【小説】誤読のグルメ
「はい、茶屋ヶ坂です。あ、今、到着しました。駐車場に車を止めたところです。はい、すぐにお伺い致しますので」
電話を切り、車を降りる。
名古屋市千種区今池。
何年ぶりだろう。昔、まだ学生の頃、このあたりに住んでいた。近くにはいくつも大学もあり、貧乏学生に優しい、安くて古めかしい飲食店が多く立ち並ぶ、昔ながらの繁華街だ。そのぶん、治安は決して良いとは言えなかったのが玉に瑕。
だが、近年の再開発により、主要駅周辺は新しいビルや店が増え、小綺麗な街並びに模様替えを果たした。
なので、綺麗なこの街を見るのはなんだか不思議な気分だ。この街であって、この街でないような。
はやく仕事を終わらせて、昔通った店に、久しぶりに繰りだそう。
私は、着ている着物をたくし上げ、トレードマークである真っ白なフレームのメガネを正し、スキップ混じりに、目的地を目指す。
無事に今日の仕事を終えた。毎年、春のこの時期、新たに習い事を始める人は多い。今日も新しい生徒や、無料体験の人が多く、盛況だった。出張の着物教室をはじめて、はや数年。はじめのうちは戸惑いのほうが大きかったこちらから出向くことにも慣れた。
時間はまだ17時前。飲食店が暖簾を揚げるにはまだ少し早い。せっかくだから、新しくなった街の様子を見物させてもらおうか。
そう思い立った矢先、思い出した。車を止めた有料駐車場は、打ち切りがない場所であった。このまま放置してしまうと、経理にどやされるどころか、最悪、精算してもらえないかもしれない。
仕方なく、車を出し、駐車場のある店を探す。
そういえば、この近くに、昔ながらの蕎麦屋があったはずだ。あそこには駐車場があったはず。
その蕎麦屋、ただでさえ混みあうのに、年末になると年越しそばを求め、大行列ができる。大学生の頃からエンゲル係数だけは高かった私は、毎年、当時付き合っていた彼女と寒い中、並んだものだ。
思い起こされるのは“いっぱいのかけそば”という話。今でも、そばを食べる度に、その物語とあのときの記憶が蘇ってくる。
そんな事を考えていると、もう店の前まで到着していた。
開店前にも関わらず、数名が店の前で待っている。さすがは老舗の名店。
私は駐車場に車を止め、車内で開店を待つことにした。
ここはかき揚げがうまいのだ。そばというより、かき揚げを食べに行くと言っても過言ではない。四段に積まれたせいろの下三つには、白くみずみずしいそばがぎっしり盛られている。
最上産の一番粉を山芋をつなぎにして湯捏ねせず手打ちしたそばは、生粉打ちに思えるほどコシがあり、のど越しもよく、三段でもスルスルと入っていく。
そして、一番上の段いっぱい、見事にそびえ立つ、大きなかき揚げ。
プリップリの海老が惜しげもなく入っており、パッリパリのサックサク。油臭さもなく、重くない。
本醸造の醤油とたまり、本味醂、宗田節を使ったそばつゆは程よい甘さで香り高い。
もう十年以上食べていないのに、こうして思い出せるほど、足繁く通い、口にしたそば。変わらないのだろうか。変わってしまっているのか。
期待と不安に胸を膨らませていると、車の時計が17時を回った。
意気揚々と車を降り、店先へ向かう。並んでいた人たちはすでに店の中へ案内されていた。
私は引き戸を引き、暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ」
店員はこちらに気付くと、控えめな挨拶のあと、緊張した面もちで、手で空いている席を指し示す。感染症対策のため、声を出さないようにしているのだろうか。チラチラとこちらを見ているが、顔に見覚えはない。どうしたのだろう。
気を取り直し、空いている席を探す。店内は昔と何も変わらない。ほっと胸を撫でおろし、ちょうど空いていた、昔よく座っていた座敷席へ足を運んだ。そして、履物を脱ぎ、腰掛けようとしたとき、注意書きに目が留まる。
―ここではきものをぬいでください―
着物を、脱ぐ?
なぜ?
私は考えを巡らせた。しばらく来ない間に、着物で座敷にあがることは禁止になったのだろうか。なにか、問題でもあったのだろうか。座敷に着物であがることなんてよくあるはずなのに。テーブル席を見るが、張り紙はない。テーブル席ではよくて、座敷席ではダメな理由とはなんだ。気になるが、そんなこと聞いてもよいものか。
テーブル席に座ろうかとも思ったが、馴染みの席が空いているのもなにかの縁だ。車に洋服はあるのだし、着替えてこよう。私は一旦、店を出た。
*
「ねえ、今の人、帰っちゃったけど、大丈夫かな?」
私はそばを準備をするニコルに小声で話しかける。彼女は口を開くことなく、表情で返事をしてくる。さすがは外国人、表現力が豊かだ。顔だけで何が言いたいか伝わってきた。喋ってないで仕事しろ、ってか。
やっぱり、あの人、あれかなあ。
ランチタイム終わりの休憩中に話題にあがっていたのだ。
今日、近くのホールで著名なグルメ評論家が講演を行うことになっていて、そのあと、前々から気になっていたうちの店に、来たがっているらしい。朝方、主催者から電話で問い合わせがあったらしく、対応した子は席を取ろうかと聞いたそうだ。しかし、評論家はひっそりと食事を楽しみたいらしく、営業時間の確認だけすると、予約はせず、電話は終わったのだとか。
高そうな着物に身を包み、見るからに品のあるその姿、評論家その人に違いない。私は粗相のないよう、彼を注視した。
彼は店内を見渡すと、座敷席へ向かった。しかし、席をじっと眺めたまま、あがろうとしない。そして、踵を返して、店から出て行ってしまった。
私は、席に不備があったのかと、すぐに確認に向かうが、特に問題はなかった。
店の様子が気に入らなかったのか。それとも、急に気が変わったのか。
悪い評判だけは流してほしくないな、そんなことを考えながら、出来上がったそばを待っているお客様の元へ運ぶ。
しばらくすると、戸が開く。
「いらっしゃいませ」とそちらへ顔を向けると、そこには洋服姿の、評論家さんがいた。雰囲気が変わって一瞬わからなかったが、印象的なメガネは同じだ。
彼に違いない。
彼はニッコリとこちらに微笑み、先ほどと同じように座敷席へ向かい、今度は躊躇することなく、席へあがった。
まさか、畳が汚すぎて、あの高そうな着物ではとてもあがれなかったのだろうか。確かに、うちの店の畳、新しくはないが、定期的に天日干しはしているし、言うほど汚れてはいないと思うのだが。
これ以上、粗相があってはいけない。
気持ちよく帰ってもらい、あわよくば良い評価をしてもらうのだ。
彼はメニューを一瞥し、こちらに向けて手を挙げる。
私はすぐさま返事をするが、配膳に行っていたニコルの方が彼に近く、そのまま注文を聞きに行った。
*
洋服に着替え、店内に戻った私を驚いた表情で見つめる店員。それもそうか。着替えてまで座敷に座ろうとする人は少ないだろう。
私はできるだけ愛想よく会釈し、座敷席へ向かう。よかった、まだ空いていた。想い出の席に着くと、私はメニューを開く。メニューも変わってないな。となると、味にも期待だ。
私は店員を呼んだ。近くにいた店員が注文を聞きに来た。
「チュウモンハ?」
見た目ではわからなかったが、日本語がたどたどしいので、外国人なのだろう。
「三段天せいろ、一つ」と私はゆっくりめに注文を告げる。
「サンダンテンセイロ、ワカリマシタ、クルマデマッテテクダサイ」
そう言って颯爽と去っていく彼女。
車で?
待つ?
なぜ?
このまま待ってはダメなのだろうか?
まさか、座敷席では注文するだけで食べられないのか?
これは、新しい形のドライブスルー?いや、テイクアウト?
では、着替えても意味はなかったのか?だから不思議な顔をされたのか?
せっかく着替えてまで座敷の席に座ったというのに。
怒りと悲しみが同時に込みあげてきた。
しかし、だ。
車で待たせるのにはなにか事情があるのかもしれない。
そうだ。昔は寒い中、何時間も外で待っていたではないか。
ましてや、今は春、しかも車の中で待てるのだ。
むしろ、あのときと同じ感覚を味わえるのだと思い、喜んで納得しよう。
そう思うと、楽しみになってきた。
こんな体験はそうはない。
私は、席を立ち、店員に感謝の思いを込めて一礼し、車へ向かう。
*
「ねえ、あの人、また出てっちゃったけど?なにか失礼なこと言ってない?」
ニコルに尋ねると、彼女はわかりやすく怒りの表情を向けてきた。
「ごめんごめん」と詫びるが、プンプンと怒りを隠さずにそばを運ぶニコル。しまった、ああなるとお客様にも悪い態度で接客してしまうのだ。
でも、どうしたのだろう、あんなに深々と頭を下げて。
急用だろうか。
私は心配になり、彼を追いかけて、店の外へ出る。
彼は駐車場へ向かい、車に乗った。
そして、電話をはじめるのだった。
そうか。仕事の電話のため、車に戻ったのか。最近は店内で平気で電話をしたり、どこかで発信するのか画像や動画を断りもなく撮ったりする人もいる。評論家ともなればしっかりしているのだな。
こちらも誠心誠意おもてなしをして、満足して帰ってもらおう。
*
車に戻ると着信があり、電話に出る。
どうやら、さきほどの会場に忘れものをしてしまったらしい。いますぐ取りに戻ろうかと思ったが、すでに注文してしまったので、「あとで取りにいく」と告げた。
そばは車まで持ってきてくれるのだろうか。
それとも、テーブル席に案内されるのか。
十分を過ぎた頃、店員がやってくる。
「お忙しい中、お待たせ致しまして、申し訳ございません。準備が整いましたので、どうぞ、お越しください」
どうやら、店内で食べられるようだ。
案内されて店に入っていくと、さきほどの座敷へ案内される。
座敷で食べられるのか、よかった。
そばはすでにテーブルに運ばれていた。
見た目はあの頃と変わらない。
「いただきます」
割り箸を割り、そばを数本つまみ、まずはそのまま。
うん、こののど越し。これだ、これ。
次につゆにつけて。うん、こちらも変わってない。
かき揚げはどうだ。
箸をのばすと、そのままかき揚げを割る。サックサクだ。海老を口に運ぶ。うん、うまい。
そのまま、私は箸を休ませることなく、食べきった。
うまかった。
そばつゆに蕎麦湯を加え、それを啜っていると、店員がやってきた。
「本日はご来店、ありがとうございました。大変勉強になりました。これを励みに、これからも精進して参ります」
私は、よくわからないながら「こちらこそ、ごちそうさまでした。変わらずおいしかったです」と告げる。
*
変わらずってなんだろう、と思っていると、それに気付いたのか、評論家は口を開く。
「“いっぱいのかけそば”という話、知ってますか?母一人、子二人が大みそかに蕎麦屋にやってきて、いっぱいのかけそばを一つを注文するんです。店主は嫌な顔一つせず、かけそばを出し、それを母子3人で分け合って食べて。それが精一杯の贅沢だったんですね。月日が流れて、こどもが立派になって、その店を訪れて。そのときに食べたのも、いっぱいのかけそばだったそうです。今度は一人一杯ずつで。月日が変わっても変わらない味に、それは感動したでしょうね。今、私もそんな気持ちです」
彼が何を言っているのかよくわからなかったが、満足してくれたようでよかった。
でも、いっぱいのかけそばって?
そんな話だったっけ?
評論家が言うから間違いないか。
私は満足そうに去る彼を見送る。店内は賑わってきた。今日もまだまだ忙しくなりそうだ。
*
店を出ると、外は暗くなっていた。少し肌寒い。
だが、心は温かい。
少し感傷に浸りながら、私は車を走らせ、帰路につくのだった。