オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」に影響されたウディ・ガスリーと「老いぼれトランプ」
米国のトランプ前大統領はジョージア州の拘置所に出頭し、顔写真を撮られ、保釈保証金を払って釈放された。それでも来年の大統領選挙では有力な候補と考えられている。
このトランプ前大統領の父親フレッド・トランプを人種主義者とこき下ろしたのは米国のフォークソング歌手のウディ・ガスリー(1912~67年)だった。彼はペルシアの詩人オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」に強い影響を受けていた。有名な曲「我が祖国」の詞は下の通りで、そこには社会正義の考えが貫かれていた。「我が祖国」は、日本ではピート・シーガーやPPM(ピーター・ポール&マリー)の歌で広く知られているが、この歌は、2017年2月、スーパーボウルで、レディー・ガガによってトランプ前大統領のイスラーム系諸国の人々の入国を禁止するなどの「白人ナショナリズム」に抗議し、すべての人々の正義や自由、公正を求める想いを込めて歌われた。トランプ前大統領はすでに共和党大統領候補の指名争いの時期であった2015年12月にムスリムの入国を一切禁止することを政府に求めていた。
〔我が祖国〕
In the squares of the city, In the shadow of a steeple;
By the relief office, I'd seen my people.
As they stood there hungry, I stood there asking,
Is this land made for you and me?
街角の広場とか
教会の塔の周囲とか
貧しい人の施設のそばで
仲間の姿を見てきたよ
みんな腹を空かせて立っていた
自分もそこに立ち尽くし
ぼんやりこう考えた
本当にこの国は
みんなのものなのかって?
ウディ・ガスリーは、第二次世界大戦中、第二次世界大戦中の1943年6月、米国商船隊に加わり、商船で食器洗いの仕事をしたり、船員たちに歌を聴かせたりしていた。1943年から翌44年にかけて、アルジェリアのオラン、アルズーなどを訪ねた。そこで、アラブやイスラーム文化に初めて接することになる。ガスリーは、シスコ・ヒューストン、ジム・ロンギーという音楽仲間とともに北アフリカの貧しい人々に接したが、そこで見た光景は、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』に登場するダストボウル移民キャンプのように貧しく、荒んでいた。ガスリーは、船員たちの使わない石鹸や余った食料を集め、貧しい人々に配った。商船隊では、イランの詩人オマル・ハイヤームに関するワークショップを開いたりしたが、ガスリー自身もハイヤームの「ルバイヤート」をギターやハーモニカの伴奏とともに録音した。自らを「ウディ・ビン・ハイヤーム(アラビア語で『ハイヤームの息子のウディ』の意味)と名乗っていた。ハイヤームのルバイヤートを演奏した動画は下のページにある。
https://www.youtube.com/watch?v=SfUdHlTUhkU
ガスリーは、1930年代の後半からハイヤームの「ルバイヤート」に接し、ルバイヤートが説く無常観は、大恐慌時代の経済的な危機に瀕する米国社会の本質に近づき、富への執着の虚しさを説くものだと考えた。
極貧という小径をたどるまで、君は何も得られない、
血の涙で頬を濡らすまで、なにも手に入らない。
なぜ欲望に身を焦がすのか?
利己心を捨てぬかぎり、心清らかな人のようには、自由にはなれない。
―オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」(蒲生礼一訳)
ウディ・ガスリーの「オールドマン(老いぼれ)・トランプ」(1954年)はトランプ前大統領の父親フレッド・トランプがニューヨーク・ブルックリンで経営する「ビーチ・ヘブン」アパートメントを黒人にはレンタルしないように指示したことを知り、作詞されたもので、
老いぼれトランプは知っている
彼がいかに人種的憎悪を煽り立てていることを
彼は心底から
人種差別を行っている
ここ、ビーチ・ヘブンの家族プロジェクトで
とある。第二次世界大戦からおよそ10年後、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでガスリーは、ジャズ・スキャット歌手アフメド・バシールによるコーランの朗誦を好むなど、日ごろ接している米国のキリスト教・ユダヤ教文化以外のイスラーム世界の文化に接していた。そこには多様性を重んじる米国人の良心があった。