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表現のもとは個々の記憶だとしたら、明日もまた書き続けるでしょう

エスパルの地下で冷たいメロンジュースを飲む。


なんとなく読んだnoteのこの一文に心が持っていかれた。



わたしにとってのエスパルはエスパル仙台。
『正式にはSーPAL、英語で「S」STATION=駅と「PAL」(友達)を合わせた造語で「駅の友達」という意味らしい』

仙台は生まれ育った場所ではないのだが、父の実家なので馴染みのある場所であり、最後に仙台駅に降り立ったのは、祖父のお見舞いの時であった。


***

「よく来てくれたね」と叔父夫婦に迎えられ、病院へと向かう。
点滴の影響で少し浮腫んでいる祖父。まもなく終了するであろう点滴の滴下数をカウントしながら、下肢のマッサージをおこなう。

「看護師がいると助かるっちゃ」とまだ心身ともに元気だった祖母が声をかけてくる。

うすい膜でおおわれたような、生ぬるく閉鎖的な空間、それが病室なのかもしれない。職場としては馴染みのある病院も、身内のお見舞いと立場が変化すると消毒液の匂いがする、よそよそしい場所へと変化する。

ん、と身体を動かす気配。あ、お小水だなっと尿瓶を探すとすかさず叔母がナースコールを押す。
そうか、わたしは孫としてこの空間にいるのだったとその役目を果たすべく、そっと病室外へと足を進める。


「ありがとう、これお足代ね」
美しい文字でかかれたお祝儀袋には3万円が入っている。
そんなつもりじゃないのに…。その声を喉につまらせながら受け取り、駅まで送ってもらった。




***


はやぶさの指定席をとったら、それまでは自由時間。
迷わずエスパルへと向かう。

おにぎり丸のグッズやコケシの民芸品が並ぶ売り場。
牛タン切り落としは、美味しくお得なお土産。笹かまは駅で買うより直売所の方が美味しいかつ、人によってメーカーの好みがあるのは夫の郷里の富山のます寿司みたいだと思うと早く家に帰りたくなる。

萩の月は職場土産には一番喜ばれるもの、ずんだシェイクはそれほど美味しくないし、ずんだ餅は祖母が家でこさえるものが、いっとう好き。


***

缶ビールとはらこ飯をもって所定の席に座る。
発車するまでは、飲むのも食べるのもとりあえず待つ。
流れる景色を見ながら、缶ビールのプルトップを開ける。

もう会えないかもしれない…そんな考えをビールで流し込む。

音も揺れもなく新幹線は滑るように走り続ける。


***

エスパルの地下で冷たいメロンジュースを飲む。


文字は記憶を浮かばせる。それは見たものを思い出す力がある。

エスパルの地下で私はメロンジュースは飲まなかったけど、おにぎり丸を見ながら、牛タン切り落としを選びながら、「もう会えないかもしれない」そんなふうに思っていた身体を知っている。

手に取るものに、可愛いな、欲しいな、せっかくだしお土産に買って帰ろうと思う気持ちの一方で、もうこんなふうに新幹線で仙台にくることはないだろうっていう暗い気持ち。
どんなに考えないようにと頭をぶんぶんと振っても、迫ってくる重く暗い影のようなもの。それはひたひたと確実に近寄ってくるから、そんなに広くはないエスパルをぐるぐると歩き続ける。

動き出した新幹線車内でホッとした気持ちまでも覚えているのだ。


***

忘れていたことを思い出すことが表現することだとしたら、書くことってなんだろうなっても思う。
それでも感情を伴う身体感覚というのは、誰にでもあって、なにかのスイッチでパチンと光るのだとしたら、その灯りはきっと美しいと思っている。

そしていつかそのスイッチを、そっと差し出せるような文章を書いてみたいと願う。

祖父が好きだったマグカップ並々にいれたコーヒーを飲む。
「こんなに入れたらなかなか減らないよ」と胸で呟くと、くしゃみがとまらなくなる。あ、お互い思い出してるそう思いながら、ぐっと飲み干したコーヒーはいつもよりも甘い。


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