アサンジ氏の釈放と、ウィキリークスが明らかにした中東イスラム世界
告発サイト・ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジ氏が釈放された。アサンジ氏の受け入れを表明していたオーストラリアのアルバニージー首相は、アサンジ氏の釈放に向けてオーストラリア政府があらゆる努力をしてきたことを強調、拘束を続けても得られるものはないと主張した。
中東イスラム世界絡みでウィキリークスが衝撃を与えたのは、米陸軍ブラッドリー・マニング米陸軍上等兵がもたらした情報だった。
アメリカの軍法会議は2013年7月30日、ウィキリークスに機密情報を提供した米陸軍兵ブラッドリー・マニング被告に対し、スパイ防止法違反について刑期35年の有罪判決を言い渡した(2017年にオバマ大統領の恩赦で釈放)。「国境なき記者団」はこの判決について内部告発者がいかに弱い立場に置かれているかを示すものだと非難した。
この事件では、イラクやアフガニスタンの戦争に関する米軍の情報や、国務省の外交公電などが大量にウィキリークスに暴露された。マニング氏は彼が駐留していたイラクの状況に絶望感を抱いたと述べ、「こうした情報が公になれば、戦争について公に論議されるきっかけになると考えた」と語った。
彼が暴露した情報は米国の中東政策の内実や中東イスラム諸国政府の暗部を伝えるもので、彼は米軍の攻撃ヘリが武装していないジャーナリストやイラク市民を殺害する様子を撮った動画もウィキリークスに流した。
また、マニング氏がもたらした情報は中東の民主化要求運動「アラブの春」の要因ともなり、チュニジアのベン・アリー大統領の腐敗ぶりを伝える文書はアラビア語に訳され、チュニジアでは多くの国民の反発を招き、チュニジアが「アラブの春」の先駆けとなる契機となった。また、マニングはイエメンのサレハ大統領が米軍の無人機による攻撃を黙認したことを暴露したことも、多くのイエメン人の大統領の反発を招くことになり、これもサレハ大統領の失脚をもたらす背景をつくることになった。
また、ケリー国務長官が上院議員時代にイスラエルがシリアにゴラン高原を返還するよう圧力をかけたことも明らかとなったが、これはケリー長官が中東和平に真摯に取り組んでいることを示すことになった。また、アフガニスタンのカルザイ政権の腐敗が途方もない規模でないことも明るみになった。2004年にカルザイが選出された大統領選挙自体が不正な方法によるものだった。アメリカはアフガニスタンに2兆2600億ドルを注ぎ込んだが、アフガニスタンは世界で最も貧しい国の一つのままだ。アメリカはアフガニスタンへの資金供与に対して厳格な監査を行うことがなく、アフガニスタン政府高官たちに腐敗は深刻になっていく。ガニ大統領は腐敗の根絶を公約としながらも、ガニ大統領自身もタリバンが2021年8月にカブールを制圧すると、4台のクルマに現金を積み込んで逃亡したと言われている。
さらにエジプトのホスニー・ムバラク大統領の強権ぶりや腐敗が暴露されたことによって、これもエジプト革命の一因となった。また、イスラエルはガザの人々の生活水準を最低限のレベルにしようとしていること、PLO(パレスチナ解放機構)指導部の腐敗や、PLO指導部がイスラエルにエルサレムのほとんどの地域を放棄するつもりであることも明らかになり、なぜガザの人々がイスラエルやPLO指導部によるパレスチナ自治政府に反発し、ハマスを支持するかが理解できる情報もマニング氏はウィキリークスにもたらした。
マニング上等兵は2009年にイラクに派遣されてから2010年5月に逮捕されるまでの間に、戦場報告から国務省の外交公電に至るまで70万点を超える機密文書を収集してウィキリークスに転送した。それは10年以降、ウィキリークスによって順次ンターネットに公開された。マニング氏は有罪判決を受けたが、彼よりも責任を追及されねばならなかったのは、イラクが大量破壊兵器を保有しているという虚偽の主張で、イラク戦争を始め、数十万人とも見積もられるイラクの人々の犠牲をもたらしたブッシュ政権の指導者たちのほうだろう。