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#97母のかお。

荷物を整理していた時にみつけたUSBの中に、18年まえに書き留めていたエッセイを見つけました。これも懐かしい思い出なので、noteにアップしておくことにしました。最近のわたしは「すべてが思い出になる」と何かにつけて思うのが癖になっているのですが、思い出を思い出しているという、この今ですら、いつかは思い出になっているのかと思うと、どう表現したらよいのか分からない不思議な気持ちになります。

「そんなの当たり前じゃないの」と言われたら、確かにその通りなのですが(笑)。

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小学4年生のとき、学校の図画工作の時間に「クロッキー」なるものを覚えた。スケッチ用の太目の鉛筆で、線で描写する方法だ。まずは自分の手。手をぎゅーっと握ってこぶしにしたり、ぐぐーっと広げて大きくパアにしたり、エンピツを握ったかたちを作ったりしながら、わたしたちはそれを一生けんめいスケッチした。

一つ一つの指の関節の形やしわの入り方、爪のなかの白い月など、細かいところを丹念に描きながらも、全体として一個の手の形を作り上げていく。かおを被写体に近づけてみたり、首をなるべく伸ばして遠くから眺めてみたりしながら、エンピツの先を動かし続ける。出来上がると、どことなくプロっぽい印象を感じさせる絵になっているのがうれしくて、わたしは自宅でも妹の横顔や、台所にたつ母の後姿をスケッチしたものだった。

ある夏休みも終わりに近づいた蒸し暑い日の午後、一仕事をおえた母がたたみの上に寝転んで昼寝をしていた。少しいびきまでかいている。ウシシ。さっそくわたしはA4の画用紙とエンピツを手に、母を斜めから捉える。「よくできたら夏休みの宿題の一つにしよう」担任の先生にほめられるのが何よりうれしい時期でもあった。

母の寝顔をスケッチするのに、おそらく多くの時間を要しなかったと思う。出来上がった絵を眺めて、わたしはドキリとした。母はいつもの母ではなかった。おしゃべりで、よく笑う母のかおが、今は目を閉じ、口を軽く開いて静かに横たわっていた。母は女でもなかった。たくさんのしわが刻み込まれて、まるで男の人だった。疲れた顔はいつ呼吸を止めても不思議ではないようにさえ見えた。ハッとしたその時の思いを、わたしは胸の中に押しとどめたまま誰にも語らなかった。

目が覚めた母は「あら~、わたしこんなかおしとるん?」とやや不満げだった。二学期が始まり、その絵を学校に持っていった。担任の先生は母とは顔見知りだった。先生が絵をみて「まあ、お母さんによく似とうねえ」と言った時、わたしはもう一度ハッとした。

その痛みはなんだったろうかと、その後ふとした時に考える。母はその時、わたしたちのために演じ続けていた「母の仮面」をつけていなかったのかもしれない。眠りの中、生活の疲れ、生き続けていることのしんどさが隠しようもなく、かおに現われていた。その顔は、同じ仕事をしている担任の先生には、母のいつもの顔に近いと感じられたのだ。

母はどんな顔で教台の前に立ち、多くの子供たちの前に先生としてあったのか、或いはまた職員室で自分の机に向かい、多くの雑用をこなしながら、どんな顔で働いていたのか。わたしは知っているようでいて何にもしらない。運動会の前に、音楽会の前に、生き生きと準備にいそしむ母の姿しかしらない。「今年はどうしよう?」と毎年、楽しそうに案を練っている母が、教育という仕事を楽しんでいるのは、わたしには当たり前のことだった。楽しむ余裕を作り出す作業を、あの、男か女かわからないかおで一人もくもくとやっていたとはしらなかった。

もうすぐ60歳を迎える母は、10年近く前に現役を退いた。家庭の事情もあり、定年まで勤め上げることができなかったことも、母にはあまり苦ではない様子。そして、あの時、眠りの中でわたしのエンピツの先だけが捉えた母の表情を、今ではしばしば目にするようになった。ごはんを終えて熱いお茶をすすっている時。お風呂上がりに鏡に向かい、パタパタと化粧水を頬に叩いている時。孫と遊びながら、ふと我に返って宙を見つめている時。

母さん。歳とったねえ。よく今まで元気で、生意気なわたしたちをここまで育て上げたねえとわたしは心の中でつぶやく。わたしは母と違って自然に、ありのままに、感情を子供たちにぶつけてしまう。それは母の感情がないものとして育てられた苦しみをわたしが知っているせいでもある。母親が思った通りに泣いたり、笑ったりしてくれたほうが、子どもの心は楽なのだ。

でもそうはいっても、それだけじゃダメだとも思う。母と子のあいだに薄くてもしっかりとした境界線を母親自らが引かなければ。日々、目に見えない新しく線を引きなおし続けなければ、子どもはしっかりと育たないと思う。母が母の仮面をつけてくれたのは、うまく線引きできない母なりの工夫だったのではないか。母の弱さと優しさが、今のわたしの土台を作ってくれたのだと思う。そしてわたしは、昔描きとった母のかおの輪郭を、その厳しさを、自分の中に持ち続けながら、これからしばらく母でありたいと思っている。





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宮本松
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