記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

がんになっていちばん嫌だったこと

そりゃ、死ぬかもしれないという恐怖でしょ?」と、今、読んでくれている人のほとんどは思っているんじゃないのかな。そう、がんは、放っておけば死ぬ病気だから。でも私は、死ぬという可能性についてはあまり考えなかったというのが、本当のところです。

がん患者が先に死ぬとは限らない

だって考えても、誰にも正確なところはわからないから。余命半年と言われて10年生きてたなんて話はザラに聞くし、5年生存率とかをみたって、確率の問題なだけで、実際のところは何が起きるのか誰にもわからと思うからだ。今、これを読んでくれている誰かが、明日、交通事故に遭わないという保証はないし、どこかの病院では絶対死ぬわけがない、超簡単な手術で医療ミスが起きるかもしれない。健康200%!みたいな人がジョギング中に心臓麻痺で、ということだって起きる。

5年生存率なんて意味がない?

生存率を知って心配するのはあまり意味がないという話は、吉本ばななさんのお姉さんで漫画家のハルノ宵子さんが、彼女のエッセイ集『猫だましい』の中でこんなふうに書いている。

「~”生存率”という統計も、全く信じていない。~80歳過ぎてステージⅣのがんなんか発覚したら、そりゃ~かなりの確率で5年以内に死ぬだろう。ましてやジジ・ババに手術や抗がん剤などの過酷な治療を受けさせたら、確実に寿命を縮めるだろうし、他の原因で死んじまうって!」

ハルノ宵子『猫だましい』より

ハルノさん自身、乳がんや大腸がんや、その他にもいろいろな病気を抱えていたり、その上何匹も猫を飼っていて、その猫も重大な病気持ちだったりするのだけど、そんなことにはお構いなく(?)毎晩大酒を飲みながら、猫たちへの愛を綴る豪快なエッセイだ。これを読んでいたら、なんだ、それでいいのか、と妙に納得できてしまった。だから私は死ぬことについてはほとんど心配しなかったし、怖くなかったというわけ。

その一方で、とても嫌だったのは、がん、という厳しいシチュエーションを通じて、友達と思っていた人の本性が見えてしまったことだ。

どんなに感謝しても足りないほど親切だった友達や

ほとんどの友達は、差し入れを持ってお見舞いに来てくれたり、病院への送り迎えを娘がどうしてもできなかった時に車を出してくれたりと、みんなとても親切だった。

私の家から徒歩5分ほどのところに住んでいる日本人のSちゃんは、タイプ的には私と全く違う人なので、普段、それほど仲良しという関係ではなかった。なのに私が抗がん剤でふらふらな時、本当によく助けてくれて、驚くほどだった。

3日に一度ぐらいの割合で料理を差し入れしてくれて、買い物もしてくれた。小豆入り玄米がゆ、薄めの味付けの野菜の煮物などなどの日本の味は、抗がん剤の副作用で常に二日酔い状態な私の胃にも心にも本当に優しくて(しかも外国暮らしだから尚更!)嬉しかったし、立って料理をするのも辛かった時、冷蔵庫にお惣菜が常にあるのは本当に助かった。Sちゃんには一生、足を向けて眠れない。本当にありがとうございました。

一方で、こんなヒドイ人間が普通にいるんだね、という話。ここからが本題です。

私はライターとして日本に向けて記事を発信する一方、イタリアでイタリア人に向けて日本料理を教える、という二つの仕事を持っている。日本料理と言ったって、家庭でできるSushiやらGyozaやらのリクエストがとても多くて、ちょっと残念なんだけど。日本には他にもっと美味しいものがたくさんあるんだよ!

でもとにかく、トリノの中心街の、ある料理学校では私のレッスンがとても人気で、のべ400人もの生徒に教えたのだと、担当者に褒められてもいた。そんな私の乳がんがわかったのは、2023年の1月後半。その時点ですでに7月までのスケジュールが決まっていて、全てソールドアウトになっていた。学校の担当者は私に、誰か代わりにレッスンできる人がいないかと聞いてきた。

それで私は、イタリア人だけど日本が大好きで、以前マクロビオティックのレストランを経営していたイタリア人の「友達」に任せることにした。「心配しないで治療に専念して。帰ってくるまで、ちゃんとやっておくから」と引き受けてくれた彼女は、でもSUSHIは作ったことがないというので、私の家で特別集中コースをしたり、炊飯器など必要な道具も全て貸してあげた。

レッスンの時に話す、日本の食をめぐるちょっとしたエピソード、歴史などなども伝授した。私が復活したら、あの学校で一緒に、私は日本料理を、彼女はヘルシーなアジアンレシピを教えたらいいよね、そんなふうに話しながら。

リスク管理の甘い私が悪うございました。

結果から言うと、私の手術が終わって体力が戻っても、彼女はその料理学校でずっと、日本料理のレッスンを続けていた。アンラッキーなことに「あんたはうちの看板シェフの一人だから、絶対戻ってきてよ」と言ってくれた担当者は、私が休んでいる間に退職してしまっていた。

「復活の準備OKよ」と新しい担当者にメッセージを送っても、私のことを知らないその人は「もっとゆっくり身体を治してね」などという曖昧な返事ばかり。そして料理学校のホームページを見ると、彼女の日本料理教室のスケジュールがいくつも入っていた。内容は私がやっていたものと全く同じ、私のレシピを使ったレッスンだ。

「私はもう復活できるのに、私のレシピを使ってあなたが続けるって、どうして?」と彼女に電話をすると「何が悪いの?」と冷たい返事が返ってきた。他人を信用せずに、レシピを著作権協会に登録するとか、きっちりリスク管理をしておかなかった間抜けな私が悪い、そう言われれば、それまでだった。

それ以来、彼女とは全く連絡もとっていないし、その料理学校にも教えてに行っていない。契約などしていないし、レシピには著作権もないから何もできない。ただただ腹が立って、悲しいできごとだった。

がん患者あるあるエピソードだったとは!

そんなある日、娘が、すごくいいから絶対観て! と勧めてきた映画『ラ・トレッセ』。私に起きた出来事そっくりなシーンがあって、観ていて苦い想いが湧き上がってきた。(ここから先ちょっとだけネタバレあります)

有名弁護士事務所でキャリアを約束されていた主人公が乳がんを患い、可愛がっていた部下にそのポジションを持っていかれるというエピソードは、私に起こったこととそっくりすぎて驚いた。「もっとゆっくり休んでください」という優しいふりをしたセリフも、何もかも。

映画そのものは、インド、イタリア、カナダに暮らす、なんの繋がりもない3人の女性が、「髪」を通じてつながって、力強く立ち上がっていく、という物語。とてもよかったので原作、日本語タイトルは『三つ編み』、も読んでみた。乳がんになったカナダ女性の苦しみは病気そのものよりも、まさに人間関係だったり、キャリアがストップしてしまうことという、身につまされる作品。世界500万部の大ベストセラーだそうだ。

映画も原作もとても好きだったけど、がんにさえならなければ、例の「友達」とはなんとなく友達のまま、人間の汚い部分を見ずにすんだのかもと思うと今も残念で仕方ない。一方で、所詮そんな人と表面的に付き合っていても時間の無駄だったからよかったのよ、そんな二つの想いがしばらくの間、ぐるぐると頭の中を巡っていた。

いいなと思ったら応援しよう!

ピエモンテのしあわせマダミン
サポートいただけたら嬉しいです!いただいたサポートで、ますます美味しくて楽しくて、みなさんのお役に立てるイタリアの話を追いかけます。