「地球全体がおかしくなった」(石牟礼道子さん)と田中正造の「真の文明は山を荒さず」
地球全体がおかしくなった
その時代の核のようなものが水俣にある ―石牟礼道子
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。、、、、上から順々に四二人死んでもらう。奥さんに飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」―石牟礼道子「苦海浄土 わが水俣病」より
「銭は一銭もいらん・・・」の言葉は昭和43年から始まった水俣病患者互助会と新日本窒素(チッソ)水俣工場との補償交渉でチッソからゼロ回答があったときの、患者の一人が口にしたものだ。石牟礼道子さんは「もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである」と記している。
27日、水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済を受けられなかった近畿地方の住民ら128人が、国と熊本県、原因企業のチッソ(東京都)を相手に1人当たり450万円の損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁の達野ゆき裁判長は原告全員を水俣病と認定し、各275万円(総額3億5200万円)を支払うよう国などに命じる判断を下した。沖縄県の辺野古移設などに見られる司法判断で国有利な判決をずっと見てきただけに国の賠償責任を認めた画期的な判断という印象を受けた。
水俣病は石牟礼道子さんが述べているように、地球全体がおかしくなっていることの先駆けとも言うべき環境破壊だった。また、日本社会の無責任ぶりをあらためて示すことにもなった。
「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。あれが国ならば国ちゅうもんは、おとろしか。(中略)どこに行けば、俺家の国のあるじゃろか」(「苦海浄土」より)
水俣病被害を訴えても誰も責任の所在を明らかにせず、誰一人責任を取ろうとしない、皆責任逃れをする、水俣病患者たちのいら立ちが上の発言に表れている。
環境問題や水俣病に取り組んだ宇井純さん(1932~2006年)は「公害に第三者はない」と語っていたが、一部地域の人々が犠牲になりながら日本の経済発展の恩恵を受けた誰にも水俣病に責任を負っていて、誰もが無責任でいられない。
石牟礼道子さんは「私にとって田中正造は“思想上の父”です。」「100年の歳月を超えて、我々は正造の魂を受け継ぎ、生きていかなければならないのです。」とも語ったが、その田中正造は
「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国」(1900年、議会質問書)
と述べている。
環境問題、SDGなどの言葉が強調されるようになっても日本政府や日本人の環境意識はまだまだ低いように思う。誰もが地球環境問題に責任を負うが一般的に無頓着な印象だ。電気自動車の開発、使用は大きく後れ、火力発電に大きく依存して不名誉な温暖化に後ろ向きな「化石賞」を受賞してもいる。
アフガニスタンで支援活動を行っていた中村哲医師は「今ほど切実に、自然と人間との関係が根底から問い直されている時はない」と語り、早くから気候変動がもたらす影響に気づいていた。中村医師は「日本の良心の気力」を示そうという気概をもって井戸を掘ったり、灌漑施設を造ったりしたが、環境問題に対する中村医師なりの日本人としての責任の取り方であったような気もしている。
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