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スペイン帝国・栄枯盛衰の教訓 ―戦費増大と異教徒の排除
「王座、王冠、支配、栄華もすべて/消え去るゆえに、なんの価値もない/人が世に留める名声こそは/黄金の宮殿にはるかにまさる」 サーディー
作家の堀田善衛は、スペインでその建造物などにイスラムとユダヤ教、キリスト教が共存し、異文化・異文明が混在して豊かな社会を創り出していたことを見出した。スペインは、1492年にイスラム教徒とユダヤ人を放逐し、同じ年の1492年にスペインのイサベル1世の支援を得たコロンブスはアメリカ大陸にたどり着く。カルロス1世(カール5世)からフェリペ2世までの16世紀のスペインは、特にアメリカ大陸の銀などの資源を独占して、広大な領土をもつ大帝国を建設した。
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しかし、フェリペ2世がマドリッド郊外に築いた豪華なエスコリアル宮殿などの奢侈、フランスとのイタリア戦争、オスマン帝国とのレパントの海戦など戦費が嵩み、新大陸から得られた銀による富の多くが、王族の贅沢や戦費に用いられた。1588年にはスペインの「無敵艦隊」はスペイン領であったオランダの独立を支援するイギリス海軍とのアルマダ海戦に敗れ、その衰退が次第に判明していく。
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新大陸から獲得された富はこのように国内産業の育成に役立てられることがなく、また国内商業を担っていたユダヤ人とイスラム教徒(ムーア人)を宗教的に迫害し、追放したことは経済の活力を奪う要因となり、他宗教と共存できないこともスペイン衰退の背景となった。ユダヤ人たちはイスラム・スペインの中で、キリスト教ヨーロッパ社会よりもはるかに多くの自由を享受し、医学、数学、哲学、植物学などの分野で貢献し、独自の法的制度の中で生活していた。ユダヤ人たちは農業に従事するだけでなく、商人や職人としても活動していた。
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ムスリム支配下のスペインではユダヤ人たちは、ゲットーに強制的に住まわされることもなく、金や銀の取引にも従事することもできた。キリスト教徒の中にもアラビア語を学んだり、イスラム風の衣服を身につけたりするものまでも現れた。アラブ史の碩学であるアメリカ・プリンストン大学のバーナード・ルイス名誉教授によれば、支配階層であるムスリムがヘイト的な行動をクリスチャンやユダヤ人に対して行うことはなかった。
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戦費の増大、宗教が異なるという理由で優秀な人材を社会の活力としなかったことがスペイン衰退の一要因となったが、現在ガザやレバノン南部で戦争を行い、予算の多くを戦費に用い、パレスチナ人を徹底排除するイスラエルの姿は過去のスペイン帝国に重なるように見えるのだが・・・。
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