日々のこと* 京都みなみ会館
昨夜は、閉館まで1日となった京都みなみ会館で映画を見てきた。
私が初めて行った時は、パチンコ屋の2階にあった。現在の場所に移転してからここで映画を見たのは4回目。
今月末で営業終了とのこと。
地方のミニシアターは、基本的にその街に住む人のものだと思う。
だから私なんかが言うのもアレなのだが、我が街も今年2つミニシアターを失ったので、少しはその寂しさが分かるつもり。独立系、アート系映画を上映する小さな映画館には、そこが唯一の自分の居場所だと思って通ってる人がきっといる。「明日からどうしよう」と途方に暮れている人がいたら彼らのことが心配だねと、今年の夏、シネマテークという映画館が閉まる時、友人と話した。
昨夜見た映画は『ドキュメント サニーデイ・サービス』。2時間半の長尺も集中途切れず、新しい発見がいくつもあった。やっぱりとてもいい映画だと思う。
サニーデイの楽曲は、曲が生まれた時とは全く別の状況においても、まるでそのために作られたかのようにピタリとハマる。映画の演出もあるのだろうが、こういうのを普遍的というのだし、名曲という。ものすごいことなのだが、言葉にするとこんなに平凡な言葉になってしまうことに驚く。
舞台挨拶に登場した松尾監督が、こんな話をされていた。「60年も続いた映画館で、最後の上映に何故これを選んでもらえたのか。それが聞きたくて舞台挨拶をしに来た。さっき聞いたら『終わり方がみなみ会館の今の心情にシンクロしてるから』とのことだった」(意訳)
映画を見ないと分からない話ではあるが、悲しみに打ちひしがれている誰かの助けになるといいなあと思う。のでこれを書いた。
秋の京都は、観光客で賑わっていた。外国人が多く、いろんな国の言葉が聞こえてきて楽しかった。
JRの窓口で並んでいたら、2人ほど前にいた中国人青年が振り向き、私の前のおばちゃんに何か尋ねた。厚い化粧に短髪で、いかにも『関西のおばちゃん』風の彼女は「ダメダメ、私、中国語分からんわー!」と返した。だよねえ。すると青年は「English,OK?」と英語に切り替えた。英語も中国語も全くできない私はハラハラとその光景を見守った。
次の瞬間、おばちゃんが「英語ならいいよ!」と答え、突然流暢な英語で話し始めた。えぇっ!? おばちゃんすごい。青年は「〇〇へ行きたいけどどうしたらいいか、乗り場はどこか」みたいなことを英語で次々と質問し、おばちゃんは完璧に答え、最後には世間話までして笑い合っていた。
こういうのが一番カッコいいですな。痺れた。