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アメリカ占領 マッカーサー統治とイラク・アフガニスタンとの相違
21日に放送された「映像の世紀 バタフライエフェクト GHQの6年8カ月 マッカーサーの野望と挫折」では文字通りマッカーサーを頂点とするGHQの戦後日本統治が紹介されていた。
ドキュメンタリーの最後では作家・坂口安吾の「妙な話だが日本の政治家が日本のためにはかるよりも彼(マッカーサー)が日本のためにはかる方が概ね公正無私で、日本人に利益をもたらすものであったことは一考の必要があるでしょう。占領されるということが幸福をもたらすという妙な経験を日本はしたものさ。」という言葉が紹介されている。
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マッカーサーの退任演説は1951年4月19日に合衆国議会合同会議で行われたが、有名な「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という一節を含む演説の中で、マッカーサーは日本について次のように語る。
「戦後日本国民は近代史に記録された中では最も大きな改革を経験してきました。私は占領軍の4個師団を朝鮮戦争に送りましたが、日本に生じる力の空白については何の不安もありませんでした。結果はまさに私が苦心していた通りでした。日本ほど穏やかで秩序のある勤勉な国を知りません。また日本ほど将来人類の進歩に貢献することが期待できる国もないでしょう。」
アメリカの占領統治は軍国主義のマインドコントロールを解くところから始まる。1945年9月2日のミズーリ号の降伏文書の調印式でマッカーサーは、「この式典を境に歴史が殺りくと血にまみれた過去から自由と正義、そして寛容の未来へと変わることを私は心から望む。それは全人類の願いなのです。」と語っている。
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GHQの日本統治には二つの大きな柱があった。日本の軍国主義による戦争の手段となった軍隊の解体を含む非軍事化と、民主化である。
非軍事化では国際紛争を解決する手段として武力の行使の放棄が日本国憲法ではうたわれた。日本国憲法はGHQの民生局が憲法草案の作成については中心的役割を担ったが、ここにはリベラルな考えをもつ人々が多かった。憲法9条については歴史家の半藤一利氏が首相や外相などを歴任した幣原喜重郎(1872~1951年)の役割を紹介している。1928年に成立した「パリ不戦条約」は第一条で「国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄」を宣言しているが、日本が破ったこの不戦条約の精神を幣原は憲法の中で復活させたかった。幣原は昭和初期、武力によらない方法で日本の中国での経済的権益を維持、拡大することを考えていた。
日本の民主化については、マッカーサーは天皇の戦争責任を問わないで、天皇の役割を何らかの形で残しながら考えていった。そのためにGHQは天皇の地方巡幸などを実現しながら、財閥解体、農地改革、婦人参政権の付与、労働組合の結成、教育の民主化を行っていく。日本の農地改革は成功した事例として1959年に来日した革命家のチェ・ゲバラなども関心をもっていた。
GHQの占領政策が変化していくのは、冷戦構造が強化されていったことを背景にしている。民主化とは相容れない公務員のスト権はく奪、共産党幹部追放、非軍事化に逆行する警察予備隊の創設など、特に最後の警察予備隊の創設に見られる日本の軍事化は現在でもアメリカが日本に要求を考える課題となっている。
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アメリカは日本で曲がりなりにも成功した民主化、自由化をイラクやアフガニスタンでも目標にした。しかし、戦争によって考えた自由や民主主義はこれら2国では実現されることなく、暴力、政治腐敗、抑圧的政治、貧困などの問題がこれらの国では定着していった。何よりも日本との戦争とは異なってアメリカの中東での戦争には正当性がなく、現地住民たちが占領者である米軍に対するテロもいとわないほどの反発や憎しみを抱いた。
米軍進駐の下で支配層は私服を肥やすなどの腐敗が進み、アメリカが後押しする政府に求心力がまるでなかったし、女性のベール着用などイスラームの伝統的価値観に対する無理解にも現地の人々には抵抗感があった。アメリカは現在タリバンが女子教育を受けさせないと非難するが、タリバン復権以前にもアフガニスタンの中央統計局のデータによれば、アフガニスタンの女性の84%は非識字で、高等教育を受けることができたのは2%に過ぎなかった。アメリカが後押しする政府が無能では政治や社会の改革は進めようがなく、アメリカは効率ある政府づくりに失敗し、アフガニスタンではタリバンの復権となり、またイラクの政府は反米的性格をもっていった。
それにしてもマッカーサーが作成した朝鮮戦争での原爆の投下計画、ざっと見ただけでも10都市以上、核兵器の安易な使用を考える政治家や軍人が出てくる可能性にあらためて触れる思いで、プーチン大統領が核で恫喝することと合わせて戦慄を覚えざるをえない。
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