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#155グランマのカレンダー。
夜、夕ご飯の片付けが終わると、わたしは玄関の脇までトコトコと歩いていき、日めくりカレンダーを一枚めくります。「明日は○日」と心の中でつぶやきながら。
「よく忘れずに、カレンダーめくれるね」
娘のミドリーにはそう言われますが、外で仕事をしていないわたしにとって、こうやって一日が終わっていくこと、明日がくることを確かめる作業は多分けっこう大切な行為なのだと思います。子どもの頃、日直さんという当番になると、黒板のはしっこに日付や当番の名前、宿題などを書いていた場面を思い出します。黒板はないけれど、その代わりが日めくりカレンダーというわけです。
グランマ・モーゼスというアメリカの画家の日めくりカレンダーは、元々は息子のドラちゃんが祖母(わたしの母)にプレゼントしたものでした。無名の農婦だったモーゼスは、70代になってから本格的に絵を描き始め、101歳で亡くなるまで作品を作り続けた人でした。ドラちゃんが「ばあちゃんに少しでも元気になってもらいたい」という思いで渡したカレンダーでしたが、いかんせん、認知症が進んでいるうちの母は、ベッドの上に置きっ放しにしているうちに、埃までたまってしまっていて、「ああ、勿体ない。これでは何のためのプレゼントだか、わかりゃしない」と、わたしがかっさらってきたのです(孫たちの存在は、母にとってとても大きなものなのですが、そんな大切な孫からの贈り物だということまで、今の母には覚えていられないのです)。
幸い、ドラちゃんから贈られたもう一つのプレゼントがわたしの手元にあります。それはモーゼスの生誕160年を記念して日本で展示された絵の作品集です。数年前、美術館で開催されていたモーゼス展に行き、感銘を受けたドラちゃんが手に入れた作品集を、わたしに譲ってくれたのです。そのおかげで、わたしは小さなカレンダーの絵だけでなく、モーゼスが生前描いた沢山の色鮮やかな絵も楽しく眺めることができます。元々の絵を知っていると、切り取られたカレンダーの一部分を見ても、もっと大きな絵のイメージが頭の中に浮かびやすいのです。
「農場では、毎日ほとんど変わりばえしません」「季節だけが移ろっていくのです」とモーゼスは書いています。そう語りながらも、モーゼスの絵は一枚たりとも退屈さを感じさせるものがありません。画面いっぱいに、四季折々の村の生活が、生き生きと表現されているのです。大自然の中で、人間たちが自分たちの暮らしを愛おしそうに守り続けている、そんな光景がそこかしこに垣間見れます。
遠くに見える山と、手前に広がる田畑や川、道、家々の周りには緑濃い木々が風に揺れています。白い馬や茶色の馬が、ある時は馬車を引き、別の場面では畑を耕しています。牛たちはのんびりと草を食み、子どもたちは右に左にと走り回り、女たちはあちらこちらで立ち話に花を咲かせ、男たちは鍬を片手に力仕事に励んでいます。
村で結婚式が催されると、みんなおめかしして、屋外の明るい芝生の上で寛ぎながら、新郎新婦の門出を祝います。大勢が広い家に集まってパーティが開かれる時には、テーブルの上に所狭しとご馳走が並べられます。暖炉の前では犬が寝転び、揺り椅子の上では、おばあさんが居眠りをしています。
人が生きて暮らし続ける。たったそれだけのことが、本当はこんなに豊かで幸せに満ちたことなのだと、モーゼスの絵を見ているとよく分かります。生きているということは、なんて素敵なことなのだろうかと。
ここでモーゼスのカレンダーに書かれている彼女の言葉をいくつか拾ってみましょう。
「わたしはいつも何か楽しくて、元気が出るシーンを描きます。明るい色と、生き生きとした動きが好きなのです」
「わたしが絵を描く時は、自然のものをじっくり何度も観察します」
何か凝ったもの、芸術性の高いもの、人目を引き、誰かに買ってもらえそうなもの、そんな絵を描こうなんて微塵も思っていなかったであろうモーゼスが、ただもう目の前の何処までも広がる美しい自然を、人間の営みを、なんとか真っ白いキャンパスに写しこもうとワクワクしている様子が目に浮かんできます。
「楽しいことと同時におこるつらいことも、受け入れなければならないものです」
「悲しいことがあっても忘れるように、と自分に言い聞かせてきました。そうすれば、何はともあれ最後には、悲しみは消え去っていくものです」
穏やかで、凛とした表情のモーゼスの心の中にも苦しみや悲しみはずっとあったのでしょう。でもそんな暗い影すら、美しい絵を描くための肥やしにしたのでしょう。あんなに小さなおばあさんになったモーゼスの中に、キラキラ光るエネルギーが溢れていたのかと思うと、わたしたちもこの先、歳を重ねることにもっと希望を感じてもよいのでは?と思ってしまいます。
わたしが毎月最後にめくる31日の言葉は、これです(いつも忘れずにいたい言葉です)。
「人生は自分で作り上げるもの。これまでも、これからも」
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