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姑が戻ってきた5 老人食って不味いよね

 と思ってるそこのあなた、いっぺん食べてみて。
老人食も多々あって、
江戸の昔から干物(カンブツ乾物)戻して揚げて炒めて煮つけて和えて。
江戸の末期は年より人口が爆発的で幕府は年より対策に翻弄していたというらしい。
 年寄り対策は、幕府に任せて、庶民は日々口にする三度の飯とお八つが大事。新鮮な食材はもちろんありがたいが、-冷蔵庫の無い昔から保存食は重宝されていた。

 かくいう みやぬんの実家も 年寄りと長年暮らしていたのでそんな食材は通常食。肉や魚にくわえて、干物も日々食卓に花を咲かせていた。普通に美味しかったし、好きだし、同級生の家も味付けは多少違ってもさして変わらぬ食材だたっと記憶する。

 で、嫁にきて早速披露。
かれこれ20年以上の前の事。
平成生まれの方々には20年以上前の話などずいぶん昔の事だと思う。その時点で「昔の食卓」「昭和の風景」に選別されてしまいそうな気配。
 時間をかけて丁寧に作ったその料理は姑と旦那に

「辛気臭い」と一笑された。

辛気臭いですよ、シンキクサイ、
辛気臭いという単語が既に辛気臭いですわ。

最大のギャップは、

「嫁いだ先の家には干物(カンブツ)のストックが無い」

ということは、
嫁ぎ先の嫁は、嫁ぎ先の嫁の親も、姑も、それを使っていなかった。
もしくは、嫁ぎ先の嫁だった人=姑はそれを使いこなせてない。
文化の伝承がなされてないのか、
そもそも、そうゆう文化が無いのか、
兎に角、それは、こちらでは、受け入れられてないという結論に。

衝撃でした。
じゃあ、こっちの年寄りは何を食べているの?

 アメリカンな年寄りは、若い頃にハンバーガーとフライドポテトとコーラで育ったから、年をとっても歯が抜けてもハンバーガーとフライドポテトとコーラを食べる。
 イタリアンな年寄りは、若い頃に、パスタとピザとハムとサラダで育ったから、腰が曲がってもよぼよぼしてもパスタとピザとハムとサラダを好む、
 
 じゃあ、じゃあ、此処の地方の人は何を食べて大きくなって何を食べて永眠するの?

 ぐるぐるまわる。
まわる、まわる。
 
 ★油揚げを湯抜きして、醤油と味醂でゆっくりこってり煮着けて、青い葉っぱで卵とじ。
 ★車麩をじわっと戻して、醤油と味醂とお出汁でゆっくりふわふわにに漬けて、青い葉っぱを添えたら、お出汁がじゅわ~、歯ごたえもっちり。高たんぱくの柔らか食感。
 ★高野豆腐を甘めのお出汁で、ことこと煮漬けて、卵でとじても良いし、クラッシュして和え物にしても良いし。
 ★かんぴょうを戻して、ヒジキと炊いても美味ししいし
 ★水煮の大豆と煮ものにしても美味しいし、
 ★豆腐を水切りして、クラッシュ+高野豆腐+刻んだ野菜+卵+片栗粉、塩コショウで味付けてフライパンで焼くと、簡単がんもどき。
 ★がんもどき(ひりょうず?)の煮つけ
 ★厚揚げ、木綿豆腐の揚げだし豆腐に生姜と大根おろし。

派手ではないけど、定食屋の小鉢にあれば嬉しい一品。
居酒屋で突き出しに出てくれば、お、おおお、と期待感上昇のアイテム。

 永久歯に生え変わる時期、祖父母と一緒に過ごした中で、美味しく食べれた料理のあれこれ、肉は噛み切れないし(生え変わりで噛めない)魚は骨がうまく取れない、がんもどきや高野豆腐大好きだったし、車麩のぶよんとしてるのに噛み応えのある食感たまらなかった。

 なのに、此処の年寄りは、そうゆうものは食べないと言い放った。

で、月日は流れて、今、
三度の食事のソレラヲ提供している。

美味しいらしい。

そうか、美味しいか。

嫁に遠慮して「美味しい」と言っているだけではないようだ。

美味しかろう。
私が、目の前で加熱し調理し提供してるのだ。
総菜売り場で、何時間か前に調理したものではない。
味付けは負けるかもしれないが、今加熱して出来上がった料理は、どんな冷めた料理よりも美味しい。
めちゃくちゃ時間が無くて、短縮なんちゃって料理だが、基本はがっつり抑えて仕上げている。

 湯抜きした油揚げや厚揚げがんもどきは、お出汁を沁み沁みにしたら、噛むと沁みたお出汁が口の中ではじける。
 お豆しっかりの味がする地元の木綿豆腐は、揚げてお出汁をかければ、大豆とお出汁と、生姜と大根おろしで、これまた極上の甘みと塩味で病みつきになる。
 その一つ一つに手間がかかる。

姑が私にはなった言葉の一つに、
最大の屈辱の言葉の一つに、
「そんなゴミみたいなものは食べる気がしない」

今彼女はゴミみたいといったものを食べて美味しいという。
彼女にとってのごみを正々堂々と食わせている。

大根の皮、ブリ以下の小魚、白菜の外の緑の部分、葱の皮、牛蒡の外側、蕪外側、そして、干物(カンブツ)

「辛気臭い」と言ったのは、それを料理するスキルを持っていなかったのだと、マウントを取ってみる。
「ゴミみたい」と捨てていた部分も、そこを捨てることで自分は高級なのだと自分に言い聞かせていた可哀そうな人だと憐れんで差し上げる。

知らないことを知らないと怒る家庭に、進化は生まれないのだ。
知らないなら知ればいい。
知らなかったことをやってる人が居たら、その人をリスペクトして真似すればしい。

TVは見るものらしい。
見て消すだけの箱らしい。
お店の料理紹介とか、農家さんのこうやって食べてますよとか、ドラマでちらっと出るバーカウンターの小鉢とか、めちゃくちゃ面白くて参考になるのに。

何気に嫁は料理上手というレッテルを貼られている。
料理上手じゃなくて、食材を買うためのお金が無いので、家族みんなが美味しく、おなか一杯に食べる為に最大限に努力しているだけですが?

美味しいに正解は無い。
美味しいに正義も無い。
あるのは、食材をどうやったら、美味しく食べれるかの尊敬だけだ。
大根のそと皮を1センチも剥いてゴミ箱へ捨てていた人に、

すりおろして大根おろしに。

キャベツ中の柔らかい所だけ食べてあとは捨てていた人に、

みじんに刻んで餃子に。

昔、ロース以外はくず肉とのたまった切り落とし肉は叩いてカレーに。

噛めない歯で、もさもさ食べている。
油揚げも、がんもどきも、大豆の炊いたのも、
もさもさ噛んで食べれている。
高たんぱく邸カロリー。
お出汁は脳内の美味しい嬉しい物質も増大させる。
辛気臭いと一笑したその料理が今のあなたが望んでいる、安心して食べれる美味しいごはん。

小さい時食卓に並べてくれた親に感謝している。
ハンバーグもカツも好きだけど、
焼いたり煮たりした魚も好きだし、
煮っころがしや卵とじも好き。
知らない食べ物も、そうゆうのもあるんだねと、なんでも箸を伸ばせるのは、生まれ故郷の違う祖父母や、田舎の違う両親の、その地方の料理が同時に食卓に並んでいたから。

好きなモノだけじゃない世界で、
好きじゃないものを排除する家と、好きじゃなくても同居を許す食卓。
好きじゃなくても許されるってとても大切な事だと嫁に来て知った。
 両親に感謝するとともに、田舎へ嫁に行くしんどさを案じてくれていたのだと思い知った。

田舎が生活しにくいというのは、
そうじゃないモノをそこに居て良いという許しを得るのが大変だから。

都会がそれなりに生きていけるのは、
そうじゃないモノだらけで嫌いならそこに居ても無視をしていい環境があるから。

彼女=姑はそうじゃない食事を伝えられない環境だったのか、知ろうとしなかったのか、郷土食を伺うにも「アレは美味しかった」としか話さない。
 何十年も外食し続けて、誰かに作ってもらって対価を払って、なのに、人生の最後は食べたい物の素材も知らない、アレは何だろう、なんて、なんて、切ないのだろう。

老人食。
ゴミ食材とのたまったソレを、

調理して、
食わせて差し上げましょう。

あと何回食べることが出来るのでしょう。
せいぜい、美味しく召し上がってくれやがりませ。

チューブ食になったら範疇外ですけどね。ニッコリ。

 


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