さく呟き、黙って湯のみを両手で握りしめた。
――高山組の社長の奥さんがこんな身近にいたというのに開発を止める説得なんかできそうにない。ただ怒らせるばかりだ。雑木林がなくなったら、あのお婆さんはどうするんだろう? 街はどう変わってしまうんだろう?
シンは遠くを見るような目でカウンターの一点を見つめながら思索の世界に沈んでいった。貴子は、世間知らずのホストに世の中の過酷な現実をいろいろ説教してやりたかったが、シンが急に電池の切れた玩具のように動かなくなってしまったので、何を言うのもバカバカしくなった。
――所詮ルックスだけのバカな男だ。
貴子は勘定をサッと済まし、一人店から出て行った。
九
タケルは薄暗い部屋で寝っ転がりながらクワガタ虫の背中を撫で、わらべ歌を朦朧と口ずさんでいた。
「♪シャボン玉とんだ、屋根までとんだ、屋根までとんで、こわれて消えた――」
老婆から雑木林が開発されると聞き、それを阻止するために役所に行こうと思っていたが、あれから急に持病が悪化して外出できなくなってしまった。クワガタ虫と遊んでいるときは精神が安定しているが、世間と接しようとすると緊張と恐怖が強く襲ってくる。部屋に閉じこもって二、三日は「何とかしなければ」という焦りを伴う意志も働いたが、一週間も経つとそうしたものも薄弱になってくる。
――どうして、また体調が悪化したんだろう。ご神体にお祈りしてからずっとあんなにすっきりしていたのに。雑木林の開発と何か関係があるのだろうか。お婆さん、どうしているだろう。無事でいるだろうか・・・・。
スマホが揺れたので画面を見ると、千尋からメッセージだった。
『会おうよ』
すこぶる鬱陶しく思い、スマホを遠くへ投げた。
――ああ、でも、もうすぐ月末か・・・・・。援助を受けないと支払いができなくなる。ヒモの身としては頑張って出かけないと・・・・。
目眩と動悸がひどかったが会う約束を取り交わし部屋を出た。外は日が暮れ始め、薄暗くなっていた。正体不明の恐怖は心身にこびりつき、いつ発狂してもおかしくない状態だった。千尋に会う前に老婆に会い、できれば憑き物を落としてもらいたい。そう考えると前へ進む力が出た。
公園に入ると“何か”が変わったことにすぐ気づいたが、それが何なのか理性的に把握できなかった。背中に強い悪寒がして手足の先から冷たい汗が出てくる。早く老婆に会いたい。遠くを見つめると恐怖感が強くなるので、足元だけを見つめて早足で歩いた。雑木林との境目、鉄条網の手前まできたとき、初めて顔を上げた。
「やっとたどり着いた――」
目の前には荒涼とした大地が拓けていた。
「・・・・・・」
夢の中にいるような気がした。木がすべて伐採され、のっぺりとした土壌が寒々しく露出していた。雑木林があるときにはまったく見えなかったが、平行して流れる川まで見渡せた。
「ああ・・・・」
タケルは何も考えることができなかった。一週間部屋に閉じこもっている間にこんな姿に変容してしまった。ただただ呆然とこの光景を眺めながら立ち尽くした。
「どうしたの? タケル君」
背後から千尋が声をかけてきた。
「雑木林が・・・・」
タケルは囁くような小さな声で言った。
「ヒヒヒヒ、スッキリしたね」
普段は感情を滅多に表わさない千尋が笑った。タケルは、傷口に塩を塗りこむような彼女の残忍な言葉に、苛立ちと憎しみを超越し、ただただ空虚な気持ちで沈黙した。
「いい仕事でしょ。パパの会社の仕事よ」
「へっ、どういうこと?」
タケルはハッと千尋の方へ振り返った。
「高山組ってあの札見えないの。あたしは高山千尋。フルネーム知らなかったっけ、ヒヒヒヒ」
タケルはそのことを初めて聞き、自分の中から力が失われていくのを感じた。
「手遅れだ・・・・」
「何? 何かあった?」
「どうして、こんな酷いことを・・・・」
「酷いこと? なんで?」
「木を伐ってしまったじゃないか」
「いいじゃん、うちが儲かるんだからさ」
「儲かれば何をやってもいいわけじゃないだろ」
「あたしの援助なしじゃ生きられないクセに、何エラそうなこと言ってるの、ヒヒヒヒ」
コンクリートブロックのような千尋の顔面が小刻みに揺れた。
「でもね、この前ママにね、カードの金遣いが荒いって怒られたの。タケル君も、あたしからいつまでも援助を期待しないでね。その代わり、仕事が欲しかったらパパに言っといてあげる。ここの現場の仕事も始まったから人手不足だと思うしね、ヒヒヒヒ。――さあ、今日は焼き肉に行きましょう」
千尋はタケルの手を引っ張ったが、タケルは頑として動かず、千尋の顔を軽蔑の眼差しで見つめた。
「タケル君、どうしたの? 木伐られたぐらいでそんな顔して」
「木だけけじゃない。ここには鳥もいたし、虫もいたし・・・・」
「鳥? 虫? そんなのどこかに飛んで行くだけじゃない」
「犬もいた!」
「野良犬は迷惑よ。保健所で処分されたでしょ」
「犬だけじゃない。ここにはお婆さんも住んでいた!」
「お婆さん? ヘエー、タケル君、いつもボンヤリした顔してるのによく知ってるね。パパが言ってたわ。ここに住んでたホームレスのお婆さん、焼身自殺したんだって。頭から油かぶってね」
「焼身自殺・・・・」
タケルの躰は一瞬で凍りついた。目の前にその光景が現場で見ているかのように明瞭に浮かび上がり、背中から冷たい汗が吹き出した。
「あんまり酷い事件だったから、地元のマスコミも報道しなかったみたいよ。市の印象が悪くなるからね」
「ウウ・・・・」
タケルはあまりの衝撃で心身に変調をきたし、心臓の鼓動が異常に速くなった。胸を押さえたままガクンと地面に膝をついた。
「どうしたの、タケル君。そんなところに座ったらズボンが汚れるわ。汚かったらお店でみっともないじゃない」
千尋はタケルの襟首を引っ張って立ち上がらせようとした。
「胸が痛い・・・・」
タケルが声を搾り出すように言った。
「胸が痛い? どうする? 病院行く? 焼肉行く?」
千尋の声に応答せず、タケルはぐったりと大地に額をつけた。
「どうしたの、タケル君、芋虫みたいになって。あたしお腹すいたからもう知らないわ。救急車だけ呼んどく?」
タケルから返事がないので、千尋は百十九番に電話だけしてその場から立ち去った。タケルは真っ暗の公園で気持ちが収まるまでひれ伏すように瞑目した。
十
高山は現場監督と事務所の社長室で話をしていた。
「どうして毎日誰かかんか作業員が休むんだ」
高山の声は威圧的で大きく、現場監督は高山よりも二つ年長だが肩をすくめて萎縮している。
「今日は熱が出たと電話がありましたが」
「熱? 気持ちがたるんでるだけじゃないのか? そんなチンケなことで休ませていたら仕事が予定通り進まんだろ。ムリにでも出てこさせろよ」
「病気が悪化しますから、そういうわけにも・・・・」
「給料減らすぞって言ったか」
「有給休暇を使っていますから、そういうわけにも・・・・」
「そんな甘いこと言っててどうするんだ。予定通り工事が終わらなかったら延滞金とられるんだぞ。お前の給料で払うつもりか?」
「そんな意地悪なことおっしゃらないでください・・・・」
「意地悪? 誰に向かってそんなこと言ってるんだ」
「失礼しました。口がすべりました」
現場監督は猫背になりながらペコペコ頭を下げた。
「本当に病気なのか、自宅に行って調べたのか? 嘘ついていたらどうする?」
「病院の診断書を提出させますから遊んでいるわけじゃないでしょう」
「ケッ、まったく忙しいときに生ぬるいこと言いやがって。もっと働かせるのがお前の役目だろ」
「は、はい、ご尤もであります。実は、ちょっと言いにくい話なんですが・・・・」
「なんだ? もっと声を張って言えよ、聞こえんだろ」
「あのですね、現場スタッフが言うんですが、もしかしたら、土地に問題があるんじゃないかって」
「土地ってどういうことだ」
「例えば、作業現場に行くと躰が重くなるらしいんですよ」
「重くなる?」
「あるスタッフは頭が痛くなるとも」
「はあ? 何の言いわけだ?」
「現場が薄気味悪いって半日で逃げ出した大学生のアルバイトもいまして・・・・」
「だからどうしろって言うんだ」
「だから・・・・」
そのとき現場監督のスマホが鳴った。
「あっ、ちょっと失礼します」
現場監督は高山からくるりと背を向け、部屋の隅で電話を受けた。
「えっ、何だって? 倒れた。それで? 怪我人は? ああ、わかった。すぐにそっちへ行く」
現場監督は電話を切り、遠慮しがちに上目遣いで高山を見つめながら近寄った。
「あのう・・・・」
また怒鳴られるだろうから報告したくなかったが、隠し通せそうにない大きな事故だったので正直に告げた。
「社長、いま部下から連絡がありまして」
「なんだ?」
「現場でですね、作業していたユンボが倒れまして・・・・」
「何だって? ユンボが倒れた?」
「現場の詳しい様子をわかりませんが、作業員一人が下敷きになりかけて怪我をしたようです」
「えっ、生きてるんだな? 重体か?」
「怪我はしたようですが、重体でもないようです」
「まったく・・・・」
高山はフウーと深く息を吐いた。
「じゃあ、そろそろ」
現場監督が立ち去ろうとすると、高山は腹の底から怒号を浴びせた。
「だからさっきから言ってるだろ、気持がたるんでるって。そんなことじゃあ、会社の評判がガタ落ちだ。死人でも出て、工事が差止めにでもなったらどうするんだ」
「注意しなければいけません・・・・」
現場監督はボソボソと小声で言った。
「で、ユンボは大丈夫なのか?」
「ユンボのことは聞きませんでした。作業員のことだけで」
「ユンボが壊れたらまた仕事が遅れるぞ。修理したら保険料も上がるしな。ああ、クダらん出費だ。馬鹿な社員がいると会社が迷惑を被る」
「すぐに現場に直行して様子を見てきますので。それでは・・・・」
現場監督が社長室のドアを開け、出ていこうとしたとき、
「明日から俺は一週間休みを取るからな」
高山は打って変わって小さな声で言った。
「えっ、休暇ですか?」
現場監督はドア口で振り返った。
「海外へ行く」
「こんなときにですか?」
「こんなときってなあ、こんな事態になるなんて予測できんだろ。無理にでも休暇を入れないと俺なんか一年中休みが取れない」
「そのとおりでございます」
「次のプロジェクトのことについてもゆっくり休養を取って考えないといけないしな」
「は、はい」
「海外にいる間だけでもゆっくり休みたいから、よっぽどのこと以外は電話してくるなよ」
「はい」
「早く現場へ行け」
現場監督はソソクサと社長室を出て行った。高山は一人になると、現場作業人員について思索した。
「休む奴が多いと、代わりの人材の募集をかけておかないといけないなあ。非正規でいこうか、それともアルバイトでいこうか。経費を考えると・・・・」
そのときスマホが鳴った。
――チッ、また現場で何か起きたのか。
画面を見ると、千尋からの電話だった。彼女の方から連絡してくるなんて珍しく、それもメッセージではなく直接の電話である。「ゴホッ」と一つ咳払いをして電話を取った。
「ハイ、何ですか」
高山はなるたけやさしい声音で言った。
「あ、パパ、今事務所にいる?」
「そうだよ」
「今からそっちに行っていい?」
「ええ、かまいませんよ。でもね、パパは忙しいから長い時間はダメですよ」
「うん」
「で、どういう用件があるんですか」
「実は会わせたい人がいるの」
「会わせたい人?」
「そう、彼氏なんだけどね」
「えっ、彼氏?」
高山は声がひっくり返りそうになった。この前、貴子から彼氏ができたことを聞いてはいたが、まさか千尋の口から直接“彼氏”という語彙が出てくるなんて衝撃的だった。
「多分、三十分後ぐらいでそっちに着くと思う」
「ああ、わかりました。待ってます」
ユンボが倒れた事故のことは頭から消え失せ、千尋が連れてくる彼氏なる男のことが脳を支配した。
――千尋に彼氏か・・・・。オタクの娘に求愛する男とはどんな奴だ? チンピラみたいな奴なのか、それともモヤシみたいな奴なのか・・・・。
しばらくしてドアがロックされる音が聞こえた。
――きた。
高山は精神的にうろたえていたが、努めて冷静な態度をつくろった。
「はい、どなた?」
「パパ、入るわよ」
千尋の後ろから小学生かと思うような小男が入ってきた。高山は眼光鋭く男の容姿を観察し、その人間性を窺った。外見は軽薄な今風で、金髪、片耳にピアス、破れたジーパンを履き、ドクロのネックレス――、堅実な勤め人でないことは一目でわかった。予測していたよりも男前に思えたが、何だか顔色が悪く、寝不足なのか病気なのか目の下にクマができている。
「この人、彼氏、タケル君」
千尋に紹介され、高山は努めてにっこり微笑みかけたが、小男は目も合わせようとせず、まともに挨拶もしてこない。
――やっぱりバカなチンピラか・・・・。
高山は心の中でそう評価を下したが、せっかく娘と付き合ってくれ、可愛がってくれているのだろうから乱暴な物言いはしたくない。
「ね、タケル君、パパに何か言いたいことがあるんでしょ。突っ立っていないで何か言いなよ」
「うん・・・・」
タケルは場違いな場所にきてしまったと思った。恐怖が脳を侵食し胸が高鳴り、意識が今にも飛んでいきそうである。一刻も早くこの場から逃げ出したかったが、どうしても訊かなければならないことがあった。しかし、言葉がどうしても口から出てこなかった。
「パパ、彼はいつもはこうじゃないのよ。いつもは面白いことを言う人なの。多分、パパに会って緊張してるから」
千尋は無表情にタケルの目を見て言った。
「う、うん」
タケルは小さく頷いた。
「そんなに硬くならずに気楽に話したまえよ」
高山は鷹揚な態度で言った。
「あ、あ、あ・・・・」
タケルは吃るばかりで言葉にならなかった。
「この人ね――」千尋が代わりに話した。「仕事しないでプラプラしてるの。でも、いい人なのよ。だからパパ、会社で働かせてあげることできる?」
――フラつきか。
高山は男を第一印象ですでに落第点をつけていたが、可愛い娘の頼みだと、仕方なく面接審査するような目でもう一度じっくり男を査定した。
――評価すべき要素がないなあ。
高山はどう言葉をかけようか迷った。
「現場の仕事は肉体労働で大変だよ。君はもう少し躰を鍛えた方がよさそうだね。どうしてもって言うんだったら、まあ、娘の頼みだから、前向きに考えておいてもいいんだがね」
「そうじゃなくて・・・・」タケルは高山の言葉を遮るように言った。「そうじゃなくて、公園の雑木林のことを訊きたいんです」
「ああ、うちが工事を始めたところね。あれがどうしたんですか?」
「あそこにお婆さんがいたでしょ。一体お婆さんに何をしたんですか」
「お婆さん?」高山は老婆のことを思い出し、嫌なことを訊いてくる小僧だと思った。「現場のことなんで詳しくは知りませんね」
「焼身自殺したって彼女から聞きました。葬儀はいつ、どのようにして行われ、どこに葬られたんですか」
「さあ、知りませんねえ」
高山はしらばっくれた。
「無残な死に方をしたお婆さんの魂はあの工事現場で彷徨っていると思います。誰からも弔われずにいたら決して成仏できません」
「大丈夫です。多分、市の予算で葬儀が行われて、安らかに眠ってらっしゃると思いますよ」
「安らかに眠れるはずがありません! 世の平和のために祈ってくれていた罪のないお婆さんにあんな仕打ちを与えて。お婆さんはどんなに惨めな気持だったか。どんなに悔しかったか・・・・」
「ヒヒヒヒ、タケル君、何言ってるの――」千尋が笑い出した。「あんなところに住んでいるホームレスなんか、正直死んでくれた方が世のためよ」
「バカ、千尋――」高山は千尋を叱った。「そうじゃないんですよ。実はね、私どもの会社も、お婆さんに市の保護施設に入ってもらおうといろいろはたらきかけていたんです。あんなところに住んでいちゃ可哀想だったからね。でも、あのお婆さんは少し頭がおかしくて、こちらの申し出を拒否し、最後はあんなことをしでかしてしまって・・・・。こちらとしても本当に残念ですよ」
「あのお婆さんは世間の常識から外れているように見えますが、全然頭がおかしいわけじゃないんです。誰よりも真面目な人なんです。霊力のある人なんです。いまさら言っても手遅れですが、あの土地は開発なんかしちゃけない神聖な土地だったんです。お婆さんはそれを誰よりも知っていて守っていてくれた。それをあなたたちは勝手に乗っ取って丸裸にして・・・・。いまに祟りがありますよ」
タケルが殺気立った目で睨みつけた。
「祟りってなあ――」高山も落ち着きを保っていられなくなった。「タケル君っていったね、君ねえ、そんなしょうもないことに考える前に、仕事がないことを真剣に考えなさい。労働してお金を稼がなかったら、満足に飯も食えないだろ。そんなつまらないことにとらわれていないでちゃんと仕事をして、お金を稼いで、美味しいものを食べて、パッと遊んで、そうして人生を充実させれば、やれ霊だ、やれ祟りだって、そんなつまらないこと考えなくなるから」
「ヒヒヒヒ、パパの言うとおりよ」
「人間は何でも知ってるわけじゃんないんです。我々は見えない霊性に対して謙虚に耳を傾け、感謝し、畏怖し、感応し、手を合さなければいけないんです。我々人間はあらゆる生命と協力し合いながらしか生きてゆけないんですから」
「君なあ、さっきから何を言ってるんだ。まともに働いてもいないくせに――」高山の声がさらに大きくなった。「千尋、こんな男と付き合うのはやめなさい」
「ヒヒヒヒ」
千尋は笑った。
「何だい? 君は何が目的なんだ、金か。ほら、これやるから、もう娘とは会わないでくれ――」高山はポケットから財布を出し、幾枚かのお札を掴んだ。「千尋もこの人とは金輪際会っちゃいけないよ。他にいい人はたくさんいるんだから」
高山がお札を差し出すとタケルはその手をパッと払い、お札はパラパラと床に落ちて散乱した。
「おい、何をするんだ」
「ギャー! ギャー! ギャー!」タケルは突然狂ったような奇声を上げ、「これでも喰らえ!」
落ちた紙幣をヤケクソに蹴飛ばした。
「おいおい・・・」
高山はタケルの異常行動を見て呆気にとられた。
「ダメよ、タケル君、お金を粗末にしちゃ」
千尋は散らばった紙幣を拾い集めて自分のカバンに収めた。
「パパ、あとであたしから彼に渡しておくからね」
「千尋、この男を連れて早く帰りなさい! パパは忙しいんだから」
高山は大声で怒鳴るように言った。
「はーい――」千尋は、ぼんやり突っ立っているタケルの手を引っ張った。「ダメじゃない、パパを怒らせちゃって」
社長室から出て行くとき、タケルは振り返り、
「祟りますよ」
と再度言った。千尋はケラケラと笑ったが、高山はその言葉が気に触り、
「うるさい、小僧!」
と怒鳴りつけた。
二人が出ていき、社長室に一人になった高山は後味の悪い気持になった。
「キチガイめ・・・・」
十一
海が一望できるコロニアル様式の空間で高山と彩香はオイルマッサージを受けていた。バラの香りに包まれながら背中のコリをほぐしてもらっていると、あまりの気持のよさに半睡半醒、意識が雲の上をプカプカ漂うような心地だった。
「ああ、気持ちいいわ」
彩香がうわ言のように呟いた。
「ね、アヤタン、だからマカオにして正解でチョ」
高山は半分眠りながらも赤ちゃん言葉で返した。
「まだ着いたばかりだから、それはなんとも言えないわァ」
「最高だよ、この景色、この気持ちよさ、まさにパラダイスでチュ」
「でもプーケットがよかったわ」
「またそんなこと言う。ここにはカジノがあるし、食事も本格中華が食べられるでチュよ」
「でもビーチはないでしょ」
「海なんか入らなくても、ホテルにプールがありまチュよ」
「マッサージ終わったらどうする? 何か美味しいものが食べたいわ」
「そうしまチュか」
高山がウトウトとしていると枕元に置いといたスマホが鳴り、ビクッと目を見開いた。上体を反らしてスマホの画面を眺めると現場監督からだった。
「馬鹿野郎、気持ちのいいときに・・・・」
休暇中は仕事を持ち込まないと決めていたが条件反射で受信した。
「ホーイ」
寝ぼけたような声で応答した。
「あっ、社長、休暇中申し訳ありません」
「お前なあ、電話をかけてくるなと言っただろ、まだこっちに着いたばかりだぞ」
「いや、大変なことが起きまして、その報告を・・・・」
「なんだ、また事故か、今度はユンボが川に落ちたのか、お前が一人で処理しろよ」
「いや、そうじゃないんです」
「じゃあ、なんだ?」
「あのですね、地面を掘り起こしていたところ硬い岩がありまして」
「岩?」
「それにぶつかって先に掘り進めなくなったんです。なにやら大きな岩でして。それで、ユンボでの作業を中止して、スコップの手作業でその岩の周りを掘っていったんです。そしたらその岩は地面深くまでありまして」
「岩ごときで大騒なことだな」
「作業員全員で力を合わせて掘り進めたところ、その岩の全貌が明らかになって驚いたんです」
「なんだ?」
「ピラミッドなんですよ」
「ピラミッド?」
「学者じゃないんで詳しくはわかりませんが、石で積まれて四角錐の形をしているやつが出てきたんです。もしかしたら、これは古代の遺跡じゃないかって」
「エジプトのあんなのか?」
「そこまで巨大じゃありませんが、それでも一辺の直径が八メートルぐらい、高さは四メートル以上はあるでしょうか」
「それで?」
「ピラミッドの底あたりに入り口みたいな穴がありまして、そこを掘ったら人骨がたくさん出てきまして」
「そりゃあ、エライことだなあ」
高山はことの重大さに気づき、マッサージを中断させベッドに腰をかけた。
「これは全国ニュースですよ」
「市の担当者に電話したか?」
「これから電話をするところです。その前にまず社長にご報告を、と思い」
「そうか・・・・」高山はちょっと間をおき、「担当者に連絡しないとマズイかなあ」
「そりゃそうでしょ」
「知られたら工事中止になるかもしれんぞ」
「でも、こんな大変なものが出てきた以上、黙っているわけにもいかないでしょう」
「そうだようなあ、困ったなあ・・・・。クレーンで引き上げて、こっそり海かどこかへ捨ててしまうことはできないだろうか?」
「そんなことは・・・・・」
「そうだなあ、現実的に無理だよなあ。やっぱり連絡しないとダメだかあ・・・・」
「市の担当者と面会する際、社長もご同行して頂けるとありがたいんですが」
「そうだなあ、俺が行った方が話がコジれないで済みそうだ。――じゃあ、わかった。すぐ帰る」
高山は電話を切った。
「どうしたのお」
彩香が訊ねた。
「スマン、彩香、すぐに帰らないと。事件が起きた」
「えっ、何?――」彩香もベッドに座り込んだ。「きたばっかりよ。マッサージも途中だってのにどういうこと?」
「仕方ないさ。全国ニュースになるような、いや世界に広まるかもしれないほどの大事件だ」
彩香は電話の声を聞いていたので、大体のことは把握していた。
「いいじゃん、ピラミッドなんてさ」
「そういうわけにもいかんさ。市に知らせると工事中止になる可能性が高い。そうしたら会社の利益に大きく響く」
「ひどい――」彩香は突如ヒステリックな声を出した。「海外に連れて行ってくれるって前々から約束して、来たら来たですぐ帰るって。そんなの身勝手すぎる。まだどこにも行ってないのにツマんない」
「仕方がないだろ、仕事なんだからさ。あっ、そうだ、すぐに飛行機の予約を入れないと。何時の便に空きがあるだろう。今晩中に帰れるか、明日になるか」
「ツマんない!」
彩香は手足をバタバタさせ甲高い声で叫んだ。マッサージの女性たちは彼らの会話が理解できず、二人の様子を困惑しながら眺めていた。
「おいおい、そんな大きな声出さないの。みっともないから」
「じゃあ、あたし一人だけ残ってもいい」
「一人残る? そんなのダメだよ」
「なんで? 一人で残って観光したいもん」
彩香はゴネ出した。
「言葉もわからないのに、一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。スマホもあるし、ホテルの部屋も取れてるし」
「そうはいっても女の子一人なんて心配だなあ」
「ここまで来てすぐ帰るなんて、そんなこと絶対できないから」
高山は、興奮した彩香を落ち着かせることができそうになかったので、彼女が一人残ることを許した。
「わかった、わかった、一人でいなさい」
「お金も置いってってね。ショッピングしたいから」
彩香の図々しい金銭の要求に高山は一瞬ムッとし、「小遣いは毎月やってるだろ」と口から半分出かかったが、ケチだと思われるのも格好悪いし、金でカタがつくなら一番手っ取り早い。持っていた現金をホイと渡すと、彩香はニッと小さく笑って大人しくなった。
十二
雨の夕暮れ、タケルは一人工事現場へやってきた。雑木林の周囲には鉄条網に代わり、いまは三メートルほどの高さの金属製の囲いに覆われ、現場の様子は外からはまったく見えなかった。今日の工事は終了したのか、中はシンと静まって物音が一切聞こえなかった。
どこからか中に入れないかとタケルが囲いの周囲を歩いていると、大通り沿いの正面入口の扉が開いていたのでそこから侵入した。囲いの内部は殺風景な薄闇が空虚に広がり、雑木林であった過去をまったく思い出すことができなかった。ユンボが停車し、土が大量に盛られているところがあったので、そこへ向かって無意識的に歩き出した。
「♪通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ちっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ、この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります。行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらも、通りゃんせ、通りゃんせ」
小雨の降る中、呟くように歌いながら歩いた。汚泥が靴底にへばりつき、一歩一歩大地を踏みしめるように前へ進んだ。
「深い穴が掘られている。何だろう・・・・」
ユンボの前にたどり着き、すり鉢状に掘られている穴の底を覗きこんだ。
「ピラミッドが・・・・」
穴の底には石で積まれた重厚な建造物があった。
――こんなところにこんなものが人知れずに眠っていたとは・・・・。
タケルは雨に濡れながらじっと建築物を見つめ佇んだ。
――そういえば、お婆さんが祈っていたご神体はこの辺りじゃなかっただろうか。そうだとしたらあの岩はピラミッドが埋もれている目印だったのでは・・・・。
そんなことを思い巡らしていたとき、背後からポンと肩をたたかれた。現場作業員が、工事現場に無許可で入り込んだことを注意しにやってきたのだと思った。躰を硬直させながらゆっくりと後ろを振り返った。
「タケル君――」
そこにはシンがいた。
「お婆さんが言ってたように、ここは街を守る大切な土地だったんですね」
いつもは笑顔の絶えないシンだが、今日は憂いの含んだ表情をしていた。どこか憔悴しているようにも見える。
「お婆さん、成仏できたでしょうか・・・・・」
タケルが消え入るような声で言った。
「さあ、どうでしょう・・・・・」
二人は雨に濡れながら、しばらく黙ってピラミッドを眺めていた。
「この土地がこんな姿になったからか、精神状態が悪くなって外出するのが辛いんです」
タケルは声を絞り出すように言った。
「私も魂の一部がどこかへ落ちてしまったような感じです。何だか気力が湧かずボンヤリばかりしています」
「見えないけれど何かがある、想念の沼地のようなものが。それを霊性っていうんでしょうか」
「ええ、それを霊性っていうんだと思います。そういう霊性というやつを我々は“文明の進歩”の名のもとで意識的に封じ込め、踏みにじってきた。その結果、金の奴隷になり、欲望に翻弄され、慈愛を蔑み、祈りを忘れた。そうして自由自在に振舞い、自由自在に振る舞っているように見えてもその実、我々はただ虚しくなっているだけかもしれません」
「業が深いですね」
「いまさらですが、金にまみれ、酒にまみれ、女に媚び――、そんな自分の生き方が疑わしく、何をやってるんだろうって自己嫌悪ですよ」
「でもお金なしでは生きてゆけないでしょうし」
「経済が壊れようと、貨幣制度がなくなろうと、きれいな水と大地と空気があれば、本当は生きていけるんですけどね。我々のご先祖様はそうやって何万年も生活してきたわけですから」
「そうですよねえ・・・・。でも、そうは言っても・・・・、ぼくはこの先、どうやって生きていったらいいのか・・・・」
「私はこの街を出ることにします」
「引っ越しますか?」
「この街と縁が完全に切れたような気がしますから」
「ぼくもどこか精神の安定するところへ行きたいなあ」
「友達が離れ島でゲストハウスを始めたんで、そこでしばらく手伝おうかと思っています。タケル君も一緒にきますか?」
「いいんですか」
「カフェもオープンさせたいって言ってたから、やることは多いですよ」
「そうですか。それは面白そうですね」
「ん・・・・?」
そのときシンは打楽器が鳴るような奇妙な音を耳にし、タケルを見つめた。
「何か聞こえます?」
「ええ・・・・」
辺りはすでに漆黒の闇に包まれていてよく見えない。しかし、こんな雨の工事現場で楽器を鳴らしている人なんかいるはずもなく、しかもそれは大勢で鳴らす音であり、人々の唸り声も聞こえる。
「なんだろう?」
タケルとシンはこわごわ耳をそばだてていると、少しずつ音がこちらへ迫ってきているように感じられた。
「近づいてきているような気がしますが・・・・」
次の瞬間、大地から何十という白い手がヌッと伸び、二人の足首を掴んだ。
「逃げるんだ!」
シンは叫び、勢いよく走り出した。タケルも一緒に逃げ出したかったが恐怖で体が硬直し、逃げるタイミングを逸した。足首を掴まれたまま地面に倒され、そのままピラミッドのある穴の底へズルズルと引きずり込まれた。
「ワアア!」
タケルは叫んで手足をバタつかせたが、どんどん穴の中に引きずり込まれてゆく。
――ワン、ワン、ワン
そのとき獰猛な犬の鳴き声がして白い手の力が緩んだ。群れになった犬たちが牙を剥き、大地から出てきた白い人たちを追い払ってくれた。
「掴まり――」
黒い服を着た髪の長い婦人がタケルの手を引っ張って穴から引き上げてくれた。タケルはその婦人を見てすぐ、若かりし頃の老婆だとわかった。タケルが会った老婆は目が不自由そうで太っていたが、このときは目がパッチリしていて太ってもおらず、意志の強そうな太い眉毛をしていた。笑うでもなく、怒るでもなく、悲しみをたたえるでもなく、平静の表情でタケルを立ち上がらせ、ピラミッドとは反対方向、大通りの方向に向かってドンと背中を押した。
タケルは一目散に駈け出した。怖くて後ろを振り返れず、前だけ見ながら必死で駆けていった。工事現場の入り口にたどり着いたとき改めて立ち止まり、荒くなった呼吸を整えながら後方を振り返ろうかどうしようか考えた。いま起きたことは現実だったのか、幻だったのか。恐ろしくもあったが老婆のことも気にかかり、ゆっくりと振り返った。白い人たちの集団がピラミッドの底へ吸収されるように下りてゆくのが見えた。
「彼らはどこから現れて、どこへ消えていくんだろう・・・・」
最後に老婆と犬もスーッと下りていった。
十三
工事が一時停止され、高山組と市との間で話し合いが行われた。遺跡建造物は国の重要文化財にもなりそうだし、観光の目玉ともなりうるが、今になって工事を白紙にもできない。地面をすべて掘り起こし、他にも遺跡らしいものがないか調査し、何もなかったなら工事が続行されることとなった。市庁舎と美術館の建設は、遺跡のピラミッドをモニュメントとした設計に一部変更されることで決着し、予算も増やされ、日程も変更され、高山組としては、遺跡の発見は結果的に恩恵となった。
市との緊急会合を終えた高山と若い幹部、現場監督たちは会社のワゴン車に乗り込み、現場視察へ向かった。
「何事もまっすぐに事は進まないものだなあ。何かかんか予想外のことが起こる、ハハハハ――」高山は会合がいい方向で決着し上機嫌だった。「人生も折り返し地点を過ぎて長く生きていると、人生っていうのは努力や能力というのも大切だが、やっぱり運だなあって思うよ」
「なるほど、こうして運を引きつけるのは、やっぱり社長の功徳なんですかねえ」
若い幹部はヘラヘラと笑いながらおべっかを使った。現場監督も、
「ピラミッドのある市庁舎なんて他の市町村に例がありませんね。古代遺跡と現代建築のコラボレーション――、世界的にも注目され、うちの会社も今後さらなる飛躍をしそうですねえ」
そんな話をしているとき、高山のスマホに妻の貴子から電話が入った。
――何の用だ? どうしてメッセージではなく、直接電話をかけてくるんだ? もしかして、彩香とマカオへ言っていたことがバレたわけではなかろうな。
何か追求されたらどう答えようか、いろいろ考えながら電話を取った。
「何だね、仕事中は電話をかけちゃダメじゃないですか」
「貴方、千尋が大変なんです」
「どうした?」
「喘息が止まらなくなって病院に運ばれたようなんです」
「病院に? 喘息は子供のとき完治したんじゃないですか?」
「知りませんわ、あたしはとにかく今から病院に直行します」
「ああ、了解した」
「貴方はどうします?」
「私? 私が行く必要はないでしょう。君一人行けば十分だろうし、私が行ったって何もできやしない。そばにいたところで早く治るわけでもあるまいしな」
高山の言葉を聞いた貴子は呟くように言った。
「貴方は冷たい人ですね」
「冷たい? 仕事だからしょうがないでしょ。こっちは毎日忙しいんだ。電話切るぞ」
高山は妻の一言でイラッとし、衝動的に電話を切った。
「何か問題でも起きましたか」
運転していた部下が心配そうに言った。
「いいんだ。俺が行ったところでどうなるわけでもない問題だ」
「ご家族のことですか?」
「ああ、娘のことだ。家内が面倒なことを言ってきやがった。病院に来いって。俺が家族のためにしてやれることといったら潤沢な金を用意すること、それだけだろ? 金がなかったら治療も受けられないし、薬も買えない」
「まったくそのとおりです――」
そんなことを話していると、また高山のスマホが鳴った。
――また貴子か、何度も電話をかけてきやがって。
画面を見ると見知らぬ電話からだった。
「こちら赤十字病院の者です」
「はいはい、ご苦労様です。娘のことですね。妻から連絡があって知ってますが」
「いや、違います、娘さんのことではなく奥様のことです。今しがた奥様が衝突事故を起こして病院に搬送されました」
「えっ、衝突事故? ほんのさっき彼女から電話があったばかりですが。で、怪我の具合は?」
「朦朧とした感じですが、意識はしっかり持たれています」
「重体じゃないんですね、それはよかった。じゃあ何卒、治療のほどをよろしくお願いします」
高山が電話を切ると、現場監督が心配げに訊ねた。
「社長、どうされましたか?」
「いや、妻がちょっと事故を起こしたみたいなんだ。軽傷だ、なんでもない」
「さっきは娘さんで、今度は奥様ですか・・・・。病院に行かれた方がいいのでは・・・・」
「必要ない、現場だ、仕事現場へ行け。俺はそんな甘い気持で仕事に挑んでない」
「でも、病院で誰かついていないと何かと大変でしょう」
「病院には看護婦でも誰でもいるだろ。俺がいるより専門の人が世話した方が安心だ。そのための職業なんだから。その分謝礼を払えばその人たちも嬉しいだろうし、介護もしっかりしてもらえる。金を使えば社会に金が回り、経済も潤うしな」
「は、はい」
現場監督は納得がいかないような曖昧な返事をした。
「老人の介護だけではなく、こういった緊急の場合のとき、二十四時間介護をしてくれるようなサービスってないのかな? 病院の方にも自宅の方にも行き来してくれるようなサービスが」
「どうでしょうか・・・・」
「そんなのがあったら仕事の時間が削られなくて便利だよなあ。ビジネスプランとして真剣に考えてみても面白い。まずは同業者がいないか調べて、アイディアを具体的な形にしたら資金がどれぐらい必要か算出し――」
高山がそんなことを話していると、また電話が鳴った。
「何だ、今日は電話が立て続けに――」
画面を見ると、彩香からだった。
「いま仕事中だから電話はダメでしょ」
高山は声を落として言った。
「そんなこと言わないでよお。今ね、空港に戻ってきたんだけど、マカオからの荷物があたしのだけ届かないのよお。そんなことってある?」
「係員に相談しなさい、私にはわからないから。かりに盗まれていたとしても旅行前に保険に入っていったでしょ。保険でお金下りるから」
「ええ、そんなあ、お土産たくさん買ったのにィ。それに手続きなんて、あたし一人じゃできないわ」
「大丈夫、係員に訊けば、そんな手続きやり慣れてるから全部教えてくれる。日本語話せるでしょ? 日本語が話せればなんとでもなるよ」
彩香は高山の言葉を聞き、ムッとして言った。
「ターちゃん、冷たい」
「冷たい?」
高山はさっきの貴子の言葉と重なり余計苛立った。
「忙しいから切る」
電話を切り、フーと深く息をついた。
「今度はどうされました?」
運転手がおずおずと訊ねた。
「海外からの荷物が届かないんだってさ。まったく、今日は立て続けにどうなってるんだ・・・・」
さすがの高山も口数が減った。
「社長、あのう、言いにくいことなんですが・・・・」
現場監督がおずおずと言った。
「何だ?」
「工事が始まってからというもの、作業員が怪我したり、病気したり、私は犬に咬まれましたし――、何か不吉なことがよく起こるじゃないですか」
「ああ」
「やっぱり一度工事現場で、きちんとお祓いみたいなことをしたらどうでしょうか。神主さんを呼んで」
「お前まで何をそんな弱気なこと言いだすんだ。何年この仕事をしてる? 遺跡だか、人骨だかが出てきたぐらいでビクビクしやがって。俺たちがやってる土建業なんてな、そんなことだらけだろ。土葬の墓場を整備したこともあるし、火葬場を改築したこともある。で、何が起こった? 何も起きないだろ。そもそもな、この地面の下は死人だらけだ。生まれた数だけ死んでいる。幽霊がどうのこうのってそんなこと言ってちゃあ、地面を掘る仕事なんぞできやせんぞ、バカらしい」
「は、はい・・・・、社長のおっしゃることはわかりますが――」現場監督はビクビクしながら続けた。「でも、実際、あの現場に入ると、私みたいな霊感なんて全くない鈍感な者でも、やっぱり何か気味悪さを感じるんです・・・・。せめて、世間の建前でやってるようなことだけでも・・・・」
「じゃあ、そのお祓いってやつは経費として提出できるのか。神主さん呼ぶったってタダじゃないだろ。あの人たちも喰っていかないといけないんだから」
「そんなのたいした額じゃないと思いますが」
「会社はな、今までそんなことしなくても無事にやってきたんだ。そんなの気持ちの問題だろ。幽霊? 何も見えんだろ。幽霊がいるなら今出してみろよ。出せないだろ。そんな迷信にうつつを抜かしてたら仕事が進まんわ。さあ現場だ、現場へ行け。仕事をして汗を流せ。汗を流して臆病の風邪をどっかへ吹き飛ばすんだ!」
高山は声を荒げて言った。
(了) 2015年作
お布施していただけるとありがたいです。