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明日、平和記念式典 ―イスラエル招待でますます形骸化する「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」

 広島平和記念資料館を訪問したパレスチナの民族詩人マフムード・ダルウィーシュは、彼の作品『忘れやすさのための記憶』の中で「記念館には殺した者の名前を示すものは何も無かった、『太平洋の基地から,この方向に爆撃機はやってきた。』これは共謀なのか追従なのだろうか。犠牲者に関しては、名前など必要ない。葉っぱがついていない人の骸骨。形のためにだけ、骨から作られた枝。形のためだけにある形。向こうにいる女性から選り分けられたわずかな髪の毛の束.壁の説明書きが死の程度を示している、火傷のため、煙のため、毒のため、放射能のため。」(小泉純一「中東と極東の作家たちの出会い: マフムード・ダルウィーシュが忘れられなかった広島」)
file:///C:/Users/okmiy/Downloads/gendai135-08koizumi%20(1).pdf 

 原子爆弾を投下した米国を原爆資料館の展示で責めることがないことは、ダルウィーシュには不思議ではならなかった。同様な想いは1959年7月に広島を訪問したゲバラにもあったようで、ゲバラは通訳の広島県庁職員・見口健蔵氏に「きみたち日本人は、米国にこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と尋ねた。いまや、日本の岸田首相は原爆投下の当事者が米国であったという記憶を希薄にすることに躍起となっている。

広島平和記念公園を訪問するゲバラ https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=74389


 ダルウィーシュは「ヒロシマの問題は全世界の人々の心の奥深く突き刺さったままだ.この残虐の代価を負ったのはヒロシマの人々だが、それは全人類が負った代価だと言える。」と述べたが、それは被爆の犠牲となった広島市民と、イスラエルの攻撃によって亡くなるパレスチナ市民の姿が重なるからだ。パレスチナは、理不尽にも分割された上に、イスラエルと戦争を行い、イスラエルは広島に原爆を落とした米国の武器や弾薬による圧倒的な軍事力で、パレスチナの市民を殺害している。ダルウィーシュが、日本人が米国を責めることがないことを不思議に思えたのは、パレスチナ人に対するイスラエルの無差別爆撃が継続し、しかもそれを米国が支援しているということもあったに違いない。

https://x.com/AkimotoThn


 広島の平和へのメッセージとは、広島の原爆投下と同様に、無辜の市民が戦争で犠牲になることを繰り返してはならないというものだが、明日の平和記念式典に広島市は多数の市民の殺害を続けるイスラエルを招待しようとしている。イスラエルは昨日、4日にも「ハマスの司令センター」だと主張して、ガザの学校や病院など空爆し、住民ら40人以上を殺害した。とても、平和の祭典オリンピックの期間中にすることとは思えない。イスラエルはオリンピックが開催されてから、ガザへの攻撃を継続し、さらにヒズボラのファド・シュクル司令官、ハマスのハニヤ最高指導者、ガザのハマスの軍事部門トップムハンマド・デイフ司令官を殺害した。ロシアのオリンピック参加を禁じ、イスラエルの参加を認めるIOCや開催国フランスの二重基準がますます明白になっている。

 学校や病院がハマスの「司令センター」などというのはいかにもイスラエルらしいフィクションだが、8月1日、米国のバイデン大統領と電話会談したネタニヤフ首相は、バイデン大統領がいますぐハマスとの取引に応じるべきだと求めると、交渉を進めていると切り返したという。これにはバイデン大統領も激怒し、「デタラメを言うな(Stop bullshitting me)!」「米国の大統領を甘く見るなDon’t take the president for granted.」と反発したとイスラエルのハアレツ紙などが報じている。交渉の最高責任者であるハニヤ氏を殺害するように、戦争を長引かせることによって首相職に留まり裁判を免れたいネタニヤフ首相は人質解放交渉に重大な関心をもたず、さらにイランやレバノンのヒズボラなどに戦火を拡大させたいように見える。


 ガザ空爆の被害者たちの心情も考慮せずに、戦争をさらに継続する構えでいるイスラエルを平和記念式典に招待するのは、被爆犠牲者に対する「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」の誓いをいっそう形骸化させるものだ。

平和宣言 平岡敬 元市長  広島市長は8月6日の平和記念式典で平和宣言を発する。1947(昭和22)年から続く平和宣言(朝鮮戦争が起きた1950年は中断)に1991年、5人目の市長として立つ 平和宣言は基本的に二つのことしか言っていないわけです。原爆の犠牲者に対する鎮魂・慰霊と、それを踏まえて核兵器廃絶を訴える。歴代の宣言を読むと、その時々の政治情勢や国際情勢の中で、広島が何を考えていたかの証明でもある。 平和宣言 アジアへの謝罪  最初の年の宣言をするに当たり私の頭を占めたのは、広島アジア競技大会を3年後に開く意味は何か。それまで都市基盤整備の起爆剤だという考えが強かった。だがアジア大会は単なるスポーツ大会じゃない。インドのネール(首相)がリーダーシップをとり1951年に始まった大会は、戦争に負けて国際社会から締め出されていた日本を迎え入れた。その恩義を忘れてはいけない。何より、被爆地広島はアジアに対して、こう考えているんだと伝えなくてはと思った。  広島が訴える平和はアジアで必ずしも肯定されていない。原爆によって日本軍国主義は倒れた、独立できたんだと中国の人も韓国の人も言う。歴史的な認識をきっちり発していかなきゃあいけない。それが最初の年の宣言のポイントでした。  1991年の平和宣言は、日本の植民地支配と戦争が「大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と、1995年の村山富市首相談話に先立つかたちでアジアに謝罪した  市議会で自民党の支持を得ているという政治的なことは念頭にあった。本島等さん(当時の長崎市長)が「天皇に戦争責任はある」と言って、前年に撃たれたことも意識した。人間としてすまないという思いをどう表すか、そこは苦労した。だから歯切れが、ちょっとよくない。  例えば「左」の人からすれば、もっときちんと謝るべきだとみただろうし、「右」からは何様に代わって言っているんだとなる。でもアジア大会を広島で開く以上、やはり言っておく必要があった。それまで宣言を書いていた担当者の見方を少し取り入れたが、自分で全文を書いた。  平和宣言は市民に代わって発するんだけれど、市長の思想や歴史観が反映する。前面に出すぎると個人の宣言になる。その辺の案配は難しいですよね。 (2009年10月20日朝刊掲載) https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=21045


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