ジュネーブ諸条約75周年と、その評価をイスラエルに行わない日本政府
昨年11月にイスラエルとヨルダン川西岸を訪問した上川陽子外相は、「わが国として確定的な法的評価を行うことは控えたい」と語った。
1949年8月12日にジュネーブ諸条約が採択されてから今日で75年が経った。ジュネーブ条約には400以上の条文が含まれており、囚人の処遇、病院や医療スタッフの保護、人道支援の許可、拷問、レイプ、性的暴力の禁止に関する詳細な規則が定められていて、占領地などで敵国の権力の下で生活する民間人の保護を目指したものだ。
イスラエルによるヨルダン川西岸、東エルサレムの占領や、そこにおける入植地の拡大は、占領地住民の財産を奪ってならないとするジュネーブ条約に違反するものだが、上川外相は法的評価を下すことを行わない。
岸田首相は23年4月、アフリカ外遊の最初の目的地であるエジプトのシシ大統領と会談し、「シシ大統領とは法の支配に基づく国際秩序を守ることの重要性、世界のどこであれ、力による一方的な現状変更は認められないということで一致をいたしました。」と述べた。ロシアのウクライナ侵攻、中国の南シナ海進出を念頭に語ったと思われる。また23年5月のG7サミットでも「法の支配に基づく国際秩序の維持」を確認したが、イスラエルについては沈黙している。明らかな二重基準である。
イスラエルの極右政権は、先週数千人ものパレスチナ人に対して追放命令を出した。追放命令を出しても移住先はまったく定まっていない。ケレム・シャローム検問所を通過してガザに入るトラックは4月の127台から、7月は23台に減少したが、ガザ住民が飢餓に瀕していることはこの数を見ても明らかだ。
7月29日、イスラエルの軍警察は、イスラエル南部ベエルシェバ近くにあるスデ・テイマン拘置所で、集団レイプと性的拷問の疑いでイスラエル兵9人を拘留した。拘留された兵士たちは「フォース100」部隊に所属し、拘置所の看守として派遣されていた。彼らが拘留されたのは、イスラエル南部のベエルシェバのソトカ医療センターにパレスチナ人囚人がスデ・テイマン拘置所から移送され、その体の痕跡から兵士たちによる被拘束者たちへの虐待が発覚した。
逮捕されそうになったスデ・テイマン拘置所の兵士たちは軍警察に抵抗し、乱闘になったが、軍警察が結局兵士たちを拘束した。逮捕・拘留された兵士たちを解放しようとして、極右のリクード、「宗教シオニズム」「ユダヤの力」などのイスラエルの右派勢力が国会議員を含めて軍警察の施設に押し入ろうとし、拷問への支持を表明、拘束されているパレスチナ人たちの即時処刑を求めた。極右勢力の軍警察への抗議によって、イスラエルでは軍に関する考えまで分裂していることが判明するようになった。
23年10月にイスラエルのガザ戦争が始まって以来、スデ・テイマン拘置所はパレスチナ人囚人の拘留所として機能しており、「彼らは常に手錠と足錠をかけられ、目隠しをされるなど、非人道的な状況で拘留されている」という指摘がされてきた。囚人たちは、長期の懲役刑を受けるか釈放されるかが決まるまで拘留される。ガザで捕らえられた男性の多くは、市民なのか、ハマスなど武装組織の戦闘員かがわからないままに拘留されている。スデ・テイマン拘置所から釈放されたパレスチナ人は全員がひどい拷問の被害を受けていることが指摘されている。
極右のイタマル・ベングビール国家治安相は、軍警察や軍検事を非難し、国防相、参謀総長、軍当局は今回逮捕された9人を支援しなければならないと述べ、、「テロリスト」(=パレスチナ人収容者)に対する寛容な扱いは終わり、兵士たちの「テロリスト」に対する過酷な扱いを全面的に支持しなければならないと発言した。
ジュネーブ条約では捕虜を殺害、虐待、拷問することを禁止しているが、イスラエルの軍拘置所で行われていることは明らかにジュネーブ条約違反だが、日本政府はジュネーブ条約に違反するイスラエルによるパレスチナ人に対する人権侵害に明白に非難や改善を求める声を上げるべきだ。欧米の圧力にも屈せずイスラエルを平和祈念式典に招待しなかった鈴木史朗・長崎市長には称賛の声がアラブ・イスラム世界から上がっているが、日本がグローバルサウスなど多くの国から評価されるのは欧米に唯々諾々と従うことではないはずだ。