被爆の悲惨な実相を伝えない平和式典は世界の人々にアピールしない
今日の広島平和記念式典、心に響くものや真に迫るものがなく、迫力に欠ける式典だと思わざるを得なかった。外国からの出席者は松井市長、岸田首相、湯崎・広島県知事の話を聞いて何らかの感銘や深い印象を与えられることもなかっただろう。松井市長の核兵器に依存する平和からの脱却や、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加の要求は毎年繰り返されてきた。また、岸田首相は核兵器のない世界に努力を積み上げていくという話を毎年繰り返しているが、その努力の痕跡がまるで見られない。まさに「うどん屋の釜」の世界だ。
ジェノサイドを継続するイスラエルを招待したことと言い、被爆の悲惨な実相を語らない平和式典は、その価値や権威を広島市など主催者側が自ら引き下げている様子だ。岸田首相は米国がもたらした被爆の悲惨な実相に関する記憶を希薄にしたい意向であることが伝えられ、まさに被爆の犠牲者たちを裏切るようだ。
他方、長崎市の平和記念式典では毎年被爆者代表が「平和の誓い」を述べるが、彼らが語る被爆体験からは核廃絶への強い想いや感情が伝わってくる。外国からの参加者が特に共有したいのは、被爆者たちによる核廃絶への訴えではないだろうか。
第二次世界大戦後、米国など欧米の軍事介入を受けてきたアラブ・イスラム諸国の人々は悲惨な戦争に反対する想いを広島や長崎の被爆者たちと共有し、連帯したいに違いない。しかし、広島の平和式典はG7の会場が広島に選ばれたように、核爆弾の惨禍を繰り返さないという決意よりも、欧米との結束強化のほうに重点が置かれるようになっている。
長崎では、2014年8月9日、8月9日、長崎原爆の日の平和祈念式典で被爆者を代表して城臺(じょうだい)美彌子さんが「平和への誓い」を行い、式典に出席していた安倍首相の目の前で「集団的自衛権の行使容認は日本国憲法を踏みにじった暴挙」と非難したことがあった。
城臺さんは、次のように原爆が投下された時の恐怖の想いを語った。
「たった1発の爆弾で、人間が人間でなくなる。たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。
私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。私が被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。
今強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。」
こういう話のほうが遠路はるばる外国からやって来た人々は、政治家や首長の話よりも傾聴に値するものと考えるだろう。
原爆投下直後の広島の惨状については、映画「ひろしま」は映画紹介のYouTubeでオリバー・ストーン監督が「絶対に見てほしい。世界中の人に見てほしい映画だ。この映画は現代戦争の真の恐ろしさを思い出せてくれる。」と話すように、核兵器の恐怖が伝わってくる。また被爆者で、反核活動家のサーロー節子さんは「今まで見た広島のフィルムの中でこれがいちばんあの時の私が体験したことを身近に感じさせてくれるフィルム。あれに優る映画はつくられていないと思うですよ。世界中で。」と語っている。https://www.youtube.com/watch?v=UwnaJtPuP1g
原爆の記憶がまだ生々しい1953年に制作され、ETV特集のタイトルのように、被爆を体験した8万8千人の広島市民たちが参加し、映画に登場した。制作された経緯からも映画は歴史研究の貴重な「史料」ともなりうるものだ。欧米などでは文字資料だけによらない写真、映像、インタビューなどによる歴史の構築が提唱されてきた。
一昨年の平和記念式典で子ども代表が「自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心をもち、相手を理解しようとすることです。本当の強さをもてば、戦争は起こらないはずです。」と述べたが、軍事力でパレスチナを圧倒し、制圧しようとするイスラエルに知ってほしい言葉だ。この言葉は、自国が他国よりも優越しているというナショナリズムを乗り越えるための普遍的知恵や価値観を伝えているが、市長や首相のスピーチはいかに戦争を乗り越えるかという本質的な視点や配慮に欠けていた。
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