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午前中で終わる学校21

~型破りを型破る~

世界中の皆さんへ

僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。

0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑳~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~

「何もしない」と分かることがある
そのあと、もしかしたら「何かすれば」いい。

給食当番の時、1年生の給食当番が並んで給食を運んでいる。列から横にはみ出して歩いている子がいる。正面から2年生が担任を先頭にして歩いてくる。僕は様子を見る。はみ出して歩いている子はどう判断、行動するんだろう。前を向いているから、正面からやって来る2年生たちがまるっきり見えないわけもないし。その日のその子は、すんでのところで2年生をよけて、ちゃんと列に戻った。「よく気付いたね。ぶつからないでよかったね。ピンチ脱出!」と称賛(笑) でも、こんな時、大人が「ぶつかるよ。まっすぐに並んで!」と声をかけちゃうのはつまらない。本人の反応の在りようが分からない。仲間たちが言うのなら、そのことを材料に学びの場は作れるけど、大人が言っちゃうとなあ。

授業が始まっても、すぐに漢字ドリルを出さない子がいる。僕は様子を見る。周囲が徐々に漢字練習を始めたら、この子はどう判断、行動するんだろう。でも、担任の先生はすぐに「○○、どうして漢字ドリルを出さないの?早くしなさい!」と声をかけちゃう。そこでは、子どもが「言うことを聞くか聞かないか」が分かる。その日その子は担任が気付かなかったので、僕の思惑通りに放置されていた。すると、おもむろに漢字ドリルを机の中から出して、ページをめくって練習し始めた。自分で決めて自分を動かした。教室内に担任の「注意」の言葉は存在せず、いつもよりはよい空気。

学校では、いろいろな場面で「同じ指導をしてください」と言われる。
子どもの様子を観察したい、見守ってみたいと思っても、声をかけない、指導しない先生は他の先生から注意される。だから、先生たちはだんだん「金太郎あめ」みたいに同じ指導になっていく。例えば、子どもたちが(先生たちもだけど)自分で判断して生きていく、行動の責任を自分で負えるようにするのがよいのだとすると、その『ビジョン』も共有しないまま「同じ指導」という『手法』だけを縛るから息苦しくなる。『ビジョン』がしっかりと共有されていれば『手法』が違っても子どもたちは変化成長するし、先生たちも生き生きすると思う。
そもそも、世界は『違い』だらけだから先生も子どもも保護者も『違い』に強くならないと、『違い』に寛容にならないと、って思う。隣のクラスと同じであることは求めていて、一方で隣の家、隣の学校、隣の自治体、隣の国との『違い』はスルーするのが?(笑)

『ビジョン』の共有は、年度当初に校長がプリント配って「これです」なんてことで共有できるものではない。それは『共有』ではなくて『強有』だ。そんな形の『共有』に慣れてしまうのは危険だ。『心』や『思い』を別のところに置いて、『手法』が縛られていき、一人ひとりがその人らしく仕事することができなくなるから。

ちなみに「研究授業」で、参観の先生たちがどんどん子どもたちに話しかけたり、教えちゃたりするのも、僕は歓迎しない。「授業」は担任と子どもたちでいつも成立しているし、その形の中で「質」を検証し合うのだから、形を壊しちゃいけない。特に「体育」ね(笑)

6の章(あきら) 廃止削減③~学校メタボ症候群~

ゆったりと授業、子ども、保護者、世の中、家族、自分と向き合いたい。だから『時間』を取り戻そう。価値観を見直して『システム』を変えよう。『廃止削減』の視点から。

●保健行事
「発育測定~身体計測」「歯科検診」「耳鼻科検診」「眼科検診」「聴力検査」「視力検査」「内科検診」「歯科巡回指導」「検尿」「心電図検査」・・・

どれも、1単位時間はかかららない(15~20分くらい)ので、クラスの半分は教室待機(途中で交代)で自習しているか、全員で保健室に行って、自分の番が来るまで静かに待機(養護教諭や学校医の声はよく聞こえるので、身体に関する個人情報が聞こえちゃうこともしばしば)、終わった子から教室に戻って自習。教室での自習、保健室での順番待ち待機の場面で「静かにさせる指導」が発生。負荷に感じる先生も少なからずいるでしょう。子どもたちも「静かに待機」を学ばせられることになる。しかもけっこう頻繁に。そして、もちろん、保健行事のたびに授業は分断される。リズムがよくない。さらに、保護者に治療勧告通知を出したり、子どもたち一人ひとりのデータ処理して保存したり、卒業時には中学校に送付したり・・授業の評価や準備をさせてくれ~

各家庭で責任をもって、「午前中で終わる学校」の午後を活用して、保健所または学校施設(保健所や役所のスタッフが対応)で子どもたちの健康状態について把握すればいい。それじゃだめなの?法律変えなくてもできないかな?

「就学時検診」もなんとかならないものか。現在は午後の授業をカットして実施しているんだけど、さらに準備提案、準備ミーティング、自前で準備物の作成、情報処理、気になる子どもの発見&保護者への連絡、その際の個人情報保護や人権保護への気遣い、そして片付け作業等当日だけではすまない行事。上記「保健行事」は『保健教育』との関連があるからやりなさい、はちょっと分かるけど、「就学時検診」は学校教育と関連あるかな?学級編成のための情報だけもらえればいいんだけど。指導要領上では「就学時検診」の立ち位置は確認できない。こちらも法律を変えなくてもできないかな?学校でやらなきゃだめかな。「午前中で終わる学校」の午後を活用して、誰かやってほしい。

★学校保健に関する法令
https://www.nier.go.jp/guideline/s25ep/app.htm
★学校保健
https://www.mext.go.jp/a_menu/kenko/hoken/index.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317787.htm
★学校保健安全法
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=333AC0000000056#9
★指導要領 
https://kyouikunohouritu.com/category7/entry47.html

「委員会・クラブの廃止」「研究会の廃止」「あゆみ~通知表の廃止」「朝会の廃止」「スタンダードの廃止」「親睦会の廃止」「道徳廃止」「学力学習状況調査の廃止」「市区レベル行事廃止」「教育委員会縮小」「体育のハイリスク単元廃止」などなど・・・次回につづく。

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