楳図かずおさんが描いた「死者の行進」
漫画家の楳図かずおさんが亡くなった。ホラーからSF、ギャグ漫画など幅広く手がけておられた。
手元にある楳図さんの漫画は「死者の行進」という『漫画が語る戦争 戦場の挽歌』(小学館、2013年)に収められたものだ。
『漫画が語る戦争』には水木しげる、古谷三敏、白土三平などの作品も収められているが、楳図さんは、「死者の行進」について、「『死者の行進』を描くときはものすごく迷いました。当時は、戦争を体験した方がたくさんいらっしゃいました。マンガ家の中にも水木しげるさんみたいに戦場で腕をなくした人もいらっしゃったから、経験のない僕が戦場を描くのは、いけないことじゃないか、失礼になるんじゃないか、と思ったんです。」と述べている。
「死者の行進」は舞台の設定は昭和18年のニューギニアに近い孤島となっていて、敵の来襲を知らせるために、本部まで行進する部隊の様子が少年の二等兵と、気が狂ったように、鬼とも言えるほど厳しい隊長とのやり取りの中で描かれている。飢餓が深刻な中、隊員の食事をかすめ取ろうとする上官、その隊員を殺害する隊長、少年兵も力尽きそうになった時、隊長に殺されそうになる。マラリアの薬を奪い合い兵士たちの形相には必死なものがあるのだが、少年兵は隊長の理不尽なふるまいに我慢できずに・・・。しかし、隊長の「狂気」は兵士たちを奮い立たせるものであったという隊長のメモが戦後の遺骨収集作業の中で見つかる。
同じ『漫画が語る戦争』にある水木しげる氏の「敗走記」も彼の奇跡の生還を描くことによって、戦場の不条理を伝えている。水木さんはラバウルの西ズンゲンより先にある「バイエン地区」で10数人の分遣隊でオーストラリア軍と対峙していると、オーストラリア軍に率いられた現地住民のゲリラに襲撃され、水木氏一人だけが生存した。水木さんは、一人でバイエンを脱出し、何日もかけて本隊に戻った。しかし、戻った時に、たった一人生き残ったことをなじられてしまう。ここまでが「敗走記」の内容だが、水木さんは楳図さんの「死者の行進」のような経験もしている。
原隊に復帰すると、所属した大隊が玉砕を決定するが、水木氏の上官の中隊長は遊撃戦を主張して生き延びる。中隊長の児玉清三中尉は死を覚悟していたせいか水木氏によく似顔絵を書かせていた。児玉氏は37歳か、38歳の材木屋だった。中隊長の上の支隊長(大隊長)は陸軍士官学校卒の成瀬懿民少佐だった。27歳の成瀬少佐は上の命令に忠実で、水木氏によれば人間を人間として扱わないようなところがあり、自分を大楠公にたとえて玉砕を敢行して果てるが、水木さんは児玉中尉に従ったためえに生き延びる。
「変なのはやっぱり士官学校出ていきなり大尉とか少佐になった連中で、人間を人間とも思わないわけですよね。作戦の道具としか思わないようなのがいたねぇ。やっぱり27ぐらいで少佐なんてのは。」(水木しげる「漫画で伝え続ける戦争体験」NHK戦争証言アーカイブス)
同じ『漫画が語る戦争』で古谷三敏さんは「客席芸人伝」で、真打ち披露が間近な落語家・柳亭円治」の話を描いている。円治が徴兵されると、「二度と出てこねぇ落語家なんだ」と言って、師匠も悔しがる。師匠は「生きて、生きて、帰ってこいよ」と叫びながら円治が出征する汽車を見送った。円治はニューギニア戦線に赴き上官や仲間たちに連日落語を披露し人気を得る。突撃の前日に真打ち披露を行うが、その際の「五人廻し」という遊郭話は聞くものをして本当に遊郭にいるような迫力があったが、客はたったの9人の兵士たちだった。翌日円治は砲弾の破片に当たり亡くなるが手には扇子と手ぬぐいを握りしめていた。
紹介した戦争漫画は戦争の理不尽ぶりを伝えているが、現在パレスチナのガザでは不合理な、人間を人間とも思わない戦争が続いている。イスラエルを見ていていると戦争のない日本はつくづく良い国だと思う。水木しげるさんは「敗走記」を「戦争は人間を悪魔にする 戦争をこの地上からなくさないかぎり 地上は天国になりえない・・・」と結んでいる。
表紙の画像は楳図かずおさん
https://www.chunichi.co.jp/article/982077