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食べたいとき食べたいものを口にしたときに浮かぶ満足度は幸福度につながる

つっかれたーってベッドに倒れ込みたい気持ちで帰宅しても、玄関を開ければ「おかえり」って子どもらの声がする。
ひとりなら、なんでも済まされる食事だって今日のご飯はなんだろうって用意されることに疑いがなくひかる眼を見ると、作らないわけにはいかない。
それが子育てってことでもあるのだ。


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この疲れた身体が欲するものは…そうだ、お肉。ステーキにしよう。
メニューがきまればやることは簡単だ。

なるべく分厚い赤身肉を選んで(今日はオージービーフにした)焼く前に肉を室温に戻しておく。
フライパンをかんかんに熱くし、オリーブオイルを敷いて塩をしたお肉を滑り込ませる。
さあ、ここがポイント。ひっくり返さずに、待つべし待つべし!
じゅわーっと焼く間は動かしたり箸でつついたりしないの。ひっくり返すのは一度だけ、反対側を焼く時だけ。


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毎週、心を動かされっぱなしのドラマ。MIU404題6話。クライマックスシーンも終わり、ふわんとした空気が流れるラストシーン。
桔梗さんのお家焼肉でのこの言葉を思い浮かべる。

肉だけではなく野菜もね。なんてキレイゴトはいらない。
肉は肉、肉を食らえばいいのよ。


ホットプレートにお肉を並べながらそう言う桔梗さんのセリフに、ふふふって思う。
そうだ、そうだ、肉を食らいたいときは肉だけでよいのだって。

バランスがとか、これを言ったら失礼になるかなとか、自分の本心以外で動くこと、それを空気を読むと言うのかも知れない。
でもね、空気じゃお腹は膨れない。
やっぱりこれを食べたかった、こう言いたかった、これをやりたかった、その思いはどこにいくのかしら。

きっとそれはどこにもいかずに、それこそ胸のあたりに不穏に漂い、ある日ちゃぶ台返し的に爆発してしまうのなら、食べたいものは、欲しいものはちゃんと口にしよう。

キレイゴトなんかいらない。
欲しいものを欲しいと言って悪いことなんて、あるはずはないのだ。
自分の食べたいものくらい、自分の身体に聞いてみなよ。
欲しいものを口にした時の、じゅわんと広がる至福の塊は誰にも邪魔なんてできやしないのだから。

それを叶えないのは、誰のせいでもなく、自分自身だとしたら。
それを叶えないなんて、自分を愛していないってことになってしまうよ。


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食べやすいように切って大皿に盛り付ける。
肉汁に醤油をいれて煮詰めたソースをかけても良いし、ちょっと良いお塩をパラパラかけても美味しい。
付け合わせには、自家製ぬか漬けきゅうりと茗荷を小鉢に。ああ、これが家庭料理。小洒落たままでは終われない。
コーンスープもあたためて、いただきます。


肉よ、血となり肉になり、明日のわたしがまた笑えるように、なんて堅苦しいものではなく、ただただ美味しいって食べる。
そんなふうに日々は続いていくし、その事実をまた愛しく思っている。
美味しいと思うことそれは生きたいと思うこと、そんな思いをこめて口へと運ぶのだ。


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