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法律を学んで人生は豊かになったのか

こんにちは。
みやたです。

今日は、法律を学んだあなたの人生は豊かになったの?という話をする。

昨日、弁護士の友達と3時間くらいああだこうだ話をしていて、そこで2人で頭を捻っていた話題がこれ。

お前の人生、法律学んで豊かになった?

こんなこと深夜に真顔で話してる弁護士たち。怖すぎる。

それはまあ置いといて。

これはわりと真剣に悩んでしまった。

自分は法律を教えるような仕事をどんどん増やしていきたいなと思っているわけやけど、そもそも自分って法律学んで人生よくなったの?

そんな疑問が出てきてしまった。

けどもこれは本当に大切なことだと思う。

自分は自分が自信を持って勧められるものしか絶対に売りたくない主義の人間なので、もし豊かになってないのなら、今すぐにこのプロジェクトをやめる必要がある。

こだわり強い人間って生きづらい。

だから今日は真剣に法律を学んで人生が豊かになったかを考えてみたい。



|古い価値観からの転換をはかれた


考えてみて、真っ先に浮かんだのは、憲法の考え方を知れたこと。

毎回記事で憲法に触れている気がして、なんか憲法マンという感じでそれは嫌なんやけど、とはいえ憲法の考え方を知れたことで自分にとっては人生の視野が広がった気がする。

憲法の仕組みというか、憲法の背景にある考え方という感じ。

これまた他の記事でも何回も書いてるんやけど、集団のためという感じはなくて1人1人の人間を大切にしましょうみたいな考え方。

そうしたものに触れることができたのは、やっぱり人生規模で大きかった。

当時の自分は高校で学校の先生とうまく行っていなくて、反発ばかりしてたんやけど、そんな中で、唯一自分を庇ってくれるガーディアンみたいに思えた。

ルールはルール。学校の秩序のため。なんか腑に落ちないことの連続やったんやけど、憲法に書いてあることは、そうしたことを転換してくれるもので、自分の感覚を全面的に肯定してくれるようで勇気が出た。

そういう意味では、価値観を壊してくれたのかもしれない。

憲法というか、その背景にある思想。

日本の憲法でいうと、1人1人の個人を大切にしていこうよという考え方とそれを実現するための綺麗な仕組み。

それを知ることによって、これまで生きていた世界でぼんやりと思っていた疑問みたいなものがクリアになって、暗黙の了解となって身体にこびりついてた価値観が根こそぎ洗浄されたようなイメージ。

高校の学級文庫で憲法の本を見つけて読んだ時の感動は忘れないと思う。

憲法とかその背景にある思想に限らず、およそ新しいことを学ぶ醍醐味はやっぱりここにあると思う。

これまで自分が生きてきて、気づきもしないうちに染み込んでた価値観みたいなものを破壊してくれる。

自分の場合、憲法思想以外にも、大学生の時に読んだ「脱学校の社会」という本、これは読めたわけではないにしても「時間の比較社会学」に書いてある考え方、ヘーゲルが言ってたこと、ラッセルの「幸福論」、アドラー心理学、「優秀なる羊たち」という本など、やっぱり人生の転換となる価値観の破壊体験がたくさんある。

そのどれもが知った時にあたりを駆け回りたくなるような感動を覚えた。

ある意味では第2第3第4の出生くらいの感覚。

そういう体験を憲法の思想にも見た気がする。

これが何よりも真っ先に浮かんできた。



|法律を通じて社会の問題を解像度高く知れた


そのほかに自分の人生が豊かになったことと言えば、社会の問題をたくさん知れたこと、それも法律という分析ツールも用いながらより解像度高く知れたことかなあと思う。

これも友達と深夜に話したことなんやけど、法律ってやっぱり社会そのもの。

この国が法治国家を採用している以上は、社会で起きているあらゆることは法律の問題になり得る。

だから、法律を学ぶというのは今社会で起きてる問題を学ぶこととほぼ同義なんじゃないかと。

しかもただ社会の問題を知るというレベルではなくて、法律という分析ツールも用いながら知るから、やっぱり解像度がかなり高いように思う。

その分、わけのわからないピントになってしまったものも多くあるけど。

こればかりは片道切符。

とまあ、「法律」を通じて、「社会の問題」をより深く知れたのは自分の人生にとって大きいかなあと思う。

いつしかの朝ドラか連ドラかで、小説家を目指す人物が「小説を通して人間の本当を見たい」みたいなカッコイイことを言っていたのが忘れられない。

自分は「法律を通じて社会・人間の本当」を少しでも見れたのかなあと思ったり。

そういう意味では、法律を学んで、自分の人生が豊かになった部分はあるのかなあと思う。

けども、社会の問題を考えたいのなら、「社会学」という分析ツールを使ってみることもできるし、「法律」という分析ツールは本当に癖が強めなので(何度も言うけど社会常識からピントがずれまくる)、そこは好みに合わせてという感じだと思う。



|まとめ


そんな感じで法律は自分の人生を豊かにしたのかということを書いてきた。

このほかにも法律知ってたら自己防衛をできるという意味においては、損をしないということはあるけど、これと豊かさはちょっとイメージが違う。

これは「役に立つ」というイメージ。

役に立つことと豊かなことが重なり合うことはあまりない。

・憲法の背景にある考え方によって、価値観の転換をはかれたこと

・「法律」を通じてたくさんの「社会の問題」を解像度高く知れたこと

やっぱりこのあたりが心から言えることだと思う。

そうするときっと、自分がしていくべき教育活動というのは、価値観の転換をはかられたような考え方を伝えていく類のもの(自分としては教育やキャリア、勉強する意味といったことも個人主義的な考え方からすごい繋がっていく。パラレルキャリア、プロティアンキャリアなどは特に。)、社会の問題を伝えるということに重きを置いたものになる。

役に立つ法律講座というのはウケはいいけど自分がする意味はない。

それを心から面白いと思える人がやればいい。

余談だが、仕事というのは心からしたいことを追求すればおのずと差別化ができてしまっているものだと思う。

例えばいまの自分の仕事は、若年者支援の観点から事件後のフォローも見据えた弁護活動を行うというものだけど、これも自分が意味を感じることやしたいことを追求したらおのずと差別化できていたというもの。

だからこそ、教育活動としても、こうした記事での振り返りをもとに自分がしたいものを追求していきたい。

とまあ、昨日の会話のかなり良い振り返りができたので、今日はこの辺りにします。

そんな価値観の転換が起こった憲法の話を少し覗いてみたいという方はこちらの記事もおすすめです。

ではまた。



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