「虹と共に消えた恋(Gone The Rainbow)」とパレスチナ問題が解決しない限り平和は来ない
PPM(ピーター・ポール&マリー)で有名な楽曲の「虹と共に消えた恋(Gone The Rainbow)」は、その詩の一部はアイルランドの言語であるゲール語になっている。
Siúil, siúil, siúil a rúin そっと、忍び足でやってきて
Siúil go socair agus siúil go ciúin 静かに音を立てずにきて
Siúil go doras agus éalaigh liom 戸口まで行き
Is go dté tú mo mhúirnín slán 一緒に逃げましょう、 愛しい人
英語のコーラス部分は:
Go, go, go my love 行きましょう、私の愛しい人
Go quietly and peacefully 静かに、穏やかに進んで
Go to the door and flee with me 戸口に立って、私と一緒に逃げましょう
And may you go safely my dear. そして安全なところへと行きましょう、 愛しい人よ
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となっている。植民地主義の流儀を踏襲するようなイスラエルの攻撃を受けるガザの人々の心情を彷彿させるような歌詞で、ベトナム反戦の想いが込められた歌だった。
アイルランドは、紀元前6世紀以来ケルト系の諸族が大陸から移住してゲール人を形成した。1649年にイングランドのクロムウェルがアイルランド遠征を行い、同島を植民地化した。アイルランドの小作農民たちは地主に地代を納めなくてもよい、小さな土地で生産性の高いジャガイモを栽培するようになり、アイルランド島民はジャガイモに食料の多くを依存するようになっていたが、1845年からおよそ4年間にわたってジャガイモの疫病による大飢饉が発生し、アイルランドの人口は半分になったという見積もりもあるほど大量の餓死者が出て、アイルランドからアメリカ大陸やイングランドなどへの大量の移民が発生することになった。
アルジェリア独立戦争のイデオローグで、医師でもあったフランツ・ファノン(1925~61年)は、暴力は、被植民者たちが自分たちの人間性を否定する抑圧者たちを殺害することによって人間性を回復することができる手段なのだと語った。イスラエルが暴力でガザに乗り込んでも暴力の報復が待っているだけで、昨年から続くガザ攻撃はハマスにかえってパワーを与えることになっていると思う。
最近首相を辞任したアイルランドのレオ・バラッカー氏は、副首相時代の2021年5月にイスラエルがガザ攻撃を行った際に次のように述べた。
「併合、追放、植民、市民の殺害、故意の、あるいは付随的な損害など21世紀の民主国家のすべきことではない。このように国家がふるまうことはまったく受け入れられるものではない。」
アイルランドの著名な作家シーン・Ó・ファオラン(1900~1991年)は、1948年にアイルランドがイギリスによってユダヤ人の民族郷土にされてしまったら、アイルランド人の怒りは察するに余りあると述べた。
アイルランドは、1948年10月に教皇ピウス12世がエルサレムとその近郊を国際管理下に置くことを呼びかけると、この構想に従って、1963年までイスラエルの国家承認をすることがなかった。1967年の第三次中東戦争で多数のパレスチナ難民が発生すると、1969年にアイルランド議会でフランク・エイケン外相(当時)は、パレスチナ難民の問題を解決することがアイルランドにとって最も緊急の課題であると述べた。アイルランドはパレスチナ難民の帰還なしに中東の平和はあり得ないという立場をとり続けている。