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#7ラブコールは突然に。

朝食の後片付けをすませ、洗濯物を干し、掃除機をかけて、ほっと一息ついていると、滅多にならない私の携帯がなります。実家のバーバ(私の母)からの電話です。バーバが認知症と診断されてから、今年で七年になります。幸い身体は丈夫で5歳年上のジージ(私の父)と二人で田舎暮らしを続けています。

半年前までは週に二回こちらから電話をかけていました。妹がほぼ毎日電話しているので、私はほどほどにしていたのです。ところが最近、バーバから日に何度も電話がかかるようになったのです。
「認知症が進むと親からの電話の回数が増えるらしいよ」
気になったので妹に相談したところ、そう教えてくれました。同じ職場の先輩で、親が認知症を患っている方から聞いたのだそうです。そういうわけか。状況が納得できた気持ちと、症状は確実に進んでいるんだなあという悲しい気持ちが入り混じります。

バーバの話の内容は、毎回ほぼ同じです。
「今日はいい天気ね。朝のラジオ体操に行ってきたの」
「お父さんが出かけたから、私はおるすばん」
「今、夕方の散歩から帰ってきたところ。これから夕飯の弁当を買いに行ってくる」
子どもが母親に逐一報告するような電話で、一分もたつと同じ話がリピートし始めます。
「そうね、身体を動かすのはいいことね」「がんばっているね」
「買い物、気をつけていってきてね」
こちらも毎回同じように返事をして、電話を切ります。

「母ちゃん、今、仕事してなくて良かったね」
私たちの電話のやりとりを傍で聞いていたミドリーがぼそっとつぶやきます。
「どうして?」
「だって、もし仕事してたらバーバの電話に毎回出られなかったでしょ?」
「確かに・・・」
もし私が今でもフルタイムの仕事を続けていたら、平日の昼間に直接バーバからの電話を受けることは難しかったでしょう。折り返しの連絡を入れても、自分が電話をかけたことも数分後には忘れているバーバにとって、娘である私が自分の呼びかけに応答してくれたという実感はわきにくかったかもしれません。

認知症の症状の進行は、見た目には分かりにくい部分もあるのですが、段々と自分が周りの人たちと交流できているという実感が薄くなってきていて、本人は自覚していなくとも心の中の不安が増しているのもしれません。バーバのことを考え始めると、心配性の私の妄想はどんどん膨れていきます。

「電話はいいね、離れていても声が聞けて」
「そうだね」
受話器のこちら側にいる私は、さも優しい娘であるかのように話し相手を務めるのですが、実際は帰省の度にバーバを叱ってしまうことも多いです。変わっていく親の姿をみる切なさと、高まりすぎた心配と、バーバの不可解な行動に対する怒りを、うまく消化しきれないのです。

もしやバーバは私に毎度叱られていることすら、忘れ始めているのだろうか?それはそれで、嫌な思い出が増えなくていいことなのかもしれない。それにしてもバーバ、あなたの娘は優しく思いやりにあふれた人間ではないのよ、すぐにカッカと怒ってバタバタ動いて、せわしない人間なのよ、そんなことももう忘れ始めてしまっているの?実の娘の姿がバーバの頭の中で、理想の娘の姿へと変わっていくというのも、なんだか寂しい気がします。

先日の電話の際、私は思い切ってバーバに聞いてみました。
「もうじき帰ってきてくれるのが、楽しみよ」
バーバは、私たちの帰省を心から待ち望んでいるようです。
「でもね母さん。いつも帰った時、私が怒ってばかりだから嫌な気持ちになるでしょ?」
「そんなことないよ」
受話器の向こうで、バーバは機嫌良さそうに笑っています。
「あんたはいつも怒るから、慣れてるよ」
なあんだ。正直なところ、ちょっぴり複雑な気持ちです。兎に角まだ、バーバは私が怒りん坊なことまでは忘れていないようです。




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宮本松
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