午前中で終わる学校8
~型破りを型破る~
世界中の皆さんへ
僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。
0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑦~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~
「好き嫌いは自由だけど、好き嫌いを超えて協力することの学びは、世界が幸せになるために必要な学び」
でも、このことが、大人ほどできない。
「何をするかではなく、誰とするか、が大事」
教室では上の言葉を、僕は使いません。誰にも選ばれない人を生むことを推奨するなんてかっこ悪い。世界でもこのテーマで物事をとらえていくと、排他と貧困を生むことにつながります。僕は「誰とするか」よりも「何をするか」を大事にします。世界を幸せにするために「何をするか」。
でも、もしかして、「誰と」ということの意味が・・・
・自分にとって合う人のことではなく
・合わない人のことでもなく
・分けないで混ぜるということ、すなわち「誰と」でもということ←これならいいですね。世界が幸せになることに合致している。
そして、「誰と」ということの意味が・・・
・ソーシャルでのことではなく
・すべてのことでもなく
・プライベートでのこと←これならいいかも。
最近、学校で流行りの「担任が場所を決める席替え」は学びが薄いですね。仕方ない場合もあるんでしょうけど。せっかく雑多な人がいるのに、合わない子は別席にして、学びや変化成長のチャンスを奪ってしまっている。
僕も教科グループは意図的に作りますが、生活班は「偶然~くじ」がいいなあ。世の中、結構偶然の出会いが多いでしょう。そのメンバーで掃除したり、給食食べたり、特別活動したり、雑談したり。
だから、実は僕も「誰と」は気にかけているんです。世界が幸せになり、一人ひとりが幸せになるために、「誰とでも」という意味で。
ちなみに、教員は、「誰とでも学年を組む」ということは、かなり難しい(笑)
●雑衆『応』という旅人衆団を以前作りました。
万葉集の「雑」は「華」やかな開始を示すらしく「その他」のことではない。
ごっちゃ(多様)こそ「万物の礎」という考え方。
旅の途中で交差するイメージの固定しないメンバー、
雑多な目的、旅路の人々が応え合う・・・
そして、またそれぞれの旅へ。
https://www.facebook.com/pages/category/Education-Website/%E9%9B%91%E8%A1%86%E5%BF%9C-211389812747989/
●何者も置き去りにしない SDGs
https://jobstory.jp/sdgs/
3の章(あきら)「組織バランス」①~担任を守る~
最前線で子どもたちに対応する担任を守るために・・・
【3大システムを!!】
●トラブル対応~第3者機関設立
●保護者地域巻き込み型座談会&授業作り
●校内校長評価と教育委員会評価
【組織アイデア】
★ファミリーよりチーム
★一体感の怖さ~非世の中的~異端の共存
★一人一分掌
★異動者ミーティング
★会議時間コーディネート
【研究アイデア】
★研究改革~講師選定・協議会運営・指導案型・事前研究と事後研究
★自主活動・研修奨励
【おまけのお願い】
★カリキュラム編成専門委員会
★時数と教える内容の再編成
★教員養成見直し
次回、ちょっと、詳しく。つづく。