#32現実を受け入れる。
今回の帰省は、ここ数年で一番穏やかで、楽にすごせる滞在となりました。毎日の食事の用意や、洗濯物、家の掃除に明けくれながらも、どうして自分がリラックスしていられたのだろうかとふり返ってみると、「現状をどうにかしなくては」という切迫感が遠のいていたからだなあと思いました。
バーバ(わたしの母)の認知症を少しでも遅らせたいと願ったり、ジージ(わたしの父)に家のなかにちらばる骨董品や本類を、元気なうちにもうちょっと整理してほしいと思ったりしているあいだは、両親に会うたびに口論がたえませんでした。せっかく再会したのに、その喜びを分かち合えるのは、帰省した当日と、出発の前日くらいで、ギスギスする場面がずいぶんと多かったのです。
今年はわたし自身、「無理はしない」と思って帰省したのですが、バーバの認知症もかなり進んできていたし、ジージも老いを自覚し始めたこともあって、この先遠出するときにはタクシーを利用したり、宅配の食事を頼んでみることにも、「やってみよう」という反応を示してくれました(宅配のほうは、週1回から試したかったのですが、週4回以上からしか注文できないことがわかり、ひとまず見送ることになりましたが)。
そんな状況をありがたいと思いながらも、気力も衰えつつある両親をみて、しんみりする気持ちにもなったのも事実です。
バーバは、規則正しく生活してはいますが、日中も何かする度にごろんとコタツに横になり、買い物に連れていっても、周囲に興味関心を示すことが少なくなっていて、午前中にコインランドリーにいき、一緒に洗濯物を片付けたり、お風呂に入ったときに頭もしっかり洗うなど、その日一日分の身の回りの諸々をこなせたら、
「今日もよくがんばったね」
と声かけしてあげたいくらいの生活レベルです。
ある夜、バーバと二人でお風呂に入り、のんびり湯船につかっているときに、わたしはたずねてみました。
「いろんなこと忘れていくのって、どんな感じなのかな。やっぱり不安なのかな」
すると、彼女は答えました。
「わたしには、忘れてるっていう自覚がないからね。自分じゃよくわからないのよ」
ああ、そうだったのか。何分か前の出来事も、きれいさっぱり忘れてしまい、家族にいやがられることが多々あるバーバだけれど、自分が同じことを何度も口にしていることも気づかずに、ただ一生懸命に生きて、動いていたのか…。
認知症が進行していくことに抗おうとしていたとき、わたしはバーバの気持ちに寄り添おうとする気持ちのゆとりを持てずに、
「またそんなことをして、だから病気がどんどん悪くなる」
と、子どもを叱るような気持ちで接してしまっていました。それは本当に、よくないことでした。バーバにとっても、わたしにとっても…。もっとあるがままをそのままに、やさしい「仕方ない」で対応すればよかった。
今、自分自身がそんな気持ちになれていることすら、わたしには驚きであり、小さな喜びだったりします。何年ものあいだ、悩んできてようやくたどり着いた今なのかもしれません。そして、これからはもう少し、きびしくなる現実に向き合わなくてはいけなくなりそうだからこそ、家族みんなのためにも自分のためにも、無理はしない。小さなことを喜べる心のゆとりを持つこと意識しながら、暮らし続けたいと思ったところです。
帰省しているあいだに、バーバは77歳の誕生日を迎えました。気温に応じた衣類の調節がむずかしくなったバーバが、薄着で過ごしがちなことを心配していたわたしは、裏地にボアのついた暖かくて可愛いピンク色のカーディガンを見つけました。
「ほら、これ着てデイサービスに行ったらいいよ」
鏡にうつった自分の姿をみて、バーバがうれしそうに微笑みました。
家に帰ると、早速ジージに見せています。
「ほら、これ」(バーバ)
「おお、いいじゃないか」(ジージ)
「わあ、ばあちゃん、かわいいじゃない、似合っているよ」(ミドリー)
家族に褒められて、ますますうれしそうなバーバでした。そして、そんな母の表情をまだ見られることをありがたいと感じた一日でした。
<追記>
じつは誕生日の二日前に、お祝いをしたのですが、誕生日当日の朝、
「ねえ、母さん。今日は何の日かわかる?」
と聞いてみると、
「さあ、なんの日だったっけ?」
と返事をするバーバ。
「あなたの誕生日じゃない!」
「あら、そうだったの(驚)」
「何歳になった?」
「うーん、何歳かね、わからない。80歳?」
わたしはこのやりとりをした後、昔のエピソードを思い出しました。43歳だったバーバが、腹痛がひどくて救急車を呼んだとき、救急隊の人に年齢を聞かれた妹が、
「44歳です」
と答えると、それを聞いたバーバは、お腹を押さえ冷や汗を垂らしながら、
「ちがう!43歳よ」
と、大声で叫んだそうで…。ずいぶんと寛容なおばあさんになったものです(笑)。