
3万円の大著!!『物語要素事典』を買ってみて興奮した話
物語には普遍的な「型」がある、というのは有名な話。
ジョセフ・キャンベルの「英雄伝説」、ハリウッド脚本術、「SAVE THE CATの法則」、日本の「序破急」など、世界にも日本にも、いろんな型が存在する。
たとえば、ジョセフ・キャンベルの「英雄伝説」は、セパレーション・イニシエーション・リターンという3つの流れで英雄の物語は構成されている、というもので、困難に出会った主人公が旅立ちというセパレーションを経たあと、成長のためのイニシエーションを経験し、何らかの問題を解決して、家にリターンしてくる。スター・ウォーズがその構造になぞらえられているのも有名な逸話。
ハリウッドの「SAVE THE CAT」については、このnoteにまとめられているが、「主人公が物語の冒頭で猫を救うと観客から共感される」というような脚本上のテクニックが複数提示されている。
古今東西に物語の型があるとはいえ、型だけでは物語は動き出さないのがツライところ。主人公の目の上に傷があったり、親友との間に禍根があったり、兄弟が3人いたりすることで、細かなディテールが描かれ、物語の魅力に深みが増す。だからこそ、型をいくら暗記しても、魅力的な物語は書けない。
そこで物語を作りたい人にとって、最高のネタ集となる可能性があるのがこの『物語要素事典』なのだ!
本書は定価28,600円という強気な価格設定にも関わらず、各書店で売り切れが続出した、近年稀に見る話題沸騰本だ。
いつも出版界の問題児を世に放出し続ける国書刊行会の新刊ということで、注目度も高かったが、ここまで売れるとは驚きだった。
国書刊行会のnoteにはこうある。
人類がつくりだしてきた物語世界を、〈物語要素〉という切り口で概観・分析・分類し、それをひとつの書物として著すこと。まるでそれ自体がボルヘスのえがくひとつの夢物語のようですが、しかし決して夢ではありません。バベルの図書館がもしも一冊の書物としてこの世に姿をあらわすことができたとしたら、きっとこんなかたちになるのではないかしらと想像します。
この言葉だけでも、本好きにはたまらない金言だ。
バベルの図書館が手元に置けるのであれば、3万円も高くない・・・!
はず・・・!
ということで、ポチってしまい、昨日無事に手元に届いた。

本自体の大きさにも興奮しつつ、中をめくると物語要素が溢れている。目次だけでも15ページで、1,135に及ぶ〈物語要素〉。その膨大な物量について、また国書刊行会のnoteから引用する。
あまのじゃく、宇宙人、ウロボロス、時間旅行、手毬唄、人形、密室、未来記、無限……古典的なモチーフから未来的なアイテムまで、神話上の存在からエンタメ的なアイデアまで、多種多様な〈物語要素〉が取り揃えられていることがわかります。気になるものを選んでみるもよし、思い切って冒頭から読んでみるもよし。本文を見てみると、さらに、これら〈物語要素〉の配下にはそれぞれ数個〜十数個の細目が置かれていることがわかります。〈物語要素〉による分類の配下に、具体例として複数の物語のあらすじが説明されるのですが、あつかわれる物語は文学作品に限りません。古今東西の文学、映画、演劇、落語、昔話、歌舞伎、神話、マンガ、都市伝説――さまざまなジャンルの渉猟により「物語」は厳選され、延べ11,000の作品が紹介されます。
物語に「型」という骨格があるとすれば、この「物語要素」は、まさに物語の血肉。血湧き肉躍るような物語の要素がこの本には溢れている。その一部をぜひここで紹介したい。

『物語要素事典』の楽しみ方
『物語要素事典』は、あいうえお順にテーマが配列され、各テーマに具体例が挙げられています。その具体例は、古典文学から現代作品まで幅広く、物語の多様性を掘り下げるヒントが満載。
たとえば、大見出しは「あ」から、「相打ち」「合言葉」「合図」「愛想づかし」「アイデンティティ」「赤ん坊」・・・と続いていく。

さらに「相打ち」の中に、
1.刺し違え
2.互いに呪い合って、相手を動物に変える
3.猟師と猪の相打ち
4.互いにミサイルを相手国へ撃ち込む
という独特な項目が4つ並ぶ。
決して、MECEな項目ではないけれど、物語上での「相打ち」のディテールがじわじわと伝わってくる。人と人が刺し違えたり、人と動物、国と国が相まみえる、決して同じレイヤーではない相打ちが並ぶ。この4つを眺めるだけでも、最近のテレビドラマから、遠い昔の童話まで、相打ちのシーンが思い浮かんでくる。(呪い合って動物に変えるシーンは思い浮かばないけれど・・・)

そして、この各項目の中に、実際の物語の作品タイトルと、サマリーがまとめられている。
いつの時代も「相打ち」に涙する
さらに「相打ち」を深掘っていく。登場人物が互いに命を奪い合うという意味だとは思うが、昔から人はこの相打ちのシーンが好きなんだろう。
まず、「1.刺し違え」では、宿命的な対立がクライマックスを迎える物語が紹介される。たとえば、『徒然草 第115段』で、武士「しら梵字」と「いろをし房」が宿河原で刺し違え、仇討ちの果てに命を落とす様子が描かれる。武士同士の刺し違えは、黒澤映画からるろうに剣心、ONE PIECEまで、ゾクゾクするシーンだ。
続いて、アイスキュロスの『テーバイ攻めの七将』が例として挙げられており、兄弟であるエテオクレスとポリュネイケースが一騎打ちを行い、刺し違えるというギリシャ悲劇特有の宿命的なシーンが展開される。兄弟の刺し違えも古くからの鉄板ネタだろう。
次に、「2.互いに呪い合って動物に変える」では、『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」が取り上げられている。ビバヴァスと弟スプラティカが、財産を二人で分けるか否かで言い争うシーンで、ビバヴァスは怒って「お前など象になってしまえ」と呪い、スプラティカは「お前なんか亀になるがいい」と呪い返す。(マハーバーラタらしいユニークな展開・・!)

さらに、「4.互いにミサイルを撃ち込む」という現代的なシチュエーションも紹介されている。その具体例として、イタリアの奇想作家ブッツァーティの『秘密兵器』という小説が挙げられている。この作品は、第三次世界大戦中、ソビエトが秘密兵器「説得ガス」を用いてアメリカを攻撃する。このガスは物理的な破壊を伴わず、アメリカ人を共産主義へと転向させてしまうという風刺的な展開が描かれているらしい。これだけ見ても、すごく読みたくなってくる。
というような形で、「相打ち」というテーマだけでも、日本の古典からインド、イタリアなどを旅しながら、古今東西の「相打ち」のディテールを堪能できる。剣を交えた古典的な戦いから、呪いを絡めたファンタジー、さらにはイデオロギー戦を描く現代SFまで、それぞれの例を比較することで、物語の進化や多様性を実感することができる。これこそ、本書の醍醐味であり、バベルの図書館の所以なのだ。
「血の力」が人間の欲や葛藤を描き出す
『物語要素事典』には「血の力」という項目もある。

「血の力」と聞くだけで、ハリー・ポッターもエヴァンゲリオンも想起されるし、呪術廻戦もジョジョも血の力が関係する。
血はしばしば生命、死、不死、そして再生を象徴するモチーフとして登場し、このテーマを通じて物語に奥深さが出てくる。
まず、「3.血の力で不死身となる」というサブテーマでは、血によって永遠の力を得る物語が取り上げられている。
『ニーヴェルンゲンの歌』では、英雄ジークフリートが龍を退治し、その血を浴びることで不死身の肉体を得る。しかし、血が当たらなかった背中の一部が唯一の弱点として残り、それが後の悲劇につながる重要な要素となる。
また、手塚治虫の『火の鳥』では、火の鳥の血を飲むことで不死を得るものの、永遠の命には代償と矛盾が伴うということもまた描かれる。
次に、「4.血の力で蘇生する」では、血が持つ癒しや再生の象徴としての力が描かれる。
ギリシャ神話では、死者を蘇らせる医術の象徴としてアスクレピオスが登場し、彼の力は血の神秘的な性質と結びつき、蘇生の奇跡を体現する。また、グリム童話には、血を用いた魔法や儀式が登場し、それが物語の転機やクライマックスを演出する重要な役割を果たす。
「血の力」というテーマは、英雄譚、神話、童話といった様々なジャンルで多用され、その物語に命を与える重要な役割を果たしている。物語を創る際に、主人公に「血」にまつわる要素を入れておくことで、さまざまな展開が準備できそうだ。血が血縁を意味し、家系図が物語に作用するジョジョ型の物語もいいし、血そのものが武器になるような血界戦線型も面白い。
40年の歳月で一人の著者が編集しきった狂気
本書の著者である神山重彦は、星新一のショートショートが大好きで、大学時代にはその結末の付け方やプロットの構造に魅了され、分析を重ねていたという。

「この作品の核となっているのはどんなアイデアだろうか」「プロットにどのような工夫があるのだろうか」「結末には意外性があるのだろうか」といった視点で作品を読み込み、特に星新一のショートショートの「オチ」を分析することに情熱を注いだ。
これをきっかけに、ミステリー小説のトリックやアイディアを200字程度で記述するという独自の分析スタイルが身につき、本書のルーツになっている。
やがて、著者は40年前に『物語要素事典』の原型を作り始める。当初は、できるだけ多くの具体例を集めようと試みるものの、物語の数の膨大さに直面し、それでは際限がないことに気づく。そこで方針を転換し、同じような物語を多数並べるのではなく、むしろ内容の異なる物語同士を隣り合わせにすることで、人間が生み出してきた物語の多様性を示し、一見異なる物語間にある関連性を考えることに注力したという。
1000以上の項目があることで、一見膨大な情報量のように見えて、本書の最もユニークな点は、一人の著者の視点で編纂されている、ということだ。複数人のチームで”客観的”に編集されているのではなく、一人の著者のある意味独断と偏見、好みによってフィルタリングされていることが、本書の魅力を爆増させているのだ。客観的なデータベースではなく、数奇者による選り好みだからこそ、一つ一つに血が通っているのが伝わってくる。
客観性やMECEが重要視される現代において、その対局とも言えるような思想で作られている本書は垂涎の品なのである。
著者は「すべての物語を網羅するのは無謀な試みだ」と認識しつつ、一つ一つの物語要素について具体的な作品例を選び、その背後にある共通点や相違点を浮かび上がらせようとした。こうして、本書は単なる物語のリストではなく、物語の多様性や創作のヒントを探るための要訣書、はたまた人間の想像力の秘密を垣間見るための覗き穴になっているのだ。

数ページ読んだだけでも、いままで読んできた物語の記憶が刺激され、さらに新たな想像力も喚起される。国書刊行会編集部が「バベルの図書館」と呼んでいたように、この事典から数千、数万の、過去そして未来の物語への扉が開かれるようで、一生飽きることのない魔術書になっている。
というわけで、本書をぜひ購入してもらいたいものの、高額であることには変わりないので、本書の元になったウェブサイトを最後に案内しておく。実は無料でも読めてしまうので、ぜひここで堪能してほしい。
しかしながら、なぜか活字に印刷されることで、その味わいは数倍にも感じられるので、やっぱり紙の本は手放せないなぁ(と自分の散財を肯定したい。)
