助長する。
こう言うと、なんだか成長を助けるイメージがありますが、もともとは「手をかけすぎてダメにする」という意味だそうですね
辞書で調べてみても、最初には、「成長を助けること」とでてくるものの、次に「不要な助けをして、かえって悪くすること」とあります。
こんな真逆の意味をもつ言葉も珍しいものです。
さて、今、教育界はどっちの助長かなと考えてみました。
ある程度ストレスがかかる状況で生活することで、自分でなんとかしなくてはいけない力を高めることが大切だと思います。家の中で、自分のやりたいことを、やりたいようにやるなどの生活だけで生きていけるほど楽なことはないのですが、ほとんどはそういうわけにはいかないです。
むしろ、社会とふれて、社会の中で自分なりに生きていく力を身につけていくことで、より豊かに生活していくのではないでしょうか?
そう考えると、教育とは外界(心身や思考)にふれさせる行為とも言えます。
「可愛い子には旅をさせよ」とか「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言葉は、可愛いからこそ、過酷な環境、ストレスを感じる状況に我が子を出合わせていくのだと感じます。「成長を助ける」という意味の助長ですね。
しかし、最近はそうではなく、ちょっと嫌なことがあったとなると、めくじらを立て、ものすごい勢いで我が子の不利益を話される方が増えているように感じます。子どもは、自分で嫌な環境を改善しようとする力が身につくのでしょうか?子どもの力だけで解決できないことはたくさんあるので、お家の人に話すということは生きる術として大切なことです。その後ですよね。どうすれば子どもの生きていく力を伸ばしながら環境改善を図るか。「そんなの大丈夫!気にするな!」というのも寄り添えてないと思うし、「私がなんとくてあげるから任せなさい!」でも力はつかない。「行かなくていいよ。」というまではよくてもその後家にほっておいたら意味がない。ケースバイケースなので、一概に言えないけど、自分の関わりや対応はどちらの助長なのかを立ち止まって考えて欲しいと思うのです。自戒を込めて。