明日、平和記念式典 ―イスラエル招待でますます形骸化する「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」
広島平和記念資料館を訪問したパレスチナの民族詩人マフムード・ダルウィーシュは、彼の作品『忘れやすさのための記憶』の中で「記念館には殺した者の名前を示すものは何も無かった、『太平洋の基地から,この方向に爆撃機はやってきた。』これは共謀なのか追従なのだろうか。犠牲者に関しては、名前など必要ない。葉っぱがついていない人の骸骨。形のためにだけ、骨から作られた枝。形のためだけにある形。向こうにいる女性から選り分けられたわずかな髪の毛の束.壁の説明書きが死の程度を示している、火傷のため、煙のため、毒のため、放射能のため。」(小泉純一「中東と極東の作家たちの出会い: マフムード・ダルウィーシュが忘れられなかった広島」)
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原子爆弾を投下した米国を原爆資料館の展示で責めることがないことは、ダルウィーシュには不思議ではならなかった。同様な想いは1959年7月に広島を訪問したゲバラにもあったようで、ゲバラは通訳の広島県庁職員・見口健蔵氏に「きみたち日本人は、米国にこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と尋ねた。いまや、日本の岸田首相は原爆投下の当事者が米国であったという記憶を希薄にすることに躍起となっている。
ダルウィーシュは「ヒロシマの問題は全世界の人々の心の奥深く突き刺さったままだ.この残虐の代価を負ったのはヒロシマの人々だが、それは全人類が負った代価だと言える。」と述べたが、それは被爆の犠牲となった広島市民と、イスラエルの攻撃によって亡くなるパレスチナ市民の姿が重なるからだ。パレスチナは、理不尽にも分割された上に、イスラエルと戦争を行い、イスラエルは広島に原爆を落とした米国の武器や弾薬による圧倒的な軍事力で、パレスチナの市民を殺害している。ダルウィーシュが、日本人が米国を責めることがないことを不思議に思えたのは、パレスチナ人に対するイスラエルの無差別爆撃が継続し、しかもそれを米国が支援しているということもあったに違いない。
広島の平和へのメッセージとは、広島の原爆投下と同様に、無辜の市民が戦争で犠牲になることを繰り返してはならないというものだが、明日の平和記念式典に広島市は多数の市民の殺害を続けるイスラエルを招待しようとしている。イスラエルは昨日、4日にも「ハマスの司令センター」だと主張して、ガザの学校や病院など空爆し、住民ら40人以上を殺害した。とても、平和の祭典オリンピックの期間中にすることとは思えない。イスラエルはオリンピックが開催されてから、ガザへの攻撃を継続し、さらにヒズボラのファド・シュクル司令官、ハマスのハニヤ最高指導者、ガザのハマスの軍事部門トップムハンマド・デイフ司令官を殺害した。ロシアのオリンピック参加を禁じ、イスラエルの参加を認めるIOCや開催国フランスの二重基準がますます明白になっている。
学校や病院がハマスの「司令センター」などというのはいかにもイスラエルらしいフィクションだが、8月1日、米国のバイデン大統領と電話会談したネタニヤフ首相は、バイデン大統領がいますぐハマスとの取引に応じるべきだと求めると、交渉を進めていると切り返したという。これにはバイデン大統領も激怒し、「デタラメを言うな(Stop bullshitting me)!」「米国の大統領を甘く見るなDon’t take the president for granted.」と反発したとイスラエルのハアレツ紙などが報じている。交渉の最高責任者であるハニヤ氏を殺害するように、戦争を長引かせることによって首相職に留まり裁判を免れたいネタニヤフ首相は人質解放交渉に重大な関心をもたず、さらにイランやレバノンのヒズボラなどに戦火を拡大させたいように見える。
ガザ空爆の被害者たちの心情も考慮せずに、戦争をさらに継続する構えでいるイスラエルを平和記念式典に招待するのは、被爆犠牲者に対する「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」の誓いをいっそう形骸化させるものだ。