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#119フェスに行ってきたぜ。(前半)

調子にのったタイトルでごめんなさい(フェスに行ってきた感を出したくて)。数ヶ月前から、わたしの住む地域ではフェスの話で盛り上がっていました。今年3年目になるラッキーフェスは、ラジオ局が主催しているせいか身近な感じがします。

「せっかくだから行ってみようか?」(テル坊)
「そうしてみるか」(わたし)

というわけで、初めてのフェス参加となりました。日本経済新聞によると7月13日から15日までの3日間で6万人の来場者があり、前年を1万8千人上回ったそうです。出演アーティストは114組。わたしたちは贔屓にしているラジオパーソナリティさんが出演する13日に参加しました。

チケットを購入後、アプリ登録を行うと、当日必要な持ち物、会場マップ、出演アーティストのタイムスケジュールなどあらゆる情報を見ることができます。アプリを見ながら、テル坊が読み上げます。
「なになに、飲み物はOK、食べ物は持ち込み禁止、日焼け止め、雨合羽、敷きもの、虫除けスプレー…」

当日雨が降らないことを祈りつつ、前日の夜は早めに眠りにつきました。会場はひたちなか海浜公園です。臨時の駐車場に車がずらりと並んでいます。わたしたちと同じく、昼から参戦するリュックを背負った人たちの姿も多く見かけました。

参加者の服装もまちまちです。フェスTシャツを着ている人、カラフルなお揃いの服を着た友だち同士、野山を探索するような格好のおじさん、気ままな人たちに紛れ、わたしもよれよれTシャツにズボン、サングラスをかけて帽子をかぶり、首にタオルを巻いた怪しいおばさんとして公園内をうろつきます。

広い敷地には4つのステージが設置されています。お目当のアーティストの歌を聴くため、タイムスケジュールをチェックしながら、参加者は歩いて移動します。芝生が広がるメインエリアには二つのステージがあり、その片方で森高千里のパフォーマンスが始まりました。

「うわ、前の方はファンで埋め尽くされてる」(わたし)
森高千里。可愛すぎました。20代の頃とほとんど変わらない動きと衰え知らずの歌唱力に引き込まれます。ここで一番キュートだったのは、森高の歌やトークに合わせて掛け声をかけるおじさんたちでした。

「今日はいつものコンサートより短い時間になりますが」と森高が言えば「えー!」と一斉に不満のブーイングを鳴らし「それは仕方ないでしょ」と森高が返すと、ドッと優しい笑いを返す。どこかで事前に同じリアクションを返す練習でもしていたのではないだろうかと思うほど、皆さん、息があっていました。

ここ数年、昔流行した曲に注目が集まり、アイドルたちが当時の衣装のままテレビや舞台に登場するのを目にすることも増えました。長いブランクがあって、どんな気持ちでパフォーマンスするのだろうかと疑問に思っていたのですが、実はそうではないようです。

たとえば…森高千里の場合。1987年にデビューし1989年に「17才」をカバー。1992年に「私がオバさんになっても」1993年に「渡良瀬橋」とヒット曲を出しています。1999年に結婚されましたが、2002年から既に活動を再開。2011年には東日本大震災のチャリティーイベントに参加、2019年には21年ぶりの全国ツアーを開始するなど、55才の今に至るまで、活動し続けているようです。

「だからこその、この盛り上がりなのだなあ」

何十年も人前に立ち、目の前の観客を元気づけながら、森高はがんばってきたのでしょう。その努力が、リアルなオバさんになっても、制服風のコスプレの似合う、森高千里を作ってきたに違いありません。そんな森高ファンのおじさんたちが応援に没頭している姿は、「心はいまだに少年のまま」そんな気配が、渋い声かけの中に感じられたのでした。

その後、屋台村の方へ移動すると、オレンジ色のTシャツをきたおじさんが、ひとりポツンとベンチに腰掛けて、幸せそうに屋台飯を食べていました。あの人は何をお目当にやってきたのだろうと、つい想像してみたりして…。みんなちがって、みんないい。そんなフェスの会場です。

追伸:自身のつくる個性的な歌詞について「誰にでも気に入ってもらえるようなものを書こうとは思っていないことが前提にあって、自分に合う言葉で、自分が歌う分には全ての責任を自分で持てるから、気が楽かなって感じです」と言う森高のコメントを、後日ネットで見つけてほっこりしました。




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宮本松
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