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赤宮千紘
2019年3月22日 01:10
母は、不憫な人間だと思い生きてきました。幼かった頃の記憶は、血の繋がった父からのドメスティック・バイオレンスで痣だらけの母です。仕事帰りの事故で片脚を十数針縫う怪我をした数日後、機嫌の悪かった父にその脚を掴まれ、宙ずりになっていた母の記憶が鮮明です。私が中学の半ばに再婚をするまでは、祖父母の元で育てられました。母とひとつ屋根の下で暮らすようになったのは、高校二年の頃からです。母は昔