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ゾゾゾ!都市伝説 その10

 皆さんこんにちは!皆さんはよい行いをして、その行いが報われたことがありますか?
 これから話すお話は、日本とトルコの恩返しのおはなしです。
 
 1890年、トルコ皇帝のアブドゥルハミト2世はヨーロッパの列強との不平等条約になやまされていて、その時、同じ立場だった日本と平等条約を結びます。
 そこから両国の仲は良くなっていきました。
 ある時、トルコは日本へ親善大使を派遣するため、エルトゥールル号を出港させます。
6月7日、約1年かけてやっと日本に到着したエルトゥールル号は、トルコ最高勲章など、数々の贈り物を明治天皇に奉呈し、両国の修好というトルコ皇帝の意を伝えました。
 明治天皇はこれに対し、勲章を与えたそうです。
 使節団は東京に3ヶ月滞在し、9月15日、横浜港を出港しました。
 しかし、エルトゥールル号は台風に遭遇してしまい、岩礁に激突。さらに、激突して破損したところから海水が流入、そのせいで機関が大爆発を起こし、船員の587名が殉職、生存者はわずか69名という、とても悲惨な大海難事故になりました。
 この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、看病殉職者の遺体捜索をしたそうです。
 また、日本全国から多くの義金、物資が寄せられました。
 69名の生存者は、回復していき、同年10月5日、神戸港から出港、翌年1月2日、トルコに無事到着しました。
 この時に、日本軍の軍艦が使用されていて、トルコ人の祝福は相当なものだったそうです。

 時は過ぎ1985年3月17日、イランとイラクの戦争が続いていて、イラクがとんでもない声明をだしたのです。
「今から48時間後、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」
 イランに住んでいる日本人は慌ててテヘラン空港に向かい出国を試みますが、どの飛行機も全て満席で搭乗することができない状態でした。
 世界各国は、自国の人間を助けるために飛行機をだしますが、日本だけは飛行機が出せませんでした。
 日本人だけ空港に取り残されました。途方に暮れる日本人。その時、1つの国が救いの手を差し伸べました。
 それは、なんとトルコだったのです!
 そのおかげで日本人215名人員がイランを脱出することができたのです。タイムリミットのわずか1時間前のことでした。                       しかし、イランにはたくさんのトルコ人も取り残されていました。
 「なぜトルコ国民ではなく、日本人を?」
 日本のマスコミが聞くと、
「エルトゥールル号の恩返しですよ。」
 そう、あのエルトゥールル号を助けた時の恩返しだったのです。
 

結論!良い行いは必ず報われる!
 皆さんも、良い行いをしましょう!

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