自壊するシオニズム ―イスラエルを離れるユダヤ人たち
イスラエル国家はパレスチナにユダヤ人が集まってユダヤ人の国を創るという考えや実践であるシオニズム思想に基づいて造られた国家だった。しかし、23年10月7日のハマスの奇襲攻撃があって以来、イスラエル中央統計局によれば、イスラエルを恒久的に離れるユダヤ人たちは285%増加したというデータが出た。
10月7日から2カ月後に発表されたデータでは50万人のイスラエル人が国外に流出し、他方でイスラエルに移住するユダヤ人は激減している。24年3月にエルサレム・ヘブライ大学が行った調査では国外在住のイスラエル人の80%が帰国する意思をもたないことが明らかになった。
中央統計局のデータでは、イスラエル国外にセカンドハウスをもち、イスラエル以外のパスポートをもつイスラエル人は安全と安定を求めて国外定住を考えるようになっている。イスラエルが世界のユダヤ人にとって安住の地という従来のシオニズムの主張は覆るようになり、パレスチナにユダヤ人が向かうというシオニズムとは真逆のベクトルが働くようになり、シオニズムの大前提が崩れている。
7月16日に発表されたユダヤ人政策研究所(The Jewish People Policy Institute : JPPI)の世論調査では、4人に一人のユダヤ人が、他方10人に4人のアラブ系市民がイスラエル国外に移住したいと考えていることが明らかになった。ユダヤ人の中で出国を希望するのは、中道から左派の人々で、中道は33%、中道左派は36%、宗教的右派はわずかに4%で、イスラエルが今後も右傾化が顕著になるというイスラエルの政治・社会の将来を反映しているだろう。イスラエルの将来について悲観的と答えた人は51%で、楽観的の47%を上回ったが、楽観的と答えているのは右派の人々に多い。
イスラエルで黒い服装をする超正統派(ハレディム)は通常7人前後の子供をもつが、間もなくイスラエルのユダヤ人人口の6人に1人が超正統派になろうとしている。超正統派は男女の役割を厳格に峻別し、超正統派の政党には女性の議員がいない。その独自の教育システムでは男子に数学、科学、英語を教えることを禁じ、生涯にわたって宗教教育を義務づけるが、その宗教教育の運営資金を国家にあおぐ。超正統派は男子の半分が職をもつだけで、多くが宗教活動だけで暮らして政府からの補助金で生活している。超正統派は子どもの数に応じた額の補助金を政府から得て、また兵役を拒否する。
しかし、超正統派にも兵役義務を課す最高裁判決が24年6月に出て、これに反発する超正統派の大規模なデモが行われるようになった。ネタニヤフ政権では超正統派の二つの政党が内閣を構成していて、徴兵制を進めれば、超正統派の政党が連立から離脱して政権崩壊の危機を迎えることになる。超正統派はネタニヤフ政権だけでなく、小党が分立する傾向にあるイスラエル政治においてキャスティングボートを握っているので、イスラエル政治そのものが今後混乱していくことが考えられる。2060年までに超正統派の人口はイスラエル・ユダヤ人の中で最大多数となることが見込まれている。超正統派の人口増加はイスラエル財政を逼迫させ、イスラエルの産業発展の足かせになる可能性もある。世俗的なイスラエル・ユダヤ人と宗教的なユダヤ人の対立が激しくなり、イスラエルは今後ますます分裂状態に陥る可能性もある。
イスラエルは建国以来、国民が国を離れることを非難してきた。イスラエルから出国することをヘブライ語では「ヨルディム」というが、それはヘブライ語で「下ること」を意味し、それに対してイスラエルに移住することを「アリヤー」と言って「上ること」を意味する。この表現からもイスラエルが、アリヤーを重視してきたことがわかる。イスラエルでは近年高賃金の医療、ハイテク、学術の仕事を求めて出国する人も多く、国外移住を語ることも、さほど不名誉なことではなくなった。特に23年10月7日のハマスの奇襲攻撃以来、イスラエルの安全について不安に思う人も増え、またネタニヤフ首相が主張する司法改革などに反発し、国外移住への関心が高まっている。近年アリヤーの数も減少し、アリヤーは2022年の7万6、616人から23年は4万5、533人と大幅に減少した。イスラエル建国から4分の3世紀を経て、シオニズムは重大な綻びを見せるようになっている。