久しぶりに本読んだ
前にブックオフで購入した中古本のひとつ、
ようやく読了。
ムック本なのにこんなに時間がかかるとは……。
本読む習慣なさすぎですね私。
今回読んだ本は学研ムックのブッダを知りたいというブッダの生涯と
その弟子、さらに仏教美術について知る仏教学の入門のような本。
Amazonでは以下のような紹介。
世界三大宗教のひとつ「仏教」の開祖ゴータマ・シッダルータ。「ブッダ」と呼ばれるこの“聖者”はどう生き、どんな教えを残したのか?ブッダの知られざる素顔を軸に、今も人々の間で生きつづける仏教の全貌を、世界に残る数々の仏教遺産を通して読み解く。
仏教の知識に関しては漫画聖☆おにいさんでのざっくりとした知識しか有しておらず、
聖☆おにいさんを読んで仏教、キリスト教の世界観に興味を持ち本書を購入。
知っているようで意外と知らない仏教の世界を知り、
より興味深くなりました。
今まで仏教というのは聖者を崇め、開祖の教えを各宗派による解釈によって多様な在り方があるものだと認知していたが、
国や時代によって仏教、そして釈迦仏如来への寄り添い方があることを知りました。
大まかに言うと、
・ブッダ(ゴータマシッダールタ)の弟子となり直接教えを聞く弟子たち
・ブッダ入滅後弟子より伝わった教えを聞き修行する者たち
・過去世界、未来世界、別世界にも「ブッダ」がいると考え様々な「仏」を考えた時代>大乗仏教
・ブッダを神のように崇め霊験あらたかな仏を造像し加護を授かろうとする流れ
・そして坐禅によって悟りへ至ったシッダールタを見習い、「禅」によってブッダの追体験をしようという禅宗
に分けられるのかなと。
特に個人的に面白かったのは大乗仏教の発生で、
極楽浄土に住まう阿弥陀如来、宇宙を作った大日如来、
遠い未来で世界に降誕する弥勒菩薩など、
釈迦の入滅後、末法に入るにつれ別世界や未来に別の世界にも釈迦がいるのではという
願いにも似た考え方の発生はある意味必然ともいえ、
人の釈迦への希望、そして釈迦の教えのない世界への恐れを色濃く反映した思想であるとも言えます。
(ていうか大乗仏教と初期仏教の違い知らなかった。)
今まではザックリとブッダを崇めその教えを尊ぶ宗教だというような認識だったのが、
こうして輪郭に触れることでその奥深さを知ることができました。
そしてこの本で触れているもう一つの魅力、仏教美術。
その最大の魅力は同じに見える仏像も国、時代によって造り方や表情が違っていること。
インド発祥の仏教は飛鳥時代に日本に伝わり、日本で深化するにつれて
より日本的、かつ穏やかになっていったという流れがあった模様。
古来より神道が根付いていた日本には、
異国より入ってきた仏教、そしてブッダに対して畏敬の念が強く反映され、
仏教が浸透していきブッダの教えそのものにフォーカスがあたり、
仏教があって「当たり前」になるにつれ、
人智を超えた存在性を強く反映した威容な風貌を持つ仏像から、
日本人的な顔になり、穏やかで見たものを包むような表情の仏像が増えていった流れがあり、
日本だけを見ても多種多様な仏像が造られ、どれもが名品。
これはキリスト絵画にも名画が多いように、
やはり宗教画、偶像は「人の願い」「希望」「畏敬」が強く反映されるのではないかと考えます。
例えば現代、
創作者が需要だけを考えた作品と、
「好き」を詰め込んだ作品、
そこに込められた情熱は同じだろうか。
私は違うと感じる。
それと同じことで、
想いを込めて造られたものには造り手の持つ技術が余すことなく発揮されるのではないか。
さらにスリランカやタイ、日本では
王朝が仏教徒となっていたこともあり、資金も潤沢に投資された。
金箔塗りで技術の粋を集めて建造された仏像はいずれも美しく、
見たものを圧倒させる仏の霊験あらたかな力を秘めたよう。
また、歴史によって失われ、再発掘された像も珍しくなく、
金箔が剥がれたり欠損した仏像も大自然による加工ともいえる「歴史」を物語ります。
数千年にも及ぶ歴史を持つ仏教。
その歴史をたった一冊の本で知ることは到底不可能なのですが、
このような形で仏教の一端に触れることができたのはとても良い経験だったかと思います。
宗教、および信じる心というのは今も昔も
人を正しい行いに導くこともあれば、人を狂わせることもある。
大切なのは偏見を持たずに知ること、
そして様々な考えに触れ自分の中で咀嚼し、
己の信じるべき仏を見つけることなのだと感じます。
これを機にもう少し仏教に触れ、
他の宗教についても調べてみるのもアリかなと、
そう思えるよい入門書となってくれました。