親を捨てる方法

 何か衝撃的な事実がないと親って捨てられない。私はそうだった。
 癌になった親が、「見に来い」と言ったんです。お正月過ぎた、寒い日の事でした。何を?と思ったけれど、仕事で全然挨拶にも行ってなかったし、まあ、一時間くらいしたら解放されるだろうと思い実家に行った。

 シングルマザーになり、自分で稼いで自分で子供を育て、精神疾患持ちながらシフトを守るってとてつもなく大変な事だった。それを両立させるには悪いけど親は二の次三の次だった。
 怒られるだろうとは覚悟していたけど、待っていたものは剛速球の火の玉だった。

 実家に着いた早々、なぜ挨拶に来ないのかをねちねちと問い詰められる。特に孫には会いたかったらしく、なぜ子供たちは自分のところには来ないんだと問われる。
 思春期の子供たちの行動をコントロールなんてできない。そう伝えると、「そっちがそのつもりなら、俺たちもそのつもりで生きていくからな」と父親が怒鳴る。そこから先は何を言われたか覚えていない。ひたすら頭を下げ続けながら心臓から動悸がした。怒鳴りつけたかった。どれだけわたしが今、大変な状況なのかを。どれだけ必死に今の仕事をしているかを。お前らなんか見ている場合じゃないんだ。生きていくだけで大変なんだ。あんたたちには金があるからいいだろう。でも私はそうじゃない。

 気が付いたら泣きながら謝っていた。私の涙を見てようやく満足した父親は自分の病状がいかに大変だったかを語りだす。もう三時間経っている…。日曜日のこの時間はいつもならスーパーに行き、食材を買い、作り置きをしている時間だ。

 帰ることが許されたのは五時間ほど経った夕飯の時間だった。もう夕飯を作る気力もない。
 帰って、台所に立ち、こういう時のための冷凍うどんを取り出す。うどんのスープを作りながら、ここから脱出しようと決意した。

 「ねーねーなんでこんなに遅かったの?おじいちゃんとおばあちゃんの話いつも長いけど、今回はさすがに長すぎない?」と娘たちが言う。決意する。親を捨てると。

 勢いで捨てる事にしたのだ。勢いがないと捨てられなかった。シングルになるまで助けてくれたこと、援助してくれていた事を思い、私は最低だと分かっていたけれど、小さいころから怒鳴られ殴られ私という存在を否定していたころから親は変わっていなかった。

 長ネギとしいたけを刻み、鶏もも肉を煮出した鍋に入れる。生姜と塩で味を整えながら「できたよー」と娘たちを呼ぶ。

 「あのさ」「引っ越すことにしたんだ」


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