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なんだか怖かったりもする(笑)

久方ぶりに文字を綴りたくなりました。ここんとこ忙しかったわけでもなく、何かがあったわけでもないのに「心がざわざわ」する瞬間が多くて自己と向き合う時間をさけていたような気がします。

逃げるのも必要。少し前の私は「置かれた場所で咲きなさい」を誤って解釈していたようで、苦しくなっても、気を抜いた瞬間に涙がでてしまってもここらで逃げてしまったら「負け組」だなんて強く言い聞かせて頑張ることがありました。すべてはプライドを守るためだった、高きつまらんプライドを。身を削ることを「美徳」と捉えすぎたのかもしれません。

最近はなんだか、「置かれた場所」というより「置く場所」を自ら選択できる世の中になっていってます。「自分のことを好きでいられる場所で咲きたい」当たり前のことですがこう願っております。自己成長のための苦労はウェルカムでしょ?「大変だけど、これをしている自分は凄くキラキラしている、キガスルノ。」キガスル、でいいんです。なんとなくでいいんです、すべてわかっちゃったら面白くありません。少々わからないぐらいが人生、丁度いい。

なーにを21歳が語ってるのやらってね。まだまだこれからです。ただ、21歳の考え方はこんな感じです、と未来のアタシにむけて説明しているだけなんです…。

そう、最近は、隠していた「本来の自分」ってものがニョキニョキと現れて、ちょっと怖かったりします。

なぜ怖いかって?

一人で本を読んだりこうやって文字を綴ったり、ドラマのセリフを声に出して読んでみたり、音楽を聴きながらまるでMVに出ているような気持ちで散歩したり…。

好きなこと、をあげてみたらほとんどひとりあそび、なんです。一人で何かをするのが好きらしくて。気づいていましたけど、隠そうとしていた部分なんですこれが。

もちろん人と会ってお話ししたり、大騒ぎをしたり、面白いことをしたりするのも好きです。でも好き、好きだよね?って何回も言い聞かせていた自分がいることに同時に気づくんです。

「私は社交的でいつも笑顔で、怒らないし、気さくで明るい、友達の多い女の子」

であり続けなければいけない、と自分にずっと言い聞かせていた人生でした。そして、今も。同時に他人(ヒト)、を何だと思ってんだ、コノヤロ!って感じですね。

承認欲求が人一倍強い私にとって、褒められるのがその部分でしかなかったからだと思います。私はそうでなければ何もなくなってしまうんじゃないか、って。

でも本当はめちゃくちゃ人見知りだし、時々人が物凄く怖くなって声が出なくなることもある。そして残酷にも線引きをして人を拒んでしまう時もある。いつだって居場所は図書館だった。あそこだったら一人でいること、が当たり前だから。シェルターなの。

でもそんな自分を出してしまったら価値がない、今までの姿がすべて偽りなんじゃないかって思う。そして、みんな「私」から離れていくんだわって、こんな自分つまらないし、っという恐怖とは闘っています。笑

ただ、今ストレスもそれほどなくて生きやすい。

こう思ってしまった以上、もう完全に元には戻れない。「本来の自分だと思っていた偽り」がどんどん崩れていく恐怖を超えて「これが私なんだ、もう仕方ない」の諦めをも超え、「長年にわたって抑えていた本来の地味な一面」が私の人生を今、彩ってくれている。戻れない、ではなくて戻りたくないかもしれません。実際。

でもどんな時も、無駄なんてなかった。今、気づけて良かった、と思う。思うしかありません。だって生きているのは「今」ここにいる自分なのですから。

5月も終わりますね、髪の毛がうねりにうねっていうことをききません。ジメジメとの戦い、頑張りしょう!笑

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