関東大震災とファシズムの時代、被害者を忘れる日本人
俳優の千田是也(1904~94年)の芸名の由来は、1923年9月1日の関東大震災の時に、住んでいた千駄ヶ谷で自警団に加わっていたところ、自分が朝鮮人に間違われて暴行を受けた。後に、朝鮮人襲撃の噂は政府や軍が流したデマだと知り愕然とした。その体験を元に自分もデマに乗せられることがないようにという自戒の想いを込めて、千田是也(センダガヤのコリア)という芸名を付けた。
千田是也の映画は「トラ・トラ・トラ!」の 近衛文麿首相の役とか、第五福竜丸(1959年)松川事件(1961年)などを観たことがある。1944年に俳優座を創設し、亡くなるまで代表を務めた。松本清張の『昭和史発掘』にも小林多喜二のデスマスクを作るのに参加したという記述があった。
小林多喜二の死については、松本清張の「昭和史発掘」で詳しく取り上げられているが、松本清張は、昭和前期に軍部主導でファシズムが台頭していく様子を多数の資料や取材を駆使して、ファシズムに警鐘を鳴らしていた。俳優の米倉斉加年さんは、2003年2月に、作家小林多喜二をテーマにした舞台を前にして「東京新聞」への寄稿で「湾岸戦争、アフガン戦争。そして、ここのところのイラク問題。アメリカに加担している日本に、戦前の多喜二の死の時代が重なってくる」と懸念した。
戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人の寺田寅彦は、関東大震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れる」などの流言飛語による朝鮮半島出身の人々に対する虐殺について下のように書いている。
「例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量(きょくりょう)を推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。・・・科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。」寺田寅彦『流言蜚語』(東京日日新聞1924年9月)
中村哲医師は、作家・澤地久枝氏との対談である『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』の中で「いま、家内の里の大牟田というところにいますが、あそこには、何百人だか、何千人だか、強制連行で朝鮮人が連れてこられて、何百人も死んでいます。そのことは、もう皆、忘れてるんですね。拉致という行為そのものは国家的犯罪ですから、北朝鮮が悪くないなどとなどとはひと言も言いませんが、それ以上のことを日本はした。・・・自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがなくならない限り駄目ですね。」と述べている。
9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園に設置された朝鮮人犠牲者の追悼碑前で追悼式典が行われたが、小池都知事は今年も追悼文を送らなかった。小池都知事は朝鮮人を追悼することは「自虐史観」とでも言うのだろうか。歴史に対する厳しい反省がなければ、流言飛語、マイノリティに対する人権侵害、ファシズムなど同じ過ちを繰り返すことになる。イスラエルではナチスのホロコーストが忘れられたように、ホロコーストと同様なことがパレスチナ人に対して行われている。俳優の土屋嘉男さんは「そして終戦というけど終わっていない、今も終わっていない。どこかで戦争してますよ、地球上で。」(NHKの「戦争証言アーカイブス」)と言っていたが、日本も戦前は終わっていない。