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「差がつく」ってなんだよ

「今やるかで、20代で、今年中に、」

「AIをやっているかどうかで、これを意識できているかで、〇〇に投資しているかで、」

「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」「差がつく」

という言説が嫌い。

というのも、何かをただ一つの価値観で断じている考えのなさか単純さか傲慢さがその背景にあるからなのだが、それすらも一つの価値観でしかない?


ど、

ど、

ど阿呆。

が意識できていないのは、自分が現在進行形で死と隣り合わせの単なる毛の抜けたエテ公あるいは毛むくじゃらのハダカデバネズミであることから意識的にか無意識的にか目をそらしてしまっているから。なのだが。いつか必ず埋まってしまう差を今のうちに広げようというのは、まさに人生をかけた徒労のように感じられるのだが、100M走だってマラソンだって最終的にゴールした後は同じ位置に全員がへたり込んで(完走できなかったもの以外は)休息をとるわけで。「ではあなたは最終的に順位がついてもそれに本当に意味などないのだから、全力で走らないのか?」と、巨大な圧力と真摯なまなざしを持って問われたとしたら、きっとそれにも意味があると心から答えざるを得ないだろうとは思う。

要するに、完走することがとりあえずは目指すべき条件で、あとはそれまでの退屈を紛らわせるために半身で本気になるべき遊びなのだろう。

昨日は、Creepy Nutsのメジャー4枚目フルアルバム『LEGION』が発売されたので聞いた。

ボースティングと「差がつく」の違いはなあに?

『LEGION』とは?
日本のヒップホップグループCreepy NutsのCDアルバム。Billboard Japan Hot 100で19週連続1位を記録した『Bling-Bang-Bang-Born』をはじめ話題の楽曲を多数収録。多彩な音楽性と進化を感じられる作品となっており、ファンのみならず多くの音楽ファンにとって必聴のアルバムとChatGPT-4oが言っている。

Creepy Nutsは一度2018年くらいに仙台でライブを見て、そのあたりからラジオスターとしての存在感をどんどん高めていき、なんとなく売れのキャズムを超えたグループに興味がわかなくなる+そもそもヒップホップクルーではない(そもそもそうならCreepy Nutsというセルアウトした存在は、敬して愛さずくらいの距離感になりそうだが)こともあいまって、それでもヒップホップに乗り切れなかった人でも聴けるやつとして聴き続けてはいたのだが、ファンともいえない微妙な立ち位置だった。

でも、今回のアルバムはまだ前半しか聞いていないけれど、いいね。

とはいえ、ここでわざわざその話をしたのは、冒頭の「差がつく」話題と絡めて考えるならば特に、1曲目「中学22年生」から連なる「ボースティング」とはすなわち、「差がつく」ことの誇示であって、やっぱり自分はそれは自分のテイストではないのではないか、という疑問があるからである。

ボースティングとは?
自慢や誇示を意味するリリックのスタイル のこと。ラップの中で 自分のスキル、成功、富、名声、ストリートでの影響力などを誇る表現手法。

例①:ザ・クラシックなボースティング
"I got 99 problems but a b**h ain’t one."*
(Jay-Z - "99 Problems")
→ 問題は99個あるが、女性の問題はない=俺は余裕があるぜ、という自慢。
例②:自分の成功を誇る
"Last name Ever, first name Greatest."
(Drake - "Forever")
→ 「苗字は"永遠"、名前は"最高"」=俺は伝説だ、という自己アピール。
例③:富や成功を見せつける
"Big rings, big chains, big Benz, big things."
(Future - "Big Rings")
→ 「デカい指輪、デカいチェーン、デカいベンツ、デカいことばかり」=俺のライフスタイルは豪華だぜ。

思えば俺は『文学賞メッタ切り』を小学生の自分に手に取ったくらいから、何かをぼろくそに言う批評が好きで、自分に自信満々で断定的な口調が好きで、中庸を装うような臆病な立場は好きでない。

──と、同時に「最後には死がすべてを更地にすることを忘れていない」と、言葉や態度で示してほしい。

ゆとり教育世代ど真ん中('93生まれ)の俺は、結局平等が好きなのだ。

というわけで、「ボースティング」と「差がつく」の差は、結局それがあるのかどうかなんだなあと思ったよ。

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