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教育が「本質的に」求めてしまうものは ー
よりよい人間性とか、予測困難な社会に生きる力とか言われてますけど、多分本質的に求めてしまうものって、「小学校で適応できる大人になりそうな子ども」なんだろうなと思います。
社会でイノベーションを起こす人たちは、イノベーションを起こすような人材を育てたいと思って、会社で働いている人たちは、その会社が社会に貢献していることをより高めてくれる人材を育てたいと思ってしまうのではないかという仮説です。
つまり、教育者は、よっぽどのことがないと「教員の世界、教育の世界に適応できる人材」を求めて、日々の指導に当たってしまうような気がします。となると、結構まずいです。
時間に拘束されないといけない、周りに合わせなければいけない、上から言われたことはNOとは言えないなどなど。教育界にも、イノベーションを起こす人が必要で、「よそ者、バカ者、若者」なのかなと思います。若者は、なかなかによく教育されてしまっているので、よそ者、バカ者に託されそうです。よそ者でも、なかなか声を上げづらいようで、それは、周りとの調和を重んずる日本人らしさを兼ね備えた人が教員に多いからでしょう。やっぱり、そうなるとバカ者が有力でしょうか?
こんなことやったら変じゃない?って言うことを、ちゃんとねらいがあってやれるといいですよね。マイクラを用いて教育に一石を投じた方もいて、そういうのは反対もあったろうなと思います。でも、やったからこそ、大きな反響があったし、ものすごい教育になったと思います。よい意味で、教育が本質的に求めてしまう壁を破ったとも言えそうです。
時が経てば若者ではなくなっていくけれど、どんどん新しいものを取り入れることができるバカ者になっていっている自分がいます。主幹教諭という立場になったから変えられているものもあります。もっとバカ者になって、その土地にとってはよそ者の自分が、地域に一石投じるような人になりたいと思うのでした。
そのためには、みんながいらないといってる総合的な学習の時間は、とても私にとっては強い味方の教科なのでした。数値による評価がないというのはほんとうに大きい。
今年度もあと一ヶ月だけど、この一ヶ月をチャレンジングに過ごすことで次年度が大きなジャンプの年になるはず。
ちなみに、本質的に揚げ物を求めてしまうのはなぜなのでしょうね?