#15:「仕事好きそうですよね」に対する違和感について考えてみた
こんにちは!本noteでは日々の小さな出来事を深掘ってみて抽象化・構造化したり、私の好きなエンタメ(映画・ゲーム等)の考察を投稿してます。
今回は私もたまーに言われる「仕事好きそうですよね」に対して感じていた違和感の正体に関して自分なりの考えを書いていこうと思います。きっといるであろう似た事を言われた経験がある人・言った経験がある人も、そうでない人も(つまり全員笑)是非お付き合い下さい!
プロローグ:違和感との遭遇
周りから見た自分(客観)
こんな事を言われた人はいますか?僕はたまにあります。し、きっと経験がある人も一定数いるのではないかと勝手に想像します。私の事はさておき仕事を一生懸命頑張ってる人・いわゆる視座高めな人・向上心高めな人に発せられる類の言葉でしょう。
この類の言葉を投げかけて頂く時、伝え手が褒めてるのか皮肉なのかの真意は別として、私はちょっとした違和感を感じ続けています。その違和感とは一体何なのか?
自分から見た自分(主観)
違和感の正体はシンプルです。
それは客観⇔主観のギャップ、つまり自分自身「仕事が好きか?」と聞かれたら「好きでは無い」という事です。仕事なんて少ない方が良いに決まってるし、休みの日はちゃんと休みたいし、働かずに生きてけるならその方が絶対良いとずっと思ってます(一貫してキャリアの終着点は脱サラです笑)
また私事で恐縮ですが、地元であれ学校であれ会社であれコミュニティに没頭しすぎてる状態を好まない気質なので、御幣を恐れず言うと自己評価では愛社精神はそんなに強く無いです(無論、今の会社は好きな前提で)。
という事で違和感の正体は以上!
…なのですが本記事の主は「そのギャップは何故生まれるのか?」でして考えを述べていきます。入口は私自身の話から入りましたがここからは私個人ではなく一般論の話に昇華させます。
仕事をちゃんと頑張る動機
プロフェッショナリズムという存在
ギャップは生まれる理由、それがこの図です。
仕事をちゃんと頑張る動機は人それぞれあれど、出力される「頑張るという行動」は一つなので「頑張る=仕事が好きなんだ」という評価に繋がり易いという事です。
ここで強調したいのは「仕事・会社ラブな訳でも無いのに頑張る動機になるプロフェッショナリズムという存在」です。私はこのプロフェッショナリズムという精神はとても大事だと感じてて(自分自身が果たせてるかはさておきw)こうした精神を持っている方とのやり取りは非常に心地よく、格好いいなと感じます。
プロフェッショナリズムの特徴
プロフェッショナリズム、すなわち「プロ意識」の解釈はそれぞれですが私の解釈は一言で言うと「責任感」だと思います。では何に対する責任か?それは報酬を頂いている事への責任、そして報酬を頂く以上それに見合う対価を生まなければいけない責任。そしてその対価とは業務を行う事ではなく成果を生む事である。という精神が「責任感」だと思います。
こうした責任感を持っている人には以下の特徴があります。
仕事への文句を口に出さない
口に出す際は責務を果たした上で主張
曖昧を嫌いを白黒をハッキリさせる
理不尽を不満事ではなく制約として捉える
他人のミスも防げなかった自分の責任と捉える
環境に左右されず自律している
これらから出力される言動が客観的に「仕事が好き」「会社が好き」「社畜気質」と印象付けるのだと思います。実際は報酬を貰ってる以上まず責任を果たす事を最優先にしているだけの人達だっているでしょう。
少し極論めいた例ですが、イチロー選手には誰しもがプロフェッショナリズムを感じると思います。勝手な想像ですが、現役時代にイチロー選手をストイックたらしめていたのは「野球が好きで好きでたまらない!」というよりは「仕事をキッチリ果たす」という精神ではないでしょうか。
エピローグ:責任は自分でデザインせよ
はい、今回はこのプロフェッショナリズムについて書きたかっただけの記事です(笑)こんなカッコいいプロフェッショナリズムは、自分の身の回りは勿論ですが、私の大好きなゲームやアニメの様な世界でも、作品を通じて感じる事が出来ます。プロフェッショナル達が妥協せず創った本気の作品に触れると、その熱さに心が震えて思わず涙してしまいます。
記事の締めに「どうすればプロフェッショナリズムは養えるのか?」について考えてみます。私の中の答えは「自分で責任をデザインする事」です。
とあるプロジェクトにデザイナーとしてアサインされたAさんが居たとします。淡泊に整理するとプロジェクトの責任者はAさんではなくプロジェクトオーナーであり、Aさんはデザイン領域の責任を果たす事を期待されアサインされたでしょう。が、ここでAさんが「このプロジェクトが失敗したら自分の責任だ」と本気で考え向き合ったら、きっとそれは素晴らしいプロ意識と言えるのではないでしょうか。
役割に紐づく実際の責任ではなく自分の中の責任を自分でデザインし、それを発揮するよう努める事がプロフェッショナリズムの醸成に繋がるのではないかと思いました。
少々暑苦しくなってきたので、ここらで本記事は終わりにしたいと思います。最後までご高覧下さり有難う御座いました!