見出し画像

ボーン・イン・ザ・U.S.A. ―イスラム系移民の拒絶に怒ったブルース・スプリングスティーンのエピソードは日本とも無縁ではない

 今日はアメリカの独立記念日だが、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はアメリカの愛国主義を強調するような歌ではく、ベトナム帰還兵の苦悩を表現したものだった。

Got in a little hometown jam
この町で小さな問題を起こし
So they put a rifle in my hand
彼らは俺にライフルを持たせ
Sent me off to a foreign land
外国へ送り込んだ
To go and kill the yellow man
黄色人種を殺すために
Born in the U.S.A
アメリカで生まれた
I was born in the U.S.A
俺はアメリカで生まれた

 アメリカでトランプ大統領がイスラム移民をまったく受付けない措置をとると、ブルース・スプリングスティーンは、オーストラリア・アデレードで行われたコンサートで、「今宵、アメリカの空港でムスリム禁止令や外国人、難民の拘留に抗議する人々に我々の声を届けよう」と支持を表明し、アメリカは移民の国であり、トランプ大統領の措置が民主主義に反するものであり、根本的にアメリカの価値に合わないと述べた。スプリングスティーンが言うように、難民受け入れに不公平感があることは民主主義の価値観に合わない。ウクライナ避難民を受け入れ、アラブ・ムスリム(クリスチャンもいるが)のパレスチナ避難民を受け入れる姿勢がまるでない岸田首相や小池都知事の姿勢は、イスラム移民を禁じたトランプ前大統領の姿勢を彷彿させるものがある。

 スプリングスティーンは2016年9月に「共和党は大バカ者に支配されている。これは民主主義の悲劇だ」とローリングストーン誌のインタヴューで語ったことがある。アメリカはその「大バカ者」の支配が復活する可能性がある。

https://www.fromjapan.co.jp/japan/cn/auction/yahoo/input/m1121097212/


 スプリングスティーンは1985年4月に初来日した時に広島の平和記念資料館を訪れると、自らの国による原爆投下の惨禍、むごたらしさに声が出なくなってしまったほどだったと回想している。ブルース・スプリングスティーンは反核コンサートを継続して行っている。

 スプリングスティーンは1985年4月に初来日した時に広島の平和記念資料館を訪れると、自らの国による原爆投下の惨禍、むごたらしさに声が出なくなってしまったほどだった。ブルース・スプリングスティーンは反核コンサートを継続して行い、The Legendary 1979 No Nukes Concerts’のライブ・ビデオをリリースも行った。このコンサートは1979年のスリーマイル島の原発事故を受けて、反原発運動の一環として催されたものだ。

No Nukes


 この初来日の際、スプリングスティーンは、日本に来た証を残したいと言って、20000ドルを恵まれない人々に寄付したいが、確実に彼らのもとに届くように、規模の大きな組織への寄付は避けたいという依頼を日本の関係たちに行った。規模の大きい組織だと寄付もその維持や人件費に使われるという配慮からだった。依頼を受けた日本人関係者たちは、スプリングスティーンから受け取った小切手を「交通遺児母の会」(当時の名称)に届けた。この会の代表者からスプリングスティーンに礼状が届いたが、そこには子供の文字で「お金でこのクレヨンを買いました」というクレヨン書きが添えられてあった。
http://blog.livedoor.jp/skywalker1950/archives/19555445.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?