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黄泉の国からメッセージ。

黄泉の国からのメッセージ。
掴みどころのない話しですが、つまらないと思わずに聞いてください。心が何から出来ているか、少しのヒントが与えられると思います。

黄泉の国には魂が光として在ります。光は自分が見えませんが、周りを照らすことが出来るので、周りのことはよく見えます。黄泉の国の反射した先にある光は、この世のあなた方です。こちら側とあちら側は一対なのです。

黄泉の国が光を分離させて灯すと、新たな生命が生まれます。

黄泉の国が光を元の一に統合させると、この世でいう死となります。死は黄泉の国では統合を意味します。

しかし、死んだという認識のない魂は、この世に留まります。魂は光ですので、自分が見えません。周りはよく見えると言いましたが、慣れしたんだ環境、似たような振動の人しか見えません。そうして一緒に生を体験しています。本人は身体がなくても生きているつもりですので、あらゆる好き嫌いがあります。得手不得手もあります。

感情はエネルギーに由りますので、キレイに整った細かい粒子と、とげとげした粗い粒子があります。発する側にそのつもりがなくても、整った細かい粒子は周りを輝かせ、とげとげした粗い粒子は周りを傷つけてしまうことがあります。

死んだことを認識していない魂の中には、整った細かい粒子と、とげとげした粗い粒子、両方とも存在しています。

感度の良い人間がそれを認識したとき、整った粒子を神さまと認識し、粗い粒子を浮遊霊と認識することがあります。

とちらも、黄泉の国への統合を待っています。

統合されるプロセスに、生きている人間の身体を必要とします。

憂鬱になっている時に、いつもの自分では考えないようなマイナスな思考が浮かぶとき、そこには別の魂が影響していることがあります。その時に必要なのは、魂のことを知らなくても「これは私らしくない」「いつもの私とは違う」と認識する気付きです。

憂鬱になるときに、引っ張り合っているこちらとあちらの引力は、生きているエネルギーに宿る者が優勢です。身体に宿る魂は、それ自体が強い磁場になっています。しかし、本人が自分の心身に無頓着な場合、その力が弱まります。

生命と魂は一つで協働して働かなければなりません。

胎から聲を発する。身体を温める。憂鬱な氣を吹き飛ばし、愉快な氣を取り入れる。

唯一、信頼できるあなた自身の氣は、何を頼りにしていますか?

あなたが自分を信頼していないと、あなたを求めて来る人たちの氣にあなたが覆われてしまいます。黄泉の国は、それを曇った光として見ています。曇った光には、多数の霊魂が覆っています。

身体が重い、痛い、憂鬱、動きたくない。身体が軽い、愉快な気持ち、穏やかな心、この世界に何が貢献できるんだろう!曇った光と、クリアな光の違いです。よく感じてみてください。光が光として蘇ることを祈ります。

Miyamin

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