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AI時代に試されるパワハラ力、それに対するSF的想像力

ありがとう、ChatGPT。
ヒモ生活の傍らしているITライターだが、基本的な調査や網羅的な記事、分かりやすい文章の執筆では明らかにそちら(AI軍)に軍配が上がる。
俺がやることは命令するだけ。
命令するだけでいっぱい文章が生み出される。
月3000円の課金で(Proには課金していない)。

生成AIの登場はラピッドプロトタイピングのソフト化

生成AIを使って早く仕事をするコツは、なるべく自分の頭を使わないことだ。
命令→命令→命令。
プロンプトエンジニアリングやRAG、ファインチューニングなどそりゃ様々にテクニックはあるのだろうが、システムを構築して販売するとかでない限り個人の場合は逐一命令して、何回もガチャを回すのが最も効率が良い。というか、気持ちの上で楽である。

少し前は、設計の自動化と3Dプリンティング技術の高度化により深センなどで高速でものづくりをし、トライアンドエラーを繰り返すラピッドプロトタイピングにインダストリー4.0の文脈で注目が集まっていた。

インダストリー4.0とは?
ドイツを中心に進められていた製造業のデジタル革命のひな型。ドイツ経済の悪化やパンデミックや地政学的リスクなどの大局的変化、生成AIブームなどにより最近は影を潜めている印象。

ラピッドプロトタイピングとは?
製品やシステムの開発プロセスにおいて、試作品(プロトタイプ)を短期間で作成し、設計や機能を検証する手法。

ChatGPTにもとりあえず完成品を作らせて、それをねちねちと指摘してだんだんと形になるものを仕上げていくのが一番効率が良いと気づいた。
(この文章は趣味なので、自分で書いているが)

一杯やって、とにかくカイゼンを繰り替えす。
それってラピッドプトロタイピングじゃん。
現在生成AIブームで起こっているのは、ホワイトカラー労働のラピッドプロトタイピング化という側面がある。

よく使われるたとえ話に、ChatGPT-o1にはそこそこ有能な若手社員くらいの能力があるというものがある。
そいつが、無限に同じことを繰り返して、ホワイトカラー労働のラピッドプロトタイピングを可能にする。
そうなると、AIを使いこなすコツは、そいつを使い倒して上司としてカイゼンのサイクルを任意の回数だけ無限に、即座にやらせることだ。ゾス!
それはすなわち、命令の対象に疲れがなく、また同じ命令を何回でも繰り返してよいという思考をデフォルトにすることである。

そう──人間に対してであれば決してできない(やってはならない)パワハラサイクルを無限に回す意識が、現在のAIに最適化する方法なのだ。

SF──パワハラに最適化した脳

「そんなの、AIってそもそも機械なんだからそういう意識で使えるに決まってるじゃん」

そう多くの人が思っただろうけれど、意外とそう簡単にいかないものだ。

ふつうは、10回も100回も同じような命令はしない。そんなことをすると疲れてしまうモードに我々の脳みそは設定されているし、無意識に5回くらい繰り返したらそれでいいと思ってしまう。だってそれ以上繰り返す労力の方が大きいから。

という思考の咎を外すのがコツだな、と今日気づいた。
おそらく遅かれ早かれ多くの人が同じような思考に至るだろう。いや、思考するまでもなく段々慣れていくのだ。無意識に変化していけるのが、我々マルチモーダル生体知能の利点である。

そうなると、AIガチャを回すのが多くのホワイトカラーの仕事になる(ホワイトカラーが多く存在し得るのか、それ自体AIが回せばよいではないかという問題は別として)。

その結果──パワハラに特化した脳にだんだん人間は向かっていく
・命令すれば何回でもやってくれるでしょう?
・すぐに改善点は反映されるでしょう?
・定期的にアップデートされるでしょう?

その思考を「でも人間は別!」と弁別できるのだろうか、僕らの無意識は。
我々が目に見える形態や入力形式(視覚)と、コミュニケーションの取り方(言語)のどちらで相手を区別しているのか
にそれはかかっている。

ディズニー映画に出てくる、言語の通じる動物。
あれを人間同様に感じる感性があるのだとしたら、答えは後者なのではないか。
そんな風に自分は今、感じているのだ。


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