中村哲医師没後5周年と「常に努力して励む者を救済する」
世は思い出
われらは去りゆく
人に残るのは善き行いのみ ―「シャーナーメ(王書)」
ゲーテの『ファウスト』では、天使たちは神に代わって、「常に努力して励む者を/我らは救済することができます」と歌う。多くのイスラームの哲学者が踏襲したのはアリストテレスの霊魂観であり、生きている間に思惟能力(知力、倫理的な力)を発達させた場合、霊魂は肉体から解放されて至福の状態を得る(『岩波イスラーム辞典』より)。今日、4日で中村哲医師が亡くなってから5年が経過したが、アフガニスタンの人びとへの支援のために努力した中村哲医師の霊魂は至福の状態を得たに違いない。
中村医師が活動したアフガニスタンで生まれたルーミーの詩は、ペルシャ文学研究の佐々木あや乃さんによれば、自らの霊魂を自由にするための努力を人間が行うとともに、平穏、平安、歓喜の境地に至る神の救済を求めるものだ。
さあ、行くがいい、そして助け手となれ
あなたの助けを必要としている者がいる
案ずるな、時は常にあなたに味方しよう
時は決して恩を忘れたりしないだろう
全ての者がいつかはこの世から立ち去る
富も財産も、あの世へはもっては行けない
あなたもいつかはこの世を去る日が来る
その時の、現世の置き土産には富よりも
たった一つの善行の方がはるかにまさる
―アフガニスタン・バルフ出身の詩人のルーミー(1207~73年)
(西田今日子訳)
中村医師はアフガニスタンでらい菌(ハンセン病)やコレラの感染症の治療のための努力を惜しまなかった。アフガニスタンでは食べ物がまったくないわけでなく、食べ物が不足して栄養が足りないところに、不衛生な水を飲み、赤痢などの感染症に罹(かか)り、脱水症状になってなって死ぬケースが多いと中村医師は語っていた。感染症の患者に抗生物質を与えるよりも、清潔な水を与えるほうが有効だと考え、井戸を掘り、掘った井戸の数は実に1600本にも上った。
井戸掘り事業は危険と隣り合わせの作業だった。ある日、井戸の滑車に跳ね飛ばされて現地のアフガン人が井戸の底に落ちてしまった。中村医師たちがその作業員の父親にお悔やみを述べに行くと、父親は「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共にはたらき、村を救う仕事で死んだのですから本望です。 全てはアッラーの御心です。…… この村には、大昔から井戸がなかったのです。みな薄汚い水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。…… その小川が涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも(その井戸が)ひとつ二つでなく八つも…… 人も家畜も助かりまし た。これは神の奇跡です」と述べた。
戦争による破壊は一瞬だが、平和をつくるには長い忍耐と努力が必要だと中村医師も語っていた。1980年代から2010年代の終わりまで、戦乱の続くアフガニスタンの難民たちを救済し、暴力主義や戦争にあらがうように、砂漠に緑を取り戻して平和をつくる実践を行い、真の平和主義の手本を現地の人々や国際社会に示した。その活動は、日本をはじめ世界のより多くの人々に知られて理解され、その魂は永遠に生き続けるだろう。
表紙の画像は2014年、アフガニスタンの用水路建設現場でスタッフに作業を指示する中村哲医師。側近として活躍した運転手のザイヌッラ・モーサムさん(右)は19年、中村さんと共に凶弾に倒れた
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