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もう一つの911 ―アメリカとイスラエルの「特殊関係」に反発するチリの人々
9月11日は一昨日、日本がラグビーワールドカップで勝利したチリの人々にとっては忘れがたい日であり、「もう一つの911」である。
1973年9月11日にアメリカCIAの後押ししたクーデターで成立したピノチェト将軍の政権は17年間統治を行い、チリではその統治下で3、200人の人々が殺害されるか、行方不明となった。ピノチェト政権時代下では、拷問は日常茶飯事となり、28、000人が拷問による取り調べを受けたとされる。
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アメリカ合衆国よ
もしもおまえが追随者に武器をもたせて
汚れない国境を破壊し シカゴの牛殺しを連れてきて
おれたちの愛する音楽と秩序を 支配しようとするならば
おれたちは石から 空気から飛び出して おまえに噛みついてやる
後部の窓から飛び出して おまえに火を放ってやる
最も深い波から飛び出して おまえを刺で突き刺してやる
(パブロ・ネルーダの長詩『樵夫めざめよ』の冒頭〔田村さと子訳〕)
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両親がピノチェト政権によって殺害され、1974年にチリからイスラエルに移住したリリー・トラウブマンさんは、チリの911のクーデターにイスラエル政府が関与したのではないかと訴え続けている。(イスラエルの「ハアレツ」紙2015年11月5日。記事掲載当時60歳)9月11日はアメリカの同時多発テロが2001年に起きた日でもあったが、チリでは暗黒の歴史が始まった日であった。しかし、世界の注意や記憶はチリの911に向かうことはあまりない。アメリカ政府はアジェンデ政権打倒のクーデターに関する文書をすでに公開したが、イスラエルはクーデターに関する19、000ページにも上る文書の公開をかたくなに拒んでいる。トラウブマンさんはユダヤ人だが、チリのユダヤ人に対する独裁政権の人権侵害にまでイスラエル政府は口をつぐんでいる。
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イスラエルとチリの関係は、このピノチェト独裁時代に進み、イスラエルはチリに武器を売却し、トラウブマンさんの言葉を借りれば、人権を抑圧したチリ警察、軍の装備はすべてイスラエル製というほど、イスラエル製の武器や監視システムはチリの独裁体制を支えることになった。イスラエルが武器売却について何ら政治的条件を付けないことも独裁体制にとっては都合のよいことだった。1970年代から80年代にかけてのイツハク・ラビン、メネヘム・ベギン、シモン・ペレス時代に、ピノチェト政権と良好な関係を築き、1978年にモルデチャイ・グル陸軍参謀長が、また1982年にデヴィッド・レヴィ副首相がチリを訪問してピノチェト大統領と会談を行った。(「ハアレツ」15年11月5日)アメリカと中南米の独裁体制の緊密な関係は国際社会で孤立するイスラエルにとっては好都合で、イスラエルの兵器の性能はガザ攻撃などで実証され、それが中南米の独裁政権に移転された。
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こうしたイスラエルとラテンアメリカの「黒い過去」もラテンアメリカの人々のパレスチナ人に対する同情に向かっていることは間違いない。
チリの若いボリッチ大統領(1986年生まれ)はゴラン高原やヨルダン川西岸の占領地で生産されるイスラエル製品のボイコットも呼びかけてパレスチナ人の人権擁護を訴え、テレビなどでもイスラエルを「虐殺・殺人国家」など激しいレトリックで批判してきた。また、イスラエルが観光PRで、国際法上はパレスチナに属す東エルサレムやベツレヘムの画像を使うことにも強く抗議している。
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チリにはパブロ・ネルーダの他にもう一人ノーベル文学賞受賞者の詩人ガブリエラ・ミストラル(1889~1957年)がいる。「分けあう」という有名な詩で彼女は下のように書いているが、あたかもチリの人々がパレスチナに寄り添う心情を表現しているかのようだ。
もしもほかのひとが自分の腕を
ばらばらに もぎとられたなら
どうか わたしの腕を取って下さい
その渇き 飢えがわたしに分かるように ―ガブリエラ・ミストラル
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