人を分かった気にならない
そうよ、自分のことだって分からないんだから、人のことなんてもっと分からないんだ。
その人が何を大切にして、どんなふうに言葉を選んでいるのか。
バスタオルに求めるものはふわふわ感かサイズなのか吸水力なのか速乾性なのかくらい、それは聞かないと分からないし、正解不正解ですらないのだ。
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安心感ってなんだろう。
そのひとつは、些細なことに幸せを感じられるようになることを挙げてみたい。
ベランダから満月を眺めたり、刺すような日差しに夏を感じたり、風の甘さを味わいながら夜道を歩いたり。
なんてことない些細なことに、幸せを感じる。
きっと充足感が安心感なんだろうな、私の場合は。
退屈かな?
それでも、些細なことから感じる喜びを生み出す力は、最強にその人にとっての幸せを引き出すと思うのだ。
朝に夫が剥いてくれた桃を食べる。
好きなものを好きな人が知っていてくれている、用意してくれる、なにこれ嬉しさ倍増。滴る汁まで甘い。
なにも予定がない夏休みがまもなく始まる。
桃パフェは高野フルーツパーラーも果実園リーベルも美味しいけど、千疋屋の桃パフェが食べたい。
夢を描くように、やりたいこと、欲しいものを明確にする。聞かれたら答えられるくらいに。
そんなふうに、なんてことない日常から幸せや喜びの種を感じて生み出していくのだ。
そして、それは自分の中にあると同じだけ、他者にもあるのだから分かった気にならずに聞いてみたい。
ねえ、何が幸せって。
そんなふうに人のことを知っていく過程もまた好きなのだ。
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