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ウィッグか、スカーフか?
今から1年半前の今頃、とても気になっていたことがある。それは抗がん剤治療で髪が抜けることだ。
抗がん剤の副作用について説明をされた時、ギャグ好きドクターと一緒にいた女医さんが、気の毒そうな顔をして「ほぼ100%の確率で、髪は抜けるのよ」と言った。そして髪が抜けることによる精神的なショックに対処してくれる、カウンセリングもこの病院でやっているわよ、とも。
やっぱりそうなのか、という諦め感と同時に、相当な衝撃だった。ある意味、がんですよ、と言われたときよりも、ずっと。
白髪は増えてきたものの、ツヤツヤでサラサラで、まだまだイケてる、と思っていた私の髪がなくなって、どんな顔になるのか? だけどサラサラの髪がなくなってしまうという心配よりも何よりも、髪が抜けるほどの重病に自分がなっているという現実、それを目の当たりにするのが、とても恐ろしいと思った。
アイデンティティも全部ひっくり返す、がんという病気
ニットのキャップなんかを目深にかぶって、目ばっかりが目立つ痩せた青白い顔。私もあんなふうになっちゃうんだろうか。今までずっと、元気で、強くて、明るい人として生きて来たのが私だったのに。人を助けてあげることはあっても、助けてもらったり、気の毒がられたりすることなんか、なかった人生なのに。辛いことがあったって、いつだって強くて元気なふりをして、それでやり過ごして来たのに。髪がなくなったら、そんなふりは通用しない、絶対的な病人だ。そんな思いが押し寄せてきた。
抜け始めたら2、3日のうちに全部抜けますよ、ごっそり抜けた自分の髪を見るのはかなりショックだから、その前に剃っておくのがおすすめよ、と女医さんは言った。ごそっと手の中に抜けてくるのを見るのは衝撃だろうけど、普通の感性の女子にとって、剃るっていうのだってかなりショッキングだ。作家の西加奈子さんは、カナダで乳がん治療をした時の体験小説「くもを探す」の中で
「元々スキンヘッドにしてみたかったから嬉しかった」
というようなことを書いているけど、そういう人は稀で、普通の女子は相当ショックに違いない。
イタリアは剃る派、日本は短く切る派
さて、剃るのか、切るのか。それが問題だ。ネットで検索してみると、日本では「剃ってしまうと、枕などに超短い毛が刺さってチクチクする上に、取れなくて大変だから短めに切っておく方がいい」という意見が大勢のようだった。一方、イタリアでは圧倒的に剃る方をおすすめしている。考えてみると、ヨーロッパ人の髪の毛は日本人の10分の1ほどの細さだから、剃ってもチクチクしないのかも。頭の形もかっこいいしね。
スキンヘッドで堂々としてればいい
剃るか切るかは後で決めるとして、まずはその頭をどうやって隠すか、だ。当時22歳の娘は、「病気は悪いことじゃない。ママのせいでなったんじゃない。だから堂々ときれいに剃った頭を見せたらいいじゃん。隠すなんておかしいよ」と言った。頭が寒ければ、おしゃれな帽子や、スカーフをターバンみたいに巻いたらいいって。高いお金を出してウィッグを買って隠そうなんて、ダサいって。
その通りだと思った。若い世代はキッパリしてる。だけど私は、私ががんだってことを知られたくない、というよりは、知った人がショックを受けたり、悲しい気分、暗い気分になったりするのがとても嫌だった。かわいそうと思われるのもすごく嫌。だからあまりたくさんの人に言いたくなかったし、髪が抜けているのは絶対に知られたくなかった。ザ・病人という姿を晒したくなかったのだ。だって病人だっていう自覚は全然なかったんだから。
日本製か、メイド・イン・イタリーか?
それでまず、イタリアのウィッグをネットや、知り合いの情報で探してみたけど、なんだかピンとこない。そもそも、顔も髪質も全然違うのに、イタリア人のためのウィッグを私が被ったらめちゃくちゃ違和感あるんじゃないの? 頭の大きさも形も全然違う。私の、日本人らしい大きな頭に、ヨーロッパ人向けの小さなウィッグが入る?? そう思った私は、今度は日本のウィッグのオンラインショップを検索してみた。日本製の方が私の顔と頭には合うに違いないけど、今度は試着もしないでウィッグを買うってどうなの??という疑問にぶち当たった。
そんなある日、古い友達に誘われて夕食に出かけた。髪がある、まだキレイな私のうちに、たくさんの友人に会っておきたいと思ったのもあるし、古い付き合いの彼女たちには病気のことをちゃんと伝えたかったから。
おしゃべりをしながら歩いていると、昔からの有名店だというウィッグのブティックの前を通った。ショーウィンドウにはウィッグを被った頭だけのマネキンがズラーっと並んでいて、なんだか不気味。でも、奥の方に、鮮やかなブルーの、ターバンのような帽子を被ったマネキンがある。
「あれ、すごく可愛いね。さやかに似合いそうだよ、入ってみようよ」
閉店間際だったその店に入ると、お店の人はとても親切で、すぐにいろいろ見せてくれたり、説明してくれた。人毛のウィッグは本物感が高くて見た目はいいに決まっているけど、1000〜2000ユーロもする上に、実は手入れも大変で、夏はとても暑いし、あまりお勧めしない、などの話もしてくれた。
あなたなら、これなんかどう? と試着してみたそのウィッグは、人工毛なのにとても自然でいい感じだ。いい加減にブローした自分の髪よりも、カットもブローも完璧、かつ自然な感じのそのウィッグを被った私は、なんだか随分若返ってキレイに見えた。本当に買うなら、きちんと採寸したりするので、後日来てください、と言われ、数日後、私はあっという間にそのウィッグを買っていた。
いつものさやかと全然同じじゃない!!
わー、すごくかわいい! イタリア人の女友達2人は、いかにもイタリア人らしく大袈裟に褒めてくれた。でもその大袈裟な褒め言葉にのって嬉しくなって、なんだかとても元気が出た。自分でも気がつかないうちに、やっぱり「がん」というものを取り巻く、嫌な気持ち、怖い気持ち、悲しい気持ちなどが心の底に渦巻いていたらしい。そんな無意識の暗い気持ちが、パッと霧が晴れるように飛んでいった。なんて単純な私。
日本人の、優しい、繊細な、傷に触れないようにする接し方も素敵だけど、時にはこのラテンな、傷はあるけどそれでも大好きよ!的な、愛たっぷりのイタリア人の接し方に、元気をもらえることがある。
ウィッグと一緒に、ショーウィンドウにあったブルーのターバン風な帽子も買った。しめて350ユーロなり。これで禿げても怖くない。抗がん剤よ、どんと来い。
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