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18歳という年齢、彼/彼女らのこれからを見守る

今年で35歳になる。高校生だったときの自分にとっての35歳って、立派に自立していて、「お兄さん」というより「おじさん」だったし、それはしっかりしていて、落ち着いた感じの年齢の人、と映っていた。ところがどうだろう、仕事終わり少し遅くなったから今日も妻と上井草駅の近くの肉バルでワインを1本注文してしまった。しっかりしてるかな、自信は無い。

そんな35歳をそろそろ迎える”おじさん”ですが、来週は職場の卒業式を迎えることになる。転職して3回目の卒業式、いよいよ1年生から付き合った生徒が卒業する年ということもあり、少し去年までとは気持ちが違うのが正直なところ。出会った時から今までの成長が嬉しくて、更にそこに「留学」というワードが絡んでくる仕事だから尚のこと、高校生にとっての海外の刺激というのは、それはそれは凄い刺激になるのだな、と痛感する。

今日は仕事で卒業式の式次第を作っていた。ワードで作って、特厚紙にプリントアウトする。今年の卒業式は卒業生によるピアノ弾き語りがあり、RADWIMPSの「正解」という曲を演奏するとのことで、歌詞を式次第の裏表紙に載せた。初めて出会った曲だけれど、帰りの西武新宿線でイヤホン越しにじっくり聞いてみると、あぁ、本当にいい曲だった。

「あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ だけど明日からは
僕だけの正解をいざ 探しにゆくんだ また逢う日まで」
-RADWIMPS 『正解』

振り返る。18歳だった函館の高校生の僕は、漠然と知らない土地に行って、やってみたい学問を追求しようと九州・宮崎の大学へと進学した。

あの時の「でっかいこと、してやろう」という気持ちはなんとも言えない格別なものだった。奥田民生のイージュ☆ライダーではないけれど、あのなんとも保証の無い中で大海原へ飛び出す感じ。一方で無力で、ただ情熱という名の石炭を自分のハートにどんどん入れて酸素を燃焼していく感覚。懐かしいし、あてずっぽうだし、今思えば少し情けないし。

しかしながら、18歳という年齢を振り返った時、あの"漠然と突き進むエネルギー"というのは原子力の如く圧倒的な「楽しそう」というものに向かう、一種計画性の無い直感的なものに頼った”地図”だったし、未知の世界へ飛び込む”冒険者”のような気持ちだったような気がする。

高校生と関わる機会が多い。高校生は多感な時期のように僕には映る。彼/彼女らにとってその時代は、時には周りと比較することもあるし、自らの無力さに失望することもあるだろう。けれど、その方位磁針として「留学」の自身の体験があったり、そこから知った「自分自身」を何よりも大切にして欲しい、という願いがこの仕事の本質にあるような気がする。35歳になる人の、エゴにならないように気をつけているのだけれど。

一人、卒業生の中に卒業後オーストラリアのワーホリに旅立つ生徒がいる。英語も大して達者じゃないから語学学校に行こうか、と考えていた生徒だけれど、「黙ってオーストラリアでファームジョブをして野菜を摘んで、『仕事で疲れた』って話を仕事終わりに外国人同士で話してこいよ」なんてアドバイスをした。

正直、これが正しかったのかは分からない。あくまで自分の経験が主軸になってしまっているし、通信制高校のサポート校の仕事としてこの話をしてしまっていたらNGだ。あくまで彼にとって渡航先の出来事は全て自己責任になるし、卒業してしまった彼にとって僕は、海外の仕事の斡旋業者のようになることはできない。

それでも、ワーホリに旅立とうとする彼のまなざしに、ビジネスライクに僕は向き合うことはできなかった。それよりも、彼の"漠然と突き進もうとするエネルギー"を目の前にして、それに20文字くらいのエールを送る、それくらいなら、付き添っても良いではないか。そんな想いが先走ってしまった。

RADWIMPSの言葉を借りる。
「答えのある問い」ばかりを教わってきた生徒たちに、答えの無い問いを問うことの可能性と、その難しさと…何よりもその楽しさを追求してみることへの旅立ちのチケットを、欠片でもいいから少しでも渡せたらいいな、今はそんなことを思っている。

18歳、卒業生たちは前に進む。けれど不安もある。
うまくいくだろうか、本当に正しいだろうか、間違っていないだろうか。
心が動く。それは知っている。僕もかつては18歳だったのだ。

来週火曜日に卒業式を迎える生徒たちを想う。
貴方/貴女たちのこれからの主軸は教科書でも学校の先生でもいままでお世話になった親でもない、自分の「ワクワクする気持ち」だったり「〇〇をやってみたい」という気持ちが凄まじい原動力、燃料になるんだってこと。それを少しでも、少しだけでも信じさせてあげたいと思う。もうこれからは誰も答えは教えてくれない。答えなんて何処にもない。だからこそ、面白いじゃないか。

「これが僕/私の答えだ」

その結論を導き出せる日々を過ごせるように、自分の答えを導き出せるように。そんな日々が訪れることを願い、祈る。
不完全だからこそ迷って導き出す答えを疑わずに心から愛して欲しい。進め、迷え、問え、信じろ。それが正解なんだから。

そんなことを僕は勝手ながら、この時期は祈っています。
そして僕もひとつ、自分なりの正解を探してまた頑張るか。
いつもエネルギーと元気を貰っているよ。卒業おめでとう。

写真は生徒が描いてくれた僕の似顔絵。デブじゃなくてよかった。さて、プールでも行くか。



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