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どうしてイタリアで治療することになったかということ

癌になったことを何人かの親しい友人に話したら、そのうちの何人かが「日本に帰って治療しないの?」と聞いてきた。それは「治療は辛いだろうから、お母さんのそばで甘えたほうがいいんじゃない」とか「日本の方が医療が進んでいるから」とか「言葉が完璧に通じる環境で治療を受けた方が安心なのでは?」など、いろいろな意味合いを含んだ質問だったと思う。みんな私のことを思って、いろいろな角度から心配してくれたのだ。

でも私は、日本に帰るということは、全く思いも付かなかったというのが正直なところだった。言われてみて、おー、そういう選択肢もあり?と少し驚いたほど。

だって私には大学に通っていた1人娘がいるし、娘と同じぐらい愛しているラブラドールのグレース11歳、猫のニーニ11歳、ジージョ5歳、めいめい7歳たちがいるので、彼女らを置いて、どれぐらい留守になるのかもわからず日本へ行くなんて、あり得ない考えだった。

それをいうと、え! 犬猫より自分の健康でしょう!とちょっと怒ったように言った人がいたけれど、私の犬猫への愛はたしかにちょっと変態と言えるほどで、あの子たちを置いて日本に行かないと死にますよ! と言われたとしても、じゃあ行きます! とは簡単に決断できなかっただろうし、そもそもイタリアでも普通に治療できると思っていた。治らずに死んだりするとか、そういう可能性については全く考えてもいなかったから、日本に行くことは最初から考えなかったのだ。根が脳天気なのでしょうか?

85歳の母に甘える、頼るという考えも全くなくて、そもそも抗がん剤の治療があんなに辛いなんて、噂には聞いてはいたものの、自分はなんとかなるだろうと軽く考えていたのだった(それは後で、舐めていて申し訳ありませんでした! と後悔することになったのだった。抗がん剤治療の話はおいおい書いていきますね)。

日本の方が医療が進んでいるとか、治療の専門用語がちゃんとわかる、ということを言われた時には、あれ? そうか、とちょっと引っかかった。日本の方がちゃんと治るとか、イタリアだったら治らないでやばいことになったりする? とほんの少しだけ、不安になった。
それで、日本の実家の近所で、毎年一時帰国のたびに乳がん検診をしてもらっていたS産婦人科の先生にメールをしてみることにした。母が若い頃に乳がんを患ったので、私も注意が必要だと言われ毎年チェックしてもらっていたのだ。

S産婦人科は、有名大病院でもなんでもないけれど、東京練馬区の、地元界隈ではいい病院として知られている、小さな医療施設だ。ドラマ『白い巨塔』の唐沢版で、財前教授の義父、西田敏行が経営する派手な産婦人科病院のロケ地になっていた、というエピソードあり(古い話ですいません)。

実はイタリアで、もしかして癌かも?という疑いが出て診察をしてもらった時、イタリアの医師から「以前に撮った画像や検査資料を全部持ってきて」と言われ、S産婦人科に国際電話をかけ、事情を話して画像をメールで送ってもらったのだ。その時のメールアドレスに、「診察してもらっているのでもないのに、図々しいかも?」と思いつつ、イタリアの病院の診断結果や治療方針を、Google translateにかけてコピペし、メールしてみたのだ。そうしたら、ちょっと驚いたことに、S先生はすぐに返事をくれた。

「あなたの癌は、ちょっと顔つきの悪い癌のようですが、治療方針は日本と全く同じなので、安心してそちらで治療を受けられたらいいと思いますよ」というメッセージだった。そうか、顔つきが悪いって、やっぱりそういうことなのか、と少し暗い気持ちになった。そういうこと、の中身は、また後日、詳しく書きますね。

そんなわけで、私の、イタリアでの癌ライフは始まったのだった。

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