異文化を尊重したレンブラントと、イスラエルの占領に「NO」を唱えるオランダの気骨
オランダの画家レンブラント(1606~69年)がインドのイスラム国家であるムガル帝国の芸術を称賛していたことはあまり知られていない。ムガル帝国は、宮廷用語がペルシア語であったが、その建築様式や芸術もペルシアの強い影響を受けていた。ムガル朝の細密画は、ペルシア人画家の活動や細密画が描かれているペルシア写本の入手によって、サファヴィー朝ペルシアの様式を基に発展していった。
レンブラント自身はインドを旅行したことはないが、ムガル帝国の細密画から強い印象や動機を得た。第3代皇帝アクバル(在位1556~1605年)の時代、1580年ぐらいからイエズス会の宣教師たちが宮廷にもち込んだ西欧絵画の影響で、ムガル帝国の細密画はペルシアの伝統的な作風に加えて遠近法や陰影法が採り入れられることになり、独特の発展を遂げることになった。
第4代ジャハーンギール(在位1605~1627年)の時代には、東インド会社によって多くのムガル帝国の細密画がオランダにもたらされ、レンブラントだけでなく、他のオランダの画家たちにも強いインスピレーションを与えることになった。東インド会社が介在していたように、ムガル帝国の細密画には経済的価値もあった。レンブラント自身も細密画を日本の和紙の上に描き、彼自身の陰影法や遠近法を採り入れた。このようにレンブラントの細密画は、17世紀の東西文化の交流を象徴するもので、オランダの貿易活動や、またヨーロッパのオリエント文化への関心によって実現した。
レンブラントはムガル皇帝たちの肖像画も描いたが、ムガル帝国の肖像画の荘厳なスタイルを芸術的に伝えることに苦心し、顔の特徴を細心の注意を払って描いた。
レンブラントを生んだオランダは、多様性を尊重する寛容な社会と自由主義が特徴であり続け、また国際法を重視する国でも知られる。「国際法の父」とされるフーゴー・グロチウス(1583~1645年)は、レンブラントとほぼ同時代に生きたが、国家や宗教の対立を超えた自然法の存在を強調し、国際法の基礎をつくったと言われている。国家や宗教を超えた価値を見出すという点で、レンブラントとグロチウスでは共通するものがあるように思うが、オランダはハーグで1899年に国際会議が開催され、毒ガス禁止宣言やダムダム弾禁止宣言が採択され、また1907年に同じくハーグで開催された第二回会議では軍事的攻撃の対象を戦闘員と軍事目標に限定することが成文化された。
ダムダム弾は1890年代にイギリスがインドの山岳民族と戦うために開発されたものだが、人に当たると中の鉛が飛び出し必要以上の苦痛を与えたり、殺傷能力を高めたりする。ハーグの国際会議で強調された攻撃手段の制限と軍事目標主義は、戦争の破壊力と人的被害を抑制するための具体的な試みだった。
こうした歴史的背景や伝統もあってオランダのハーグには国際司法裁判所や国際刑事裁判所が置かれているが、オランダは国際法を守らないイスラエルには厳しい姿勢で臨んでいる。
今年2月にハーグの高裁は12日、オランダ・ハーグの高裁は、F35戦闘機の部品輸出を7日以内に停止することをオランダ政府に求める判断を下した。その理由はイスラエルの攻撃が民間人にもたらす結果を十分に考慮せず、不均等な数の民間人が死傷しているというものだった。F35は1時間飛行するごとに3時間のメンテナンスが必要と言われるほどで、部品はその戦闘行動に欠くことができない。日本からもF35戦闘機の部品はイスラエルに輸出されていると見られるが、日本にはハーグ高裁のような動きはない。オランダはまたヨルダン川西岸の占領地で製造された製品に「Made in Israel」というラベルを貼ることを厳格に禁じる国だ。
フランス国民議会選挙で極右政党「国民連合」が第一党となり、特に移民政策が厳しくなると見られている。両親が外国人でもフランスで生まれればフランス国籍を得られるという出生地主義も撤廃されそうだ。こんな時代だから国家や宗教を超えた文化を尊重したレンブラントのような姿勢はますます貴重に思われる。